第128話 悪魔との握手(前)
第128話『悪魔との握手(前)』
1946年6月5日
ユダヤ自治共和国/エルサレム県
大日本帝国陸軍の憲兵隊が見守る中、ユダヤ系物理学者のレオ・シラードは、零式輸送機の搭乗口に歩み寄った。タラップを駆け上り、扉を開けると、機内の様子が良く見えた。そこには、シラード同様のユダヤ系科学者達が数名、乗り合わせており、シラードの顔を見て微笑んだ。シラードもまたそれに笑顔で返した。その後、憲兵が数名、一式自動小銃を抱えて機内に駆け込むと、零式輸送機は唸りを上げ始める。2基の金星六二型エンジンは既に暖機運転中であり、駆動には時間を掛けることは無かった。やがて、零式輸送機は徐々に前進を始め、両翼が唸りを上げる。シラードが見据える機窓は、次から次へと景色が流れ、エルサレム飛行場と近隣の市街地が織り成す、白と灰のコントラストが彼の視界を染め上げた。そしてその刹那――機体は舞い上がった。
1946年2月、『ヘルシンキ講和会議』の最終的決定と調印が終わった所で、大日本帝国は旧ソ連領の一地域――“ユダヤ自治州”の独立を宣言。同日、『ユダヤ自治共和国』の建国が宣言され、ユダヤ自治共和国政府の誕生が高らかに告げられた。このユダヤ自治共和国は、旧ユダヤ自治州と満州国の“ユダヤ人自治区”の2つの領土を掛け合わせ、成立した独立国家である。その国民の多くは米独を始め、世界各国から迫害、またはユダヤ人理想郷を求め、やってきたユダヤ系移民から成る。無論、大部分――という訳なので、その中には亡命ロシア人や満州人の姿もあった。いや、それだけではなく、黒人に黄色人種の姿もあり、非常に多種多様な民族構成となっている。ユダヤ自治共和国の信条は“ユダヤ教”であるが、それは公然の事実であって、絶対的な法律という訳ではない。仏教にキリスト教、イスラム教、無神教に至るまで、多くの信条を持つ人々から構成されている。だが、“迫害”という共通点を持つ彼等には、多民族国家アメリカや、社会主義国家ソ連とは異なった“強い結び付き”が存在しているのだった。
そもそもの発端となる『ヘルシンキ講和会議』だが、これは旧ソ連――『シベリア社会主義共和国』に対する賠償問題を決定する会議であった。同会議は1945年5月26日から1946年2月11日に至る約8ヶ月間、北欧フィンランドの首都ヘルシンキにおいて、EU主要参戦国とアメリカ、シベリアを合わせたメンバーで行われた。そこではEU及び米国がソ連に対し被った多額の損害と、軍備・領土を巡る問題が延々と語られ、会議は凡そ数ヶ月間、平行線を辿るばかりであった。『欧ソ戦争』最大の功労者であり、国家機能が完全に麻痺しているドイツは、一切の妥協を許さなかった。それは約20年前、自分達も同じように『ヴェルサイユ講和会議』上で大きな大きな負債を強いられていたからである。一方、戦勝国として2回目の経験となるイギリス、フランスは温和で、十分に配慮した対応を求めた。その中で異彩を放つアメリカは、シベリアに対する締め付けの緩和と、戦後復興への迅速な舵切りを訴えた。かくして、様々な思惑が絡み合ったヘルシンキ講和会議は翌年2月11日にようやく終結を迎え、主要参加国は『ヘルシンキ講和条約』にサインを行ったのである。
その『ヘルシンキ講和条約』だが、決して甘い物では無かった。賠償金として定められた額は1400億マルク――現在の日本円にすると約140兆円に及ぶ。これは1940年度のドイツのGNP(国民総生産)に匹敵する額であり、事実上の『ヴェルサイユ講和会議』越え――1320億マルク――の賠償額となった。これが主要参戦国ごとに平均約20億マルクずつ分配されることとなってはいるが、その大部分は返還の見通しも見えていなかった。流石のソ連の国力も、これだけの重圧には耐え切れなかったのだ。
また、領土割譲については、欧州方面はAA(アストラハン=アルハンゲリスク)線以西の全領土、極東方面は旧ソ連極東領――沿海州、樺太島、ユダヤ自治州、アムール州、ハバロフスク地方、マダカン州、コリャーク民族管区、チュクチ民族管区が割譲されることとなった。この結果、シベリア社会主義共和国はシベリア地域、ウラル地域、サハ共和国、マダカン州(日米両軍に侵攻されていない一部地域)を残し、その他の全地域はEU各国による分割占領下に加えられ、後に自国領へと編入されている。この領土割譲で最も多大な領土を得たのが――大日本帝国であった。
一方、軍備に関しては陸空軍の条件付きでの存続は認められたものの、海軍は完全に解体、沿岸警備隊へと格下げをし、厳しい艦艇保有制限が掛けられることとなった。そもそも先の『欧ソ戦争』で大部分の戦力を喪失していたソ連海軍だが、今回の一件はその海軍に完全なる終止符を打つ結果となってしまった。旧ロシア帝国以来、運用されてきた艦艇の多くが廃艦に追い込まれ、近代艦艇についてもEU各国によって分割され、賠償金の肩代わりに接収されることとなった。
その中において、世界随一の大海軍を保有する米国と日本は、その艦艇保有権を早々と放棄しており、半ば強引に押し付けられた、または以前から鹵獲していた艦艇については、廃艦としてスクラップにされ、再利用された。それは空母、戦艦、巡洋艦といった大型艦も例外ではない。同型艦4隻で1940年度ソ連国家予算の4分の1を食い潰すだけの価値を持つ『ソビエツキー・ソユーズ』級戦艦第1番艦『ソビエツキー・ソユーズ』は、旭日旗が掛けられることもなく、ウラジオストク海軍工廠内に放置され、戦後はドイツ海軍に譲渡されることとなった。これは、『日ソ戦』時にドイツ軍から供与した戦車等兵器の代金を一部チャラにする代わりの条件であり、整備等の問題から『ソビエツキー・ソユーズ』の存在を煩わしく思っていた帝国海軍は、嬉々としてこの条件を呑んだのである。更に『アストラハン』級大型空母についても、ドイツ海軍に譲渡された。
かくして、ドイツにツケを払った大日本帝国。現在でも機甲戦力の乏しい帝国陸軍は、Ⅲ号やⅣ号戦車といった旧式戦車を運用し続けている状態にあった。旧式――とはいえ、その戦闘力は一式中戦車以前の貧弱な戦車に比べれば、天と地の差もあった。唯一、部品類の買い付けといった問題点で悩んではいるが、今後当面の間、帝国陸軍の主力となり続けることは間違いなかった。
零式輸送機は3機の五式戦闘機『閃燕』に護衛され、ユダヤ自治共和国首都エルサレムを飛び立った。普段は軍将官、若しくは政府高官が乗り合わせる専用機で、兵員輸送能力を若干排し、快適性を追求した設計となっている。その機内にユダヤ系科学者達が計4名。先頭列に座るエンリコ・フェルミ、その右斜め上の席に座るジョン・フォン・ノイマン、その隣のレオ・シラード、そして最後尾席のエドワード・テラーであった。彼らは皆、史実のアメリカ原爆開発――通称『マンハッタン計画』の参加者であり、世界最高の頭脳の持ち主達でもあった。
1946年5月、ユダヤ自治共和国での10日間の特別休暇を終え、帝国陸軍――正確に言えば『帝機関』の零式輸送機に搭乗した彼らが目指す先は、満州国である。この地のとある地域に帝国陸軍が秘匿する1つの町が存在したのだ。通称『エリアG』と呼ばれるその町は、帝国陸軍がユダヤ系科学者達を囲い、密かに『G爆弾』――即ち原子爆弾の研究・開発を行う『原爆研究区』であった。その設立は1939年、関東軍と『帝機関』の下、半径数十kmが特別建入禁止区域に指定され、その敷地内に数々の研究施設が建設された。1943年9月から始まった『日ソ戦争』では、一旦施設は閉鎖され、多くの研究者達が日本本土へと渡り、その研究を続行した。それが本来の計画の遅延に繋がった訳だが、それでも研究者達の努力の甲斐もあり、1946年頃にはようやく原爆が形になってきたのである。
「ミスター・シラード。休暇はどうだったね?」
そう訊くのは、前列に座るジョン・フォン・ノイマン博士だった。ノイマン博士は数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・気象学・心理学・政治学と多岐に渡る聡明な知識を持ち、シラード同様、ユダヤ系ハンガリー人であった。
1903年、ハンガリーのブタペストに生まれたノイマンは、幼き頃から英才教育を受け、育ってきた。6歳で7桁から8桁の掛け算を筆算で行い、8歳の頃には微分積分をマスター、12歳になると関数論を理解した。17歳になると数学の論文を執筆し、その論文は2年後の1922年、ドイツ数学会雑誌に掲載されている。このように、幼い頃より類稀なる数学の才能を持つノイマンは、原爆開発においても非常に重要な地位を任される人物であった。プルトニウム型原子爆弾に核分裂反応を起こさせるべく必要となる『爆縮レンズ』は、彼なくしてはその完成も危ぶまれており、ノイマンに対する待遇は他の科学者と比べても、非常に良かったのである。
「ああ、楽しかったよ。同胞に会うのはね」
「研究所にも居るじゃないか」
シラードはそう言うノイマンに対し、首を振った。
「それは仕事仲間だろ? 友人や家族とはまた違うさ」シラードは言った。「楽しい10日間だったよ。シャブオット(ユダヤ教の祝祭)では久し振りに家族水入らずで過ごせたし、友人達を呼んで庭先でバーベキューもしたな。北海道産の羊肉も中々美味しかったよ」
ノイマンは頷いた。
「私も実に楽しい10日間だったと思うよ……日本軍の憲兵さえ居なければ、の話だが」そう語るノイマンの口から終始発せられるのは、ハンガリー語だ。「私は5人居た。君の所は?」
「3人だな。何だね、研究所で憲兵が何人居るかの自慢話でもする気かね?」
シラードは思わず笑みを漏らした。
「ああ、延々とな」ノイマンは冗談交じりに答えた。「まぁ問題なのは……人のプライベートまで突っ込まれる事だ。私も仕事の鬼って訳じゃあない。かといって、恩を仇で売る気も無いし、ここまで来た研究を投げ捨てる気も更々無い」
「不満か? 憲兵が付いていたからこそ、我々はあの10日間を有意義に、安全に過ごせたんだ。彼らがちゃんと働いてなかったら、今頃はOSSの諜報員か、ゲシュタポの諜報員にとっ捕まって家族もろとも強制移住だ。折角、ユダヤの理想郷に辿り着いたのに、それは嫌だろ?」
ノイマンは渋々頷いた。
「ノイマン、君の言うことは分かる。だが理解して欲しい。これは計算式のテストじゃなく、如何に大勢の人間を死に追いやれるか――という試練なんだ。我々が今、やっている事は人類史上初の試みであり、この数千年の歴史を塗り替える大事業だ。その中心的人物であるノイマン、君が万一にも欠ければ、それは人類にとっての損失となる。それだけは……避けたいのだよ」
「ドイツか?」
「……そうだ」
ドイツ第3帝国――ユダヤ人を一人残らずこの地球上から抹殺せしめんとするこの狂信国家は、今や大帝国として欧州に繁栄を築きつつある。そんな暴走するドイツに対し、抗わんとするのがレオ・シラードと彼の事業――原子爆弾の製造である。それ1発で1つの都市を壊滅出来るというその恐るべき兵器を手に、ユダヤ絶滅を誓うドイツと戦い、そしてユダヤの聖地――イスラエルを勝ち取るのである。それがシラードが密かにその成功を願う計画であった。
「EUが誕生して以来、ドイツは急速に力を付けている。その理由は言うまでも無いが、これまで横暴を繰り返し続けてきたドイツが、EUという国家共同体の骨組みの中において、合法性を証明されたからだ。あの手の独裁主義国家を叩き潰すには、全く逆効果と言わざるを得んだろう……」
ノイマンは頷いた。「孤立に陥った小国は、そのまま瓦解するか“外”を求める。だがEUの存在によって、ドイツは“外”へと自由に出入り出来るフリーパスを手に入れてしまった――という訳だ。EUは元々、米ソに対抗するべく、欧州各国が協同し、生まれた同盟だ。その結果、確かに強くはなったが、その強さを支えるのがドイツやイタリアといったファシズム国家であるということは、隠し切れない事実だ。実際『欧ソ戦争』では斜陽の英国やフランスではなく、ドイツ軍が最も活躍している。またこの極東でも、日本軍が孤軍奮闘した。何とも皮肉な話じゃないかな――“内なる敵”が頼りである……ということは?」
「その話は外敵に当てはまるものだろ?」シラードは訊いた。「その外敵が居なくなった時、果たして何が起きるか……想像には難くないね」
「と、言うと?」
「……内戦だ。あのヒトラーなら、やりかねんさ」シラードは言った。「『我が闘争』でも語っている。“生存圏”を確保すべく、東方にスラヴ民族を奴隷とする一大帝国を築く……ということを。あれは冗談でも何でもなく、本気なのだろう。そしてその目標実現を邪魔する存在――即ちヒトラーに抗う国々に対しては、ドイツは何の手加減も無く攻め入る筈だ」
「高みを目指すのは人間の性だよ」
ノイマンは務めて冷静に言った。
「馬鹿と煙は高い所が好き――と言うしな」
「あぁ。人間なんて、造りからして馬鹿なのさ。猿ほどの跳躍力も無く、何としてでも子孫を残そうという合理的な生存本能も持たない。代わりに持ったのが理性だが、これはまだ人間が野を駆け回っていた頃の野生本能と紙一重のものだ。だからこそ理性的に憎み合い、理性的に殺し合うんだ」
「そういうものなのか?」
少し考えてから、ノイマンは彼の顔を見て言った。「そういうものだ」
零式輸送機は満州国境上空を飛び越え、一路“エリアG”を目指した。“エリアG”――文字通り原子爆弾(G爆弾)の研究開発ポイントだったが、確認した限りでは、荒涼とした平野が広がるばかりであった。その平野の中央部にポツンと1つ、聳え立つ町がいわゆる“エリアG”である。徹底した情報統制、暗号通信の確立、偽装工作と、『帝機関』が総力を挙げて隠匿するこの町は、食料品店からボーリング場、映画館に至るまでの娯楽施設まで、必要なものはある程度揃えられた町だった。気温はかなり高かったが、じめじめとした日本の気候と比べれば不快ではなかった。空は蒼々と染まっていたが、ここ数週間は雨が降らなかったため、空中には砂塵が雲となって立ち込めていた。
機窓に『原子爆弾研究所』の輪郭が茫と浮かび上がるのを見て、シラードの興奮は高まった。白亜のプルトニウム生産施設、原爆設計を行った研究施設、そして原爆実験を行う予定の実験地――『エリアF』。その研究施設群の周りを、技術者や科学者達の宿舎と商店街が取り囲むようにして立地しており、何とも異様な雰囲気を醸し出していた。そして今、そんな町の通りには人の姿は無かった。夜という訳ではない。何かの行事かと言われれば、ある意味ではそうであった。
「離陸用意!」
零式輸送機は徐々にその機体を地面に近付け、エリアG飛行場に着陸した。滑走路を何度か蹴り上げ、跳ね上がりながら零式輸送機が停まると、あっという間に零式小型貨車の車列がその姿を現し、少々急かせながらもシラードら、科学者達を下ろしていった。そして彼らが乗り込むと、零式小型貨車は縦列を作り、滑走路の中央を猛然と突っ走り、砂塵にその姿を消し去った。
数分後、零式小型貨車は『エリアF』に到着していた。エリアFは盆地状の荒野で、その中央部には1本の鉄塔が聳え立っていた。無論、それは送電鉄塔ではない。試作実験用のプルトニウム型原子爆弾――『阿』号爆弾である。
シラードら、4名の科学者はコンクリート製の掩体壕に背を丸め、入室した。遮光ガラスの張られた長方形の開口部からは、実験用鉄塔とその先端部に備え付けられた『阿』号爆弾がよく見えた。シラード達が立っている場所からすると、実験用鉄塔は15~16kmしか離れておらず、周囲には他の遮蔽物や施設等は存在していなかった。つまり、ここが最前席であり、特等席だったのだ。そしてそんな特等席には、関東軍総司令官の今村均陸軍大将や、『帝機関』参謀総長の石原莞爾大将を筆頭に、層々たる面子が揃っていたのである。
「御久し振りです、藤伊中将」
そうシラードが満面の笑みを浮かべ、力強く握手を交わすその男――『大和会』当主たる伊藤整一は、同じく感謝の念を以て返答した。
「本日は宜しくお願いします。ミスター・シラード」
藤伊とシラードが出会ったのは1938年、藤伊邸での対面だった。あの時同様、山本五十六海相は藤伊の横に立ち、シラードに紳士的な態度で接していた。まるであの時に舞い戻ったようだと、シラードは思った。だがシラードも、藤伊も、そして大日本帝国も――成長した。そして今や彼らはこうして、日本が凡そ保有することも叶わなかったであろう人類史上最悪の大量殺戮兵器――『原子爆弾』を完成させ、実験に移ろうとしていたのだ。これはひとえに、史実以上に発展した大日本帝国の経済力と、シラードを始めとするユダヤ系科学者達の努力の賜物であった。
「それでは、カウントを取ります……」
シラードがそう言うと、一同は押し黙った。世紀の瞬間である。当然といえば当然の反応だ。
「10……9……8……7……6……」
時間はゆっくりと、しかし確実に流れて行く。天井部の赤色ランプが点灯し始め、けたたましいサイレン音が鳴り響いた。10秒前の警告である。
「5……4……3……2……1――」
刹那、レバーが勢い良く引かれると同時に、実験用鉄塔最上部に備え付けられた『阿』号原子爆弾は、激しい衝撃波と砂嵐を生み出した。刹那、一同が入る掩体壕は物凄い風を受け、コンクリートの壁が悲鳴にも似た音を放った。
そして遮光ガラス越しには――天高くまで駆け昇っていく“キノコ雲”があった。鼠色かがったそのキノコ雲には、恐怖を感じられずにはいられなかった。何しろ人類初の試みである。大抵の科学者達は原子爆弾の本当の威力を知らず、様々な仮説を立てるばかりだった。
――だがこの光景に説明など要らなかった。
1946年6月6日、大日本帝国はかくして、世界最初の原爆実験を成功させたのである。
しかしそれがもたらすものは――平和では決して無かった。
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