第114話 風雲急を告げ……(後)
第114話『風雲急を告げ……(後)』
1945年4月5日
ソビエト社会主義共和国連邦/チュクチ民族管区
B-25『ミッチェル』双発爆撃機の大編隊は、沿岸部に築かれたソ連軍海岸堡を破壊すべく、轟音を響かせながら首都アナディリ上空に現れた。通称『オマハ・ビーチ』――と呼ばれたその米軍上陸地点には、ソ連極東方面軍アナディリ守備隊が設置した海岸防衛線が約5kmに渡って築かれており、米陸軍は上陸作戦の障害となるそれを排除すべく、B-25の大編隊を送り込んだのだ。計350機にも及ぶB-25は、陽光を背に受け、悠然とその姿を現した。そのB-25はしばらく上空を闊歩し、やがて低空飛行に入る。高度2000mという低高度を維持しつつ、爆撃態勢を整えていくB-25。それを迎撃すべく、高射砲陣地が火を噴き、草原の滑走路から邀撃戦闘機が飛び立った。B-25の飛行空域には、I-16やYak-1、La-5といったソ連空軍の新旧戦闘機が入り混じり、一度大空中戦が幕を開ける。閃光が、衝撃が、爆音が迸り、大気を揺るがした。1機、また1機とB-25は撃墜されていくが、その数が減ることはなかった。
数十分後、B-25大編隊の行く手には、地肌が剥き出しとなった渓谷が現れ、その河川の下流口となる海岸部に陽光に輝く荒地が顔を覗かせた。――海岸堡が見える。灰色の砂地に巧妙に隠された塹壕群や、コンクリート製の要塞砲陣地だ。
「爆撃目標が見えたッ! 爆弾倉開けッッ!!」
B-25の一機、B-25Gの操縦席には、米陸軍航空軍のジミー・H・ドゥーリットル大佐の姿があった。彼は史実、『ドゥーリットル空襲』で知られる帝都東京の爆撃成功により、一躍名誉と名声を得た人物である。その成功には、シュナイダーカップ等で培われたレース・パイロットとしての度胸と技術が関係していることは、言うまでもない。
「サー、大佐!!」
ドゥーリットル大佐の下命に、爆撃手は高らかな返答を返した。
B-25は『オマハ・ビーチ』海岸堡の頭上を高速で通過した。そしてその腹が大きく開き、十数個の250kg爆弾がばら撒かれた。計1万発の爆弾と焼夷弾は、紺碧の空を背景に真っ逆さまに落ち、地面へと近付いていった。刹那、そこで無数の閃光が迸り、爆煙が噴き上がった。爆煙は潮の煙霧と混じり合って熱を失い、ただ海岸線上に黒煙を滞留させるのみとなっていた。その間、B-25は急上昇し、邀撃戦闘機が機体に迫るより先に、雲の彼方に消え去った。
「B-25が道を切り拓いた。今度は我々の出番だ」
頭上を過ぎ去るB-25の黒い輪郭を見張っていた第28歩兵師団副長ノーマン・コータ陸軍少将は、首に紐で吊るした双眼鏡を下ろし、静かに呟いた。彼が腰を据えるは、ニューメキシコ級戦艦第3番艦『アイダホ』艦橋。淡い霧のヴェール越しに、すり鉢のようになった峻厳なる灰色の大地が見える。第3艦隊と陸軍航空軍による艦砲射撃・空爆を受けた結果だ。
「Go! Go! Go!」
そして次の瞬間、海岸線上に無数の上陸用舟艇が殺到した。艦砲は止み、B-25の往来は中断される。と同時に、LST-1級戦車揚陸艦が次々と海岸に乗り上げ、M4『シャーマン』中戦車を放出した。艦首の扉は観音開きの形で開閉するよう設計されており、LST-1級は迅速な戦車揚陸作業を可能としていた。これは史実、ドイツ軍による侵略に危機感を示していたイギリス側が、“大陸反攻作戦”の一環として欲していたものを米側が請け負い、完成させたものである。しかし今物語では、米陸軍独自の『対外戦略』の一環として考案され、完成していた。
「おお……」
そんな中、第28歩兵師団長コータ少将とともに、戦艦『アイダホ』艦橋でこの世紀の大上陸作戦を見物していたジョージ・S・パットン中将は、思わず唸った。生粋の猛将として知られるこの男は、M4中戦車やM3『スチュアート』軽戦車が怒涛の如く敵海岸堡に押し寄せるのを見て、まるで新しい玩具を与えられた子供のようにはしゃいでいた。無理も無い。自らを『英雄』と信じて疑わないこの男は、英雄が英雄足り得る地――戦場を常日頃から欲していたのだ。先の『第二次米墨戦争』でも、彼の英雄に対する並々ならぬ願望と野心はほぼ剥き出しとなっていた。持てるガソリンを使い切るだけ使い切り、他の誰よりも深く敵地深部に攻め込む。それがジョージ・S・パットンだからこそ、成し得られる業だった。結果、第二次米墨戦争で多大な戦果を挙げたパットンは、米陸軍最精鋭の『第1軍』を任せられ、極東派遣軍総司令官ドワイト・D・アイゼンハワーの直轄下に入ることになっていた。
「ファイアッッッ!!」
射撃所に軽快な鐘の音が鳴り響く。と、次の瞬間、パットンは我を忘れてその言葉を発していた。刹那、戦艦『アイダホ』の50口径36.5cm主砲が、天を衝く咆哮を轟かせた。主砲36.5cm砲4基12門の斉射の威力は絶大だった。その爆風は艦体を小さく傾けさせ、12発の砲弾は運動エネルギーをその身に帯びながら、ソ連軍の中型要塞施設を跡形も無く吹き飛ばした。コンクリートの雨が降り注ぎ、黒煙が太い柱となって聳え立つ。その威力の程に、パットンは満足そうな笑みを浮かべていたが、左隣に立つ戦艦『アイダホ』艦長は終始唖然としていた。海軍においては何の指揮権も持たないパットンの号令により、戦艦『アイダホ』が砲撃を加えてしまったからである。
「まずまずだな」
そんな艦長を差し置いて、パットンは自らの戦果に頷いた。
「戦況は?」
パットンは副官のベンジャミン・D・ゴメス少将に訊いた。
「上陸予定地点5箇所での上陸作戦は、全て円滑に進んでいる状況です」ゴメスは言った。「米陸軍航空軍司令部からの報告によると、敵航空戦力の大半はこの2~3時間のうちに殲滅され、制空権は既に我が方にあるとの事。また我が方が数時間前に展開しました偵察機及び哨戒機ですが、そのうち2機との連絡が取れませんが、他の機は任務を続行しており、逐次報告が入っております」
その偵察機からの報告によると、敵は海岸の防衛線を既に放棄しており、アナディリ市街地まで後退したということだった。ソ連軍はそこで最終防衛線を敷き、ゲリラ戦術を駆使した市街戦で抵抗を続けるらしい。その報を知った米陸軍航空軍総司令官ヘンリー・H・アーノルド大将は、既にアラスカとアリューシャンからB-17『フライングフォートレス』とB-29『スーパーフォートレス』からなる戦略爆撃機編隊を出撃させており、1時間後には大規模な空襲がアナディリを始め、チュクチ民族管区の各都市で実行に移されるということだった。また、これに連動した形で米海軍も艦載機による攻撃を実施するというから、死に物狂いで後退するソ連軍にとっては酷な話だろう。
「イワン共を1人残らず消し炭にしてやれッ! 俺が許す」
反共意識の強いパットンは、顔を醜く歪ませて傲然と言い放った。
さて、『血のオマハ』と史実では呼ばれた『オマハ・ビーチ』だが、確かに血に染まっていた。もっとも、紅きソ連兵の血によって――ではあるが。元々、このチュクチには約15万名のソ連極東方面軍駐留戦力が展開していたのだが、米軍のそれは102万名と、戦力差は圧倒的に開いていた。そこに西部から増援として約5万名の兵力が抽出、派兵されていたのだが、それでもソ連軍の総兵力は約20万名に満たなかった。そこでソ連極東軍はこの海岸防衛線をカバーし切れないと早々に放棄。海岸防衛線の兵力の一部を後退させつつも、その大半を海岸防衛線に留まらせ、『絶対死守』の命令を下していたのだ。これは実質的に言えば、“見捨てられた”も同然の命令であった。
しかし、米軍の圧倒的な航空・海軍戦力と物量に勝る上陸部隊の攻勢を前に、絶対死守を命じられていたソ連軍部隊は歯が立たず、一方的に蹂躙されることとなった。海岸に殺到する米兵に対し、機関銃や重砲が火を噴いたが、その持ち弾よりも米兵の数が上回っているのは言うまでも無かった。砲爆撃と上陸部隊による飽和攻撃を受け、ソ連軍部隊は総崩れとなり、海岸防衛線を巡る戦闘は――僅か数時間で終結してしまったのである。
「閣下、各師団からの戦況報告が入ってきました」
第1軍副官のベンジャミン・D・ゴメス少将は、分厚い書類を手にパットンの下を訪れた。彼らは今、ソ連兵の血に紅く染まった『オマハ・ビーチ』の上に立っていた。『フォーチュン作戦』開始2日目、4月6日のことである。戦艦『アイダホ』から、海岸上に工兵が設置した第1軍野戦司令部に将旗を移し、司令官たるパットンも移動していたのだ。あまりの呆気無さにパットンを始め、多くの幕僚達が驚いてはいたが、戦争はこれからである。第1軍の戦力をより効率的に運用するためには、より前線に移動しなければならない。そのことを知っているパットンは、一両日中には更に前線へと野戦司令部を進め、移転させるつもりであった。
「『アナディリ攻略作戦』ですが、敵軍は2個戦車師団をアナディリ市街地に展開しており、我が方の機甲部隊が甚大な損害を受けております」ゴメスは渋面を浮かべ、淡々と報告した。「酷い部隊では、保有戦車の2割を2~3時間のうちに失ったとか……」
その時、パットンの瞳に怒りの炎が灯った。
「敵戦車は主力の『T-34』か?」
パットンは訊いた。
ソ連軍の主力中戦車『T-34』の実力は、上陸作戦時から米軍側の知る所となっていた。M4よりも強く、M3ともなれば対抗すら難しい。T-34は“体当たり”といった、不格好な外観同様の粗暴な攻撃を見せるのだが、それが初めて実戦での『戦車戦闘』というものを体験した米軍機甲部隊にとっては、やり難いことこの上なかったのだ。一方、帝国陸軍やEU軍の戦車と数々の実戦を経験している熟練のソ連軍戦車兵達は、このM4という名の『カモ』を相手に、その撃破スコアを稼ぎまくっていたのだ。無論、圧倒的台数を誇るM4を前にして、T-34が最後まで勝ち続けることは無かったのだが。
「それだけならまだしもです。ソ連軍は『KV』や『IS』といった、重戦車を大量に戦線投入していて、各地で重戦車主体の反撃作戦が展開されている状況です。我が方にはこれらの重戦車を撃破出来る戦車が殆ど無く、やられっぱなしとなっております」
特に『IS』重戦車は、米軍にとっては目の上のタンコブのような相手だった。元々、IS重戦車は世界最強のドイツ軍重戦車『ティーガー』や中戦車『パンター』を撃破すべく開発された戦車であり、米軍のM4中戦車はIS重戦車の敵ではなかった。その重装甲はM4の攻撃をものとせず、122mm戦車砲は2000mの距離からでもM4の前面装甲を破壊可能であった。故に、主力戦車たるM4は蹂躙され、米軍内に『ティーガー・ショック』ならぬ、『スターリン・ショック』が起こったのである。
「全く……我が軍の指揮官達は何をしているのだ」パットンは溜め息を吐き、怒りを通り越して呆れ果てた。「ISの数は少ない。正面を切って戦うことを避け、側面に攻め込むなり、航空軍や砲兵部隊に支援を要請するなりすればいいことだろう?」
パットンの言うことはもっともである。米軍には圧倒的な物量があり、それことが最大の強みなのだ。それを使わず、IS重戦車と正面を切って戦うのは自殺行為にも等しい。そんなことを理解せず、ただただ兵と戦車を消耗する指揮官に用は無かった。
「その機甲部隊の指揮官共の名前を教えろ」
「は……?」
ゴメスの間の抜けた返答に、パットンは青筋を立て、怒鳴った。
「その、機甲部隊の、糞ったれ指揮官共の、名前を教えろ、と、言ってるんだあぁぁァァァッ!!」
ようやくパットンの意図を理解したゴメスは、慌てて人事書類の挟まれたクリップボードを取り出した。そこには、多大な損失を被った部隊の指揮官達の名が連なっていた。パットンは、その名簿と戦闘報告書類を交互に見て、淡々と名簿の気に入らない指揮官の名前に鉛筆で横線を刻み込んでいった。その横線は、首を切られること――即ち“更迭”を意味していた。
と、そんな作業を続ける中、パットンは腰元のホルスターに視線を下ろした。そこには、パットン愛用のコルトSSA『ピースメーカー』と、よくしなった鞭の姿があった。パットンは史実、この愛用具のせいで散々な目にあったことがある。今物語ではそれは無かったのだが、短気なパットンの性格上、一触即発の状態であったのは言うまでも無かった。
1945年4月6日。かくして『フォーチュン作戦』は大成功の内に終わった。5箇所の上陸地点を制圧した米軍は、その侵攻の矛先を内陸部へと向けていく。全てはフランクリン・D・ルーズベルト大統領の手に内のことであった。が、そんな彼の命の灯は風前のものとなっていた。そしてそれは、EUとアメリカを敵に回したソ連もまた、同様であった。世界情勢はいよいよ奔流となり、歴史の流れは無数の異なった行き先に向けて、分岐していく。
世は――混沌に満ちていた。
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