第101話 モスクワ攻防戦(中)
第101話『モスクワ攻防戦(中)』
1944年7月20日
ソビエト社会主義共和国連邦/モスクワ州
クラスノゴルスクは首都モスクワ北西の境界に接する町で、モスクワ中心地からもそう遠くなかった。その中核産業は光学機器工場や大型コンクリート工場といった第2次産業で、同町の市民はそこで働く工場労働者がその大半を占めていた。しかしモスクワにEU軍が迫る今、クラスノゴルスクにあった工場の多くはウラル山脈以東へと疎開し、市民達もそれに伴って疎開していた。
「パンツァー・フォー(突撃)!!」
そのクラスノゴルスクの市街地では、『ティーガーⅡ』重戦車とIS-2『スターリン』重戦車が熾烈な砲撃戦を展開していた。この鋼鉄の怪物達が吼える所には、破壊と死が訪れた。ティーガーⅡ重戦車が88mm戦車砲を吼え立たせ、遅れてIS-2重戦車も加農砲を改造した122mm戦車砲で応戦する。重厚な砲弾が、銀色の閃光を煌めかせながら宙を舞い、両者は相撃ちとなった。
「始まったな。少々遅かったか……」
クラスノゴルスク上空では、1機のFi156『シュトルヒ』偵察機が旋回を続けていた。そのFi156機内には、ドイツ陸軍のヒアツィント・シュトラハヴィッツ少将の姿があった。
『戦車伯爵』の異名を持つヒアツィント・シュトラハヴィッツ少将は、上シレジアの古くから続く名門貴族で、ドイツ帝国時代にはドイツ帝国皇帝の親衛部隊に所属していたという輝かしい過去を持つ人物だった。史実の第二次世界大戦では戦車部隊を用いて数々の華々しい勝利を収めた機甲戦の天才であり、柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章を授与された数少ない人間でもあった。このダイヤモンド付騎士鉄十字章は、かのエルヴィン・ロンメルやアルベルト・ケッセルリンク、エーリヒ・ハルトマンが受勲した勲章で、27名しか受賞者のいない勲章だった。
Fi156の機窓の先に市内を走る幹線鉄道が見え始めると、やがて線路沿いにティーガーⅡ重戦車の縦隊が現れ、広場を過ぎたところでようやくクラスノゴルスカヤ駅上空に到着した。シュトラハヴィッツが恐れていたように、ドイツ国防陸軍装甲擲弾兵師団『グロースドイッチュラント』――通称『GD』師団の進軍速度は遅く、時間的余裕をソ連軍に与えてしまっていた。
一方、クラスノゴルスカヤ駅を死守するソ連軍第4親衛戦車師団『カンテミーロフスカヤ』は、駅を含めた数ブロックを要塞化し、ドイツ軍の攻勢に備える態勢を整えていた。そこには熟練のソ連兵1万名、自警団員1万名に加え、徴用された市民多数が、遮蔽物と奇襲に困らない市街地の中で待ち構えている。高い建物に囲まれ、敵の位置も分からないような狭い通りで戦うというのは、考えただけでも恐ろしいことだった。特に最前線に立つことの多いGD師団にしてみれば、その恐ろしさは身に染みていた。
「Il-2!!」
Fi156のパイロットが叫び、小さき鳥の翼は雄大に翻った。4機のIl-2『シュトゥルモヴィーク』戦闘爆撃機が編隊を成し、こちらに襲い掛かってきたのだ。Fi156の一同は思わず身震いした。虎や豹を狩ることの許された――鴉。それがIl-2である。生産機数はJu87の比ではなく、狩ってきた獲物の数もまた同じ。低空飛行で迫り来るこの漆黒の狩人は、地上に蠢く『ティーガーⅠ』重戦車にその狙いを定め、そして襲い掛かった。翼下に搭載された『RS-82』82mmロケット弾計32発を地上のティーガーⅠ重戦車隊に撃ち込んだ。続いて後部機銃手のUB12.7mm旋回機銃が吼え、地上の歩兵を一掃した。重厚な射撃音はリズミカルに響き、ドイツ兵の命を奪っていった。
「応戦しろッ!!」
刹那、1機のIl-2が新たなる獲物を求め、太陽に向かって上昇を開始する。Fi156は騒然となった。同機は偵察機だが、武装を施していない訳ではなかった。シュトラハヴィッツ少将は慌てて後部座席に据え付けられていたMG15機関銃を握り締め、弾薬を装填し、安全装置を解除した。こうべを垂れていたMG15の銃身は上へ向けられ、背後より迫り来るIl-2に定められた。
「喰らえッ! イワン共ぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!」
ナチス製作のプロパガンダ戦争映画の主人公よろしく、シュトラハヴィッツはMG15機関銃を縦横無尽にぶっ放した。途切れ途切れの対空弾幕が形成され、牽制されたIl-2の動きは鈍くなった。Fi156は向う見ずなパイロットの手によって軽快な機動を見せ、Il-2の銃撃をかわし続けた。
「閣下、Fw190です!!」
「何!」
逃げ回るFi156の前に現れたのは、ドイツ空軍主力戦闘機であるFw190だった。軍馬を目指し、設計・開発されたこの戦闘機はすぐさまIl-2とFi156の間に割って入り、ソ連空軍の戦闘爆撃機を牽制した。黒色ペンキでペインティングされたFw190とIl-2の漆黒の翼が交差し、掠れ合う。
先手を取ったのはFw190だった。出力1800馬力を誇るBMW801水冷エンジンが吼え、Il-2を急き立てる。高度6000m以上では著しく能力の低下する同エンジンも、低空で繰り広げられるこの空中戦では十分な威力を発揮していた。次の瞬間、MG151/20mm機関砲2門が咆哮し、Il-2の重厚な翼に鋼鉄のシャワーを浴びせ掛けた。そのIl-2の主翼は無残に吹き飛ばされ、醜い弾痕に満たされる。制御の効かなくなったIl-2は錐揉みを始め、そのまま地面に突っ込んでいった。
「フォッケウルフに感謝だ」
シュトラハヴィッツはそう言いつつ、深い溜息を吐いた。
GD師団戦車連隊第9中隊は、連隊の他の中隊とともに進軍した。第3中隊は『ティーガーⅠ』重戦車を主力とするが、鹵獲したT-34中戦車やIS-2『スターリン』重戦車によって編制されている変わり種の戦車部隊だった。なんでもドイツ本国におけるティーガーⅠの生産が戦争の推移に追い付かず、その補填として鹵獲戦車が代用されているとのことだった。
第9中隊所属のオットー・カリウス中尉は、“鋼鉄の虎”こと『ティーガーⅠ』重戦車を気に入っていた。IS-2重戦車は狭く息苦しい上に命中精度が低い。『ティーガーⅡ』は攻防ともに最優秀だったが、戦車の要たる“機動力”に欠けていて嫌いだった。攻防速に優れた『パンター』中戦車には惹かれていたが、やはり1年に渡って苦楽を共にしてきたティーガーⅠの魅力には負ける。カリウスはそんなことを考えながら、第9中隊の戦友達とともにクラスノゴルスカヤ駅を目指し、前進していた。
数分後、カチューシャのロケット弾が100発ばかり、カリウス達の頭上を唸りを上げて飛んできた。『スターリンのオルガン』と称されるこのロケット兵器は、威力こそ絶大だが命中精度はお粗末なもので、まるで自分達を避けるようにしてロケット弾は着弾し、小さな爆発音を轟かせるばかりだった。
カリウス達、第9中隊の肝を冷やしたのはその次の瞬間だった。突如、狭い通りという限られた空間に銃声が谺し、随伴する擲弾兵の頭から鮮血と脳の肉片が噴き出して、汚い路上に飛び散った。彼は声も発さず、がくりと前のめって倒れ込んだ。
一瞬、沈黙が生まれたが、それは次の銃声によって断ち切られた。ソ連軍狙撃兵のモシンナガンM1891/30狙撃銃が再び咆哮し、今度は擲弾兵の右腕を吹き飛ばした。砕け飛んだ右腕は宙を舞い叩き付けられるように地面に落ちた。腕の傷口からは血が噴き出し、両膝がガクリと地面に崩れ落ちた。やがて身体の重心は崩れ、地面に倒れた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!?!?」
刹那、擲弾兵の絶叫が轟き、ティーガーⅠが咆哮する。88mm戦車砲弾が空を切って突き進み、高い建物の一角を吹き飛ばした。『ヒトラーのオルガン』ことStG43自動小銃の咆哮が迸り、複数の閃光が建物の蔭を切り裂いた。闇に、陰に潜む敵と、それに対抗する銃砲撃の閃光。闇と光――それはまるで善悪の対決のようだった。
市街地に隠れ潜む敵からの攻撃は、熾烈だった。道路の陥没した孔や建物内に隠された対戦車砲や、アメリカからの供与によって装備された60mmバズーカ砲が火を噴き、戦車部隊に襲い掛かった。前面装甲においてアメリカの『M4』中戦車やソ連の『T-34』を零距離から喰らっても大丈夫というティーガーⅠでさえ、側面部や足回りの防御は弱かった。そこを市街地戦という限られた戦場の中で狙われれば、後が無いのはティーガー乗りのカリウスも承知のことであった。
物陰から漏れる声。興奮気味に途切れ途切れに響く息の喘ぎ。
それは1人のソ連兵と数匹の犬が織り成す物音だった。
「よーし。良い子だ」
ソ連兵は背中に“何か”を括りつけられた犬の頭を撫でてやった。犬は愛嬌たっぷりに舌を垂らし、尻尾を振って主人の脚元に鼻先を擦り付けた。くんくんと、臭いを嗅ぐその犬は一、二度嗅いだ後、頭を上げて主人の顔を見上げた。
「ほーら……餌の時間だッ!!」
ソ連兵は空腹に耐え切れず、涎を垂らし続ける犬達を必死に宥めながら、その犬達の尻を叩いた。それが“餌”の合図だった。その合図を受けた犬は目を輝かせ、四肢をバタバタと動かすと一気に駆け走った。一方、ソ連兵はStG43の銃撃を避け、一目散の闇の中へと姿を消す。次の瞬間、戦車部隊の前に30匹を超える犬の集団が姿を現した。骨や臭いに釣られてこちらに駆けてくるその犬達の背中には、金属の塊のようなものが背負わされていた。最初は何か分からなかった彼らも、数十mという距離まで近付いた時にはその正体を悟った。
「くそッ!! 地雷犬だぞッ!?」
一人の戦車兵が放ったその言葉は、中隊に戦慄を招いた。
地雷犬――史実でも東部戦線に登場したこの兵器は、第二次世界大戦においても非人道的な兵器の一つに数えられる代物だった。地雷犬は背中に爆薬と起爆スイッチとなる木製レバーを背負っており、攻撃時にはこの木製レバーを垂直に立て、敵戦車の前に解き放つ。犬達はあらかじめ、戦車や装甲車輛の下に餌を置き、餌がそこにあると学習づける訓練を施されていた。つまり、空腹の犬達は戦車の下に餌が信じてそこを目指すわけだ。そして戦車の下に潜り込む際、垂直に立った木製レバーが倒れて起爆スイッチが入る――という仕掛けであった。
どれだけ強靭な装甲を誇る戦車であれ、弱点となる部分は存在する。それが上面と下面である。この地雷犬はそんな弱点の一つである下面を突く兵器であった。
「『フラミンゴ』だ! 『フラミンゴ』を前に出せッ!!」
その命令が下命されてから数分、地雷犬の猛攻は止まなかった。涎を地面まで垂らし、目を血走らせた空腹の地雷犬達は時速40kmものスピードを出していた。機銃掃射で倒される犬も多かったが、それよりも多数の地雷犬がティーガーⅠやT-34の車体下に潜り込み、背中の爆薬を起爆させていた。
ようやくGD戦車連隊第3中隊に所属するⅡ号火炎放射戦車『フラミンゴ』が灼熱の炎を噴き上げた頃には、既に3輌のIS-2、5輌のT-34、そして5輌のティーガーⅠが破壊され、再起不能な状態に陥っていた。言ってみれば、少なくとも13匹の犬の命が失われたことになる。
「犬共ッ! コイツを喰らいやがれぇぇぇッ!!」
Ⅱ号火炎放射戦車『フラミンゴ』は、車体前方両側に旋回式放射塔を搭載した改造戦車である。計2門の火炎放射器が噴き出す火炎放射がまるで“フラミンゴの脚”のように見えることから、そう渾名されたようである。現時点でGD戦車連隊が有する兵器の中で、地雷犬にとっての最大の威力を発揮する兵器であった。二条の火炎放射が犬達の眼前に噴き上がると、犬達はまさに“尻尾を撒いて”逃げ出すという言葉を体現する行動を起こした。
「IS-2!!」
地雷犬に躍起になっているその最中、不意を突いてソ連軍第4親衛戦車師団が攻勢を仕掛けてきた。敵はIS-2を始め、T-34やT-26といった中軽戦車を多数展開し、大規模な戦車戦を仕掛けてきたのである。IS-2重戦車の122mm戦車砲が奏でる重厚な砲撃音。T-34がティーガーⅠ重戦車に体当たりし、巻き起こる爆発音。市街地をちょこまかと動き、GD戦車連隊をおちょくるT-26の駆動音。無数の音が一つの限られた空間のなかで響き、さらに多くの音を生み出していた。
「フォイア(発射)!!」
GD戦車連隊第9中隊長のカリウスは、無線を硬く握り締め、命令を発した。ティーガーⅠ重戦車の主砲、56口径88mm戦車砲が火を噴いた。爆裂音とともに橙色の光が閃いた。相手は同級のIS-2重戦車だったが、その装甲は資源・人員不足によって粗悪で、本来の性能を有していなかった。88mm戦車砲弾はそのIS-2の前面装甲を簡単に吹き飛ばし、砲塔は炎を上げて宙に舞った。
「パンツァー・フォー(突撃)!!」
カリウスの命令一下、ティーガーⅠ重戦車隊は前進を続けた。じりじりと進む、先ほどの攻勢とは打って変わっていた。それは、上空にJu87『シュトゥーカ』の機影が見え、無線によってEU空軍司令部から支援機派遣の連絡を受けていたからである。超低空を駆るJu87の編隊は、250kg爆弾を狭い通りに潜む敵戦車に叩き付け、機銃掃射で敵兵を一掃した。その背後には、イギリス空軍の『ホーカー・タイフーン』戦闘爆撃機の姿があった。翼下にRP-3/60ポンドロケット弾4発を搭載したその戦闘爆撃機は、巷では『ロケットフーン』の異名で通る機体だった。
「敵地上部隊確認。ファイア(発射)!!」
ロケットフーンの翼下から切り離された計48発のRP-3ロケット弾は、唸りを上げて地上に降り注いだ。ロケットモーターが起動し、4枚の羽が回転する。60ポンドの爆薬を詰め込んだ鋼鉄の矢は、次々とソ連軍の頭上に降り注ぎ、戦車と歩兵の命を奪い去った。何しろ単座戦闘機に搭載できるほど軽量でありながら、その威力は巡洋艦に打撃を与えられるほどに高い。そんな打撃力が48倍にもなって一区画へと集中的に降り注いだのだから、その惨状は目を覆うばかりのものであった。
「第9中隊、前進!!」
その間、カリウスと第9中隊は留まるとを知らない。Ju87とホーカー・タイフーンの“ど派手な花火”が終わり、続いて『デハビランド・モスキート』の編隊が上空に現れても、ティーガーⅠの駆動音は鳴り止まなかった。敵の砲火と銃撃を退けつつ、前進を続けたのだ。
1944年7月26日。『モスクワ攻防戦』の前哨戦ともいうべき『クラスノゴルスクの戦い』は、ドイツ軍を始めとするEU軍の圧勝によって幕を閉じた。クラスノゴルスクの陥落はソ連軍モスクワ守備隊にとっては大きな痛手であり、EU軍にとっては重要な鉄道輸送網を確立する結果となった。鉄道の確保により、EU軍はモスクワ戦に必要となる膨大な物資を速やかに供給することが可能となったのである。一方、ソ連軍は戦力の一翼を失う羽目となり、首都防衛の基本戦略を見直す必要に迫られていた。
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