第118話 束の間の幕間(前)
第117話後半部を修正しました。その修正部を確認していない場合は、先に確認してから、お読み頂ければと思っております。
第119話『束の間の幕間(前)』
1945年6月3日
大日本帝国/東京府
杉並区萩窪。善福寺川を架かる春日橋左岸の高台に、近衛文麿元首相は居を構えている。その名を『荻外荘』という。最初に目に飛び込んできたのは、高く聳える石塀だ。松林の枝々がしなり、石塀から外側へとはみ出している。また南斜面の高台にあって、善福寺川河谷を一望に収め、また地平線の彼方には、霊峰富士の山影を瞠ることが出来た。
その荻外荘の前庭、松林を臨む母屋の縁先に明りが見える。障子の隙間より漏れ出る光は、ほの暖かげで、少しばかりの寂寥感を覚えさせる。母屋の前庭は、中央の庭を太く逞しい松の木々が取り囲むように生い茂り、外部からの目隠しの役割を果たしている。その前に聳え立つ石塀でも十分ではあったのだが、私生活において人の目を嫌う近衛公としては、気に入っている部分であった。何とも心が安らぐのだ。普段、公的執務で群衆の面前に出ることの多い政治家稼業をしているだけあり、このような誰にも邪魔されない自分だけの時間を持つことが、近衛にとっては必要だった。
しかし今日、そんな時間を過ごす筈だった近衛の眼前には、複数の男達の姿があった。近衛自身も所属する――『大和会』の面々である。当主藤伊一中将始め、現大日本帝国首相の米内光政、海相山本五十六、連合艦隊司令長官の吉田善吾大将、連合艦隊参謀長の伊藤整一中将、海軍次官井上成美中将、海軍予備役の堀悌吉中将と、海軍の層々たる面々が一堂に会していた。
「我が邸宅、『荻外荘』へようこそ御出で下さいました」近衛は藤伊に片手を差し出した。「御久し振りです。かれこれと……2年振りでしょうか?」
「えぇ。1943年、日ソ戦開戦の時にお会い致しました。近衛公」
藤伊もまた片手を差し出し、2人は握手を交わした。
「2年とは……いやはや時が経つのは早いものですなぁ……」
2年前、藤伊とともにこの荻外荘を訪れていた山本は、溜め息を吐いて言った。『日ソ戦争』開戦から約2年。満州国境を巡る決死の戦いは今や終わりを告げ、世界には新たなる平和の世が訪れんとしていた。1945年4月21日、ソ連第2代指導者ヨシフ・スターリンが失脚し、ソ連は瓦解。そこに『革命』と称する解放戦争を仕掛け、勝利を得たのが『シベリア社会主義共和国』の最高指導者、レフ・D・トロツキーであった。4月25日、彼はソビエト社会主義共和国連邦の解体を宣言、同時に『シベリア社会主義共和国』の樹立と、それに伴うEU陣営との『休戦』を高らかに告げたのだ。このシベリア政府の声明は、EU理事国のイギリスと、アメリカ合衆国によって承認された。そして翌日に当る1945年4月26日、遂に約3年間に及ぶ『欧ソ戦争』は休戦し、事実上の戦争終結の時が訪れたのである。
「まぁ、立ち話もなんですので……」
近衛はそう言って、一同を書斎に招いた。部屋の本棚には国内外の書物――それこそ古文書から近代文学に至るまでの多種多様な書物が並んでいた。部屋の中央には大きな長机が1つあり、そこに幾つかの椅子が立て掛けられていた。卓上には灰皿がポツンと1個置いてあり、逆さに向けられたグラスと何本かのウイスキー瓶が載せられた盆が置かれていた。
「して、藤伊閣下。本日いらっしゃったのは……」
「『ヘルシンキ講和会議』についてです」
訝し気味に訊く近衛に対し、藤伊は言った。
休戦締結から1ヶ月後の1945年4月26日。『欧ソ戦争』におけるシベリア社会主義共和国及びその同盟国の講和条件等を討議すべく開かれたのが――『ヘルシンキ講和会議』である。1942年11月、欧ソ戦争の発端ともなった『冬戦争』の舞台、EU加盟国のフィンランド首都のヘルシンキで開催された同会議には、EU全加盟国と米国、シベリア社会主義共和国の全権、及び数千名の随員が集まった。敵国ソ連――現在はシベリア社会主義共和国――やその衛星国を処断するという点は、1919年に開催された『パリ講和会議』と類似している。
しかし、決定的に異なるのはその講和会議に敗戦国全権の姿があったことである。これは第一次世界大戦におけるドイツ帝国の非道を正した前会議との決定的な違いだ。パリ講和会議では、『ドイツ革命』によって帝政を打倒し、共和政国家としての道筋を歩もうとしていたヴァイマル共和国が、招請されることもなく、一方的に1000億マルク以上もの天文学的な賠償金を突きつけられたのは有名な話である。
今回のヘルシンキ講和会議でも、賠償金問題は焦点となり、EU各国やアメリカの思惑の下、紛糾することとなった。ドイツ財務省は戦争によって疲弊したソ連――シベリア社会主義共和国の国内事情を考慮せず、EU各国に加えた被害の度合いを賠償金請求のウェイトにすべきだと主張し、総額2000億マルクの支払いを訴えている。これは、国内経済が壊滅的状況にあるドイツとしては通さなければならない主張であった。これには第一次世界大戦からの経済不振を引き摺るイギリス、フランスといった欧州各国は強く賛同しているが、シベリア政府の国庫も考慮して、1300億マルク程度が妥当であるとの見解を示している。その一方、米国政府は“高額だ”として、更なる削減を意見している。
しかし結局、ヘルシンキ講和会議上では賠償金が決まることは無かった。
「賠償金問題については、20日後の再会議の場で話し合われるようです」
この時、ヘルシンキ講和会議は一旦中断となり、主要各国の一部全権が帰国していた。そしてその中には、大日本帝国の米内光政首相の姿もあった訳である。
「占領地については?」
近衛は訊いた。
「欧州はAA線(アストラハン=アルハンゲリスク)以西。バルト3国やソ連の衛星諸国は、独立国となってEUに加盟させられたようです。言ってみれば、傀儡国です」藤伊は言った。「元ソ連領はEU主要各国の分割占領下に収められるようですが、首都モスクワやカフカース地方は更に分割され、統治されるそうです」
「バクー油田はどうなりました?」
近衛は不安げな顔を浮かべた。
「英独伊の3国による分割占領下に入っております」
1945年4月、ドイツ軍を主力としたEU南部方面軍は、怒涛の攻勢によって南カフカース地方に侵攻し、バクー油田を始めとする大資源地帯をその占領下に収めていた。ヘルシンキ講和会議では、この南カフカース地方の30年間占領が合意され、独英伊の3国による分割統治が決定したのである。30年間の占領――というのも、この南コーカサス地方はグルジア・アルメニア・アゼルバイジャンの3ヶ国からなる地域であり、その3ヶ国は仮初ではあるが独立を果たしていたのだ。そこで建前として、“30年間占領”という形が取られたという訳であった。
「いやはや……大変な事になりましたな……」
「全くです」
近衛は喉元から悲痛な呻き声を上げた。バクー油田は潤沢な石油供給源である。そこを分割占領とはいえ、ドイツが押さえているというのは、非常に不味かった。果たしてドイツはこの資源を如何に使うだろうか? ユダヤ人の遺骸の山を焼却するための燃料か。はたまた、ヒトラーの留まる所を知らない欲望を『戦争』という形に具現化させる原動力となるか……。いずれにせよ、大日本帝国――世界にとって、由々しき問題であった。
「我が国は極東ソ連領の大部分を新たな領土に収めましたが……」
「肝心の油田が――ありませんからな」
ヘルシンキ講和会議において大日本帝国は、沿海州、樺太島、ユダヤ自治州、アムール州、ハバロフスク地方、マダカン州、コリャーク民族管区――総計122万3600㎢もの領土を獲得し、その大半を帝国領に編入した。この総面積は南アフリカ共和国に匹敵する規模であり、金・銀・鉄鉱石・スズ・石炭といった資源に恵まれていた。が、その中で唯一不足しているのが――石油だった。確かに『オハ油田』を始めとする油田はあったのだが、その開発では、採掘技術が未熟な大日本帝国は立ち遅れていたのである。そのせいか石油生産量は低く、採算が合わないことが多々であった。
「こんなことなら、モンゴルも頂けば良かったですな」
ソ連の衛星諸国であるモンゴル社会主義人民共和国は、その例外に漏れず独立を果たしていた。が、中国共産党がモンゴル奥地に疎開したという一連の騒動が既に起こっており、中華民国は軍を中蒙国境線上に配備している状況であった。国境紛争は時間の問題だろう。
「近衛閣下。欲を出し過ぎたら全てを失います」
琥珀色の液体に舌鼓を打ちながら、山本は言った。
「ええ。その結果が『太平洋戦争』ですからな」
『大和会』の一員として、近衛は藤伊のその口から未来の話を聞いていた。1945年8月の敗戦――2発の原子爆弾を投下され、広島と長崎を死の街に変貌させられた大日本帝国は、徹底抗戦の考えを捨て、無条件降伏を果たす。そんな悲劇的な終戦と、その後約1年間に及ぶ絶望的な戦後期の話を聞いた近衛は、大日本帝国の首相だった者として、帝国の存亡を左右するこの組織に、その身を投じたのである。
「ところで……」
荻外荘書斎。その主たる近衛文麿は、『大和会』の面々が訪れてからというもの、不審に思っていたことを問うことにした。「ここに集まったのは、いずれも海軍の方々のようですが……」
「ああ」
浮かない表情を見せる藤伊に代わり、米内は頷いた。
「今回、陸軍の連中は呼んでない。何かと厄介だからな」
「ほぉ……厄介と……」
米内の言葉を聞き、近衛は訝しげに呟いた。米内と近衛は必ずしも良好な関係を築いていたとは言えず、逆に対立することがしばしばであった。米内が収束を望めば、近衛は拡大を願う。天と地――ほどの考えの違いがあった訳ではないのだが、同意する所も少なかったのである。今回の『欧ソ戦争』などがまさにそうだった。近衛が徹底した共産主義の打倒を訴える一方で、米内は国家情勢の観点を考慮しての、ソ連に対する宥和も時には必要だという見解を示していた。そしてその頃から、近衛が抱く米内のイメージは――『アカの犬』だったのである。
「実はな、俺は8月末に総理の職を辞する」
米内が口走った言葉を前に、近衛は唖然とした。「そこで新たな組閣を考えている。次期総理には、東久邇宮殿下を推挙したく思っているのだが……」米内は続けた。「近衛さん。アンタには是非、副総理の職に就いて、殿下と内閣の補佐に務めて貰いたい」
――東久邇宮内閣。
1941年末、第3次近衛内閣総辞職を受け、後継首相として名が挙がったのが、皇族であり、陸軍大将でもある東久邇宮稔彦王だった。当時、日米開戦直前の大日本帝国では、政治が混迷を極めていた。そんな中、皇族の立場を利用して内外からの危機を押さえようという構想が立ち上がり、結果として誕生したのがこの東久邇宮内閣の組閣計画であった。この組閣に対し、近衛や東條、更には海軍までもが支持したのだが、皇室に累を及ぼさぬようにとする木戸幸一内相らの反対運動により、同組閣は潰えてしまうのだ。結局、東久邇宮内閣が実際に組閣されたのは、終戦から3日後の1945年8月17日だった。
「それは光栄だが……」近衛は不安げな表情を浮かべて言った。「木戸さん達をどうやって説得するつもりだね? 果たしてウンと言ってくるだろうか……」
「それは心配あるまい」
米内は答えた。「木戸も『大和会』に多少関わっている。納得してくれる筈だ」
「なら、安心だがね」近衛は言った。「しかし、それなら陸軍も呼ぶべきでは無かったか? 陸海軍の連携が重要であることは、ラジオや新聞を通じてのみ戦争を観てきた私でさえ知っている。ソ連亡き今、陸海軍がいがみ合う理由も無かった筈だ」
ソ連が敗北を喫した今、確かに陸海軍はいがみ合う理由が無くなっていた。これまで陸軍はソ連を、海軍は米国を仮想敵国としてその違いから、いがみ合っていた。しかし、ソ連が解体され、残る共産主義者らはモンゴル奥地に潜伏している。
「ソ連が解体された今、共産主義の敗北は必至だろう」それこそ、近衛が望んでいたことであった。共産主義を断固として憎む彼は、史実でも徹底的なまでの共産主義者の粛清を画策していた「だが近年、『大和会』における海軍の影響力は逆に減退している。理由は言うまでもないが、対ソ戦争で勝利に次ぐ勝利を重ね、天狗になっておる陸軍連中の離反的行為のせいだ」
それを聞いていた藤伊は静かに頷いた。
「閣下。私はまず陸海軍を分離し、海軍における協力体制の盤石化を推し進めることにしました。だから次は、陸軍の順番なのです。ソ連という仮想敵国が消滅した今、それを叶えることは十分に可能でしょう……しかし、数十年に渡る陸海軍の不仲を、完全に解消させられるとは思っていません」
「――ですが、やらねばならんのです」藤伊は凄みの効いた声色で言い放った。
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