第98話 ジャッジメント作戦(後)
第98話『ジャッジメント作戦(後)』
1944年5月14日
ソビエト社会主義共和国連邦/ウクライナ
EU(ヨーロッパ同盟)軍によるソ連赤軍への一大攻勢――『ジャッジメント作戦』は、5月の開始を以て調な滑り出しを見せていた。レニングラードからソ連軍を一掃せんとする北部戦線。ポーランドからソ連軍を駆逐し、バルト三国とウクライナ南西部に兵を送り込むことでベラルーシ・ウクライナの両国に大包囲網を敷かんとする中央戦線。そしてルーマニアを解放し、ウクライナへと歩を進める――南部戦線。この3つの軍団はさながら、ソ連の腸を抉るようにしてその領土を侵攻し、現地民を共産主義から解放し続けていた。無論、それが建前であることは誰もが承知のことであった。現地民は“解放戦争”のために物資や家、そして土地を差し出した。それに応えるEU軍は、時折反撃の構えを見せてくるソ連軍から現地民を守り、その生命を保障した。
この頃、ソ連の計画経済を担う中核の二国――ベラルーシとウクライナは包囲されていた。両国には多くの資産が眠っており、それはドイツの破綻寸前の国庫を救う重要な財産でもあった。そのためドイツ総統ヒトラーは、中央戦線のEU全軍を総指揮するエルヴィン・ロンメル元帥に対し、その最優先命令を“ソ連軍の殲滅”から“ソ連衛星国からの財産略奪”に変更させていたのである。何しろバルト三国が解放され、南部・北部方面軍が中央方面軍の『エストニア方面軍集団』及び『ウクライナ方面軍集団』に合流したのである。もはやベラルーシとウクライナはソ連本国から完全に切り離された状況下にあり、全土制圧は時間の問題だった。
そんな中、ソ連に対してもっとも深く切り込んだ攻勢を見せていたのが――南部方面軍である。ドイツ、イギリス、フランスのように『冬戦争』に積極的な参入を見せなかったイタリアは、重工業化政策とリビアの資源開発、そして医療サービスの提供やモータリゼーションの発達によって急速な拡大を見せていた。まさに欧州の『眠れる獅子』である。その獅子がイタリア軍を要とする南部方面軍はユーゴスラビア王国を早期に解放。続いてルーマニアを解放し、石油供給線を復活させた。そしてお次が――ウクライナ侵攻であった。
1944年5月14日。EU南部方面軍――“第7軍団”はルーマニア領ベッサラビアに兵を進め、ドニエストル川の渡河を開始した。目指すはウクライナの沿岸都市オデッサである。ルーマニアを解放し、ソ連南部方面軍を撃破したEU第7軍団はその戦力を大幅に増強していた。イタリア軍が1個軍を補強、ルーマニア軍とユーゴスラビア王国軍もこれに加わり、北アフリカや中東からも英仏植民地軍の増援が到着していた。
霧の深い夜明け前、EU第8軍団司令官のバーナード・モントゴメリー大将はAEC『ドーチェスター』装甲指揮車に搭乗し、ドニエストル東岸の小さな村に乗り入れた。藁葺屋根の連なる静かな家並みの中を抜けていくと、ドイツ兵とイタリア兵の詰める小さな検問所があった。だが、AEC装甲指揮車は停められることなく検問所を通過する。その道の先には村の中でも一際大きな邸宅があり、その周囲には無数のテントが張られていた。AEC装甲指揮車は邸宅の前に停まった。モントゴメリー大将は車を後にし、邸宅の中へと入っていく。そこはEU第7軍団の前線司令部であり、ウクライナ侵攻を任されたEU第7軍団の橋頭堡でもあった。
南部方面の総指揮を担うEU第7軍団の最高司令官はイタリア軍のジョヴァンニ・メッセ元帥である。彼は史実、弱い弱いと非難され、侮蔑され続けるイタリア軍にあって唯一、連合国軍が認める名将であった。そして、その彼の指揮下にある将官こそが、モントゴメリー大将だった。
バーナード・モントゴメリー大将はイギリス軍――というEUの中核を担う国の誇り高き軍を指揮する者として、メッセや他の将官達に対して優越感を抱いていた。史実、『砂漠の狐』ことエルヴィン・ロンメル元帥と熾烈なる戦いを繰り広げた彼だが、奇策を講じるロンメルとは対称的に、物事を手堅く押さえるという、とても堅実な男だった。事実、米国の後ろ盾を得て、物量戦を行うことが許された彼は、その圧倒的な数の差を以てドイツ=アフリカ軍団を撃破。ロンメルを北アフリカから追い出している。だがそんな男であるからこそ、奇をてらう作戦を展開することはからっきしであった。その顕著な例は『マーケットガーデン作戦』で、空挺兵によって橋を押さえるというドイツ軍の意表を突いた作戦ではあったが――見事に敗失敗。連合国軍としては稀に見る恥辱的敗北となった。
EU第7軍団司令部の中心的人物は、最高司令官のジョヴァンニ・メッセ元帥。英軍基幹のEU第8軍団(北アフリカ方面管轄だが、今回は中東方面の軍団も編入)司令官のバーナード・モントゴメリー大将。ルーマニア軍第3軍司令官のペトレ・ドゥミトレスク大将。そして『クライスト装甲集団』ことドイツ陸軍第1装甲軍司令官のエヴァルト・フォン・クライスト元帥だった。
そんな将官達の中で、クライストとモントゴメリーはよく似た人物であった。クライストはかのマンシュタインやロンメル、グデーリアンといった名将達にも匹敵する『機甲戦術理論』の第一人者で、その完璧な用兵術から『パンツァークライスト』の渾名を持つ。但し、彼は前述の名将達のような派手な用兵を好まず、モントゴメリーのような堅実で手堅い用兵家であった。
「EU第8軍団司令官のバーナード・モントゴメリーであります」
意気の入ったモントゴメリーの挨拶であったが、一同は素気なく頷いただけだった。
「時間がない。こっちだ」
クライストの言葉に促されたモントゴメリーは、廊下を歩きながら訊いた。「オデッサ攻勢ですか。準備が進んでいないとの報告を聞きましたが……」
「ああ、悪いことにな」
クライストは素気なく言った。「我が軍はこの村から先に進めん。イタリア軍の増援が到着すれば、状況も変わるのだろがな……如何せん、時間と補給が足りんのだ」
「成程……」
モントゴメリーは諦め顔で頷いた。EU第7軍団はルーマニアを解放し、勢いに乗りつつあったが、ソ連南部方面軍の猛烈な反抗と焦土作戦がその勢いを挫いていた。
間もなく、モントゴメリーは作戦指揮室に入った。そこは邸宅の1階にある広い部屋で、以前は食堂として使われていた。そもそもこの邸宅は、この小さな村の村長の家だった。しかしEU軍によって接収され、現在は前線司令部として改装されていた。居間には通信機器が置かれ、書斎には古書の代わりに軍の機密書類の数々が保管された。2つの寝室はメッセ元帥とクライスト元帥の私室となり、この食堂からは食器棚や花瓶が撤去され、作戦指揮室へと改造されている。
そんな作戦指揮室に入ったモントゴメリーに、彼の副官は報告した。
「閣下、英第30軍団のラムズデン中将が到着しました」
「そうか」
モントゴメリーは神経質気味に言った。北アフリカ・中東のEU軍戦力を結集し、編成されたEU第8軍団だが、南部戦線に配置された兵力数はこの時点では約3万名に満たなかった。これは急を要する戦力移動であったことや、ソ連海軍の妨害、そして輸送船や列車の数が足りないことがその要因であった。そのため、兵力は乏しく、機甲戦力に恵まれず、その基幹となっているのも植民地軍だったので、全く充てにならなかったわけである。
「第30軍団は半分も到着していない。それでは意味が無い」
モントゴメリーは渋面を浮かべて言った。「トルコさえ中立を破棄すれば……」
EUとソ連との確執が決定的となり、それが具現化した――『冬戦争』。その開戦直後、トルコはいち早く世界に向けて“中立”を宣言した。この結果、EU軍はトルコの通過やボスポラス海峡の通過(モントレー条約による制限)を許されず、黒海ルートでの南部戦線の補給網確保に苦労することとなった。EU軍は川路や空路を利用し、必要な物資を前線に運び入れてはいたが、それも日々の激戦ですぐに枯渇した。そんな状況から、EU第8軍団は補給が追いつきそうになかったのである。
「座りたまえ、大将」
メッセ元帥は厳かに言い、モントゴメリーを席に着かせた。
「状況説明を」
「はッ!」メッセの副官が立ち上がり、卓上に敷かれた地図を指した。「明朝0600時を以て、我が軍は攻勢を開始します。先鋒はドイツ国防陸軍第1装甲軍(5個装甲師団、4個自動車化歩兵師団、7個歩兵師団)と、我がイタリア第1軍(4個装甲師団、5個自動車化歩兵師団、5個歩兵師団、3個騎兵師団)が務めます。両軍は機甲部隊による電撃的侵攻でオデッサ周辺を奇襲、各軍事拠点を制圧しつつ、オデッサを包囲します。なお第1装甲軍はオデッサの北方、イタリア第1軍は南方に向け、進軍する予定です」
それは計2個軍による大包囲作戦であった。南北にかけて超大な包囲網を形成し、オデッサ周辺に展開するソ連赤軍を追い込もうという寸法だ。
「オデッサの戦略的価値は高い。トルコの問題もあるが、上手くいけば黒海における海上拠点を得ることとなり、補給の面では格段に楽になることは間違いないだろう……」
特に石油を馬鹿喰いする機甲部隊にとって、海上補給路の確保は死活問題であった。確かに隣国ルーマニアは世界有数の原油生産国だが、陸路による輸送量は限られてしまう。第1装甲軍やイタリア第1軍のような、機甲戦力中心の軍としては、海路による燃料輸送は欠かせなかったわけである。
「機甲戦術において、燃料確保は大前提だ。油が無ければ戦車は動かん。燃料補給を欠いた装甲師団は歩兵師団――いや、それ以下の存在となってしまう」
『パンツァークライスト』の渾名を持つ彼は、神妙な顔を浮かべながら言った。
1944年5月15日
ウクライナ/オデッサ
夜半、オデッサへ向かう道は混雑していた。軍用トラックが全ての道路で長い列をつくり、明りを落とした村を唸りを上げて通過して、海岸沿いに北上していた。村人達は寝室の窓辺に茫然と佇み、自分達の眠りを奪った果てしなく続く車の流れを怯えながら見つめていた。
それはドイツ第1装甲軍とイタリア第1軍の大移動であった。Ⅴ号戦車『パンター』が列をなし、星々が煌めく夜空には、数百機にも及ぶP.108戦略爆撃機の大編隊の姿があった。直掩するのはドイツ空軍の至宝、Me262『シュヴァルベ』ジェット戦闘機であり、ソ連空軍のYak-3戦闘機では勝ち目はなかった。狂暴な閃光が迸ったかと思うと、Yak-3は真っ赤に染まり、翼をへし折られて墜ちていった。
轟然と突き進むP.108の爆撃機編隊に“慈悲”の二文字は無かった。P.108の爆弾倉が悲鳴にも似た音を立てて開閉し、くぐもった投下音が機内に響き渡る。
次の瞬間、地上に凄まじい爆発音が轟いた。コンクリート製の建物は粉々に吹き飛ばされ、続けざまに何もかもが壊れるような音が響いて、ついには様々な破片とともに猛然と火柱が噴き上がった。高度2000mの高みを駆るP.108にしても、その爆撃の恐ろしさは伝わってきた。ものが燃える音、焦げた煙の臭い、熱を帯びた上昇気流、そして眼前を真っ赤に染め上げられた――オデッサの光景。燃え盛る建物から溢れ出てきた人の群れは、その建物と同じように紅い。数名のソ連兵が狂ったように天に向けて小銃を発砲し、激昂した表情をP.108に向ける。それはまさに“地獄”の光景。
数時間の空襲の後、焼け野原と化したオデッサの街を囲んだのは、ドイツ第1装甲軍とイタリア第1軍の機甲部隊であった。戦車と火砲の砲口がオデッサに向けられ、次の瞬間には全砲門が火蓋を切った。轟然と放たれた砲弾はオデッサの街に降り注ぐ。大地は抉られ、破片は人々の肉体を貫いた。空を覆い尽くすのは砲弾のみならず、Ju87『シュトゥーカ』急降下爆撃機の機影もあった。Ju87は残り少ないオデッサの機甲戦力を確実に削り取り、ソ連軍守備隊を弱体化させたのである。
「敵機来襲ッ! 対空戦闘用意ッッッ!!」
オデッサ沿岸部でも、激戦は繰り広げられていた。ソ連海軍黒海艦隊の母港、セヴァストポリからオデッサ守備隊の支援任務を帯びて出撃していたスヴェトラーナ級軽巡洋艦『チェルヴォナ・ウクライナ』は、到着から早くもEU軍の“手厚い歓迎”を受けることとなった。Ju87やP.108が上空にその姿を現し、同艦に攻撃を仕掛けてきたのである。
「僚艦『クラースヌィイ・クルィーム』との連携を密にせよ! 対空弾幕を張れッ!」
『チェルヴォナ・ウクライナ』艦橋で、同支援艦隊司令官のカザコフ海軍少将は淡々と命令を下してはいたが、実は激しく動揺していた。ソ連黒海艦隊は極東戦線や北部戦線に向けて、多数の艦艇を提供していたため、戦力が著しく欠けていた。しかも、そのいずれの戦線においても提供した艦艇は帰ってきておらず、撃沈された艦が大半を占めていたのである。実際、『モントレー条約』によって主力艦や航空母艦のボスポラス海峡通過が制限されているこの黒海では、大規模な海戦は起こらないだろうとタカをくくっていたが、航空戦となれば話は別であった。
「もはや巡洋艦など、航空機の敵ではない。我々はウサギも同然なのだ」
カザコフは渋面を浮かべながら言った。セヴァストポリの海軍航空隊は航続距離の観点から充てにはならない。となると、独力で戦わねばならないのだが、それは自殺行為も等しかった。
「報告しますッ! 敵機右舷より接近中ッ!」
見張り員の一人が放ったその悲鳴にも似た声は、カザコフと幕僚の肝を冷やした。
「機種は!?」カザコフは怒気を混じらせ、訊いた。
「4発重爆撃機です、閣下!」
そんな見張り員の報告に一同は騒然となった。
「He177……いや、P.108か。しかし重爆で対艦攻撃とは……」カザコフは唸り、考えた。膨大なペイロードを誇る4発重爆撃機だが、艦艇のような小型の目標物に対する精密爆撃能力は知れている。ジグザグ航行といった回避運動を取れば、十分にやり過ごせるだろう。
だが、その考えは甘かった。
刹那、轟音が艦橋に迸ったかと思うと、前方に水柱が立ち昇ったのだ。
「砲撃ですッ! 至近弾!!」
「くそッ! 敵艦が居るとは聞いてないぞッ!」
カザコフは呪詛の言葉を吐いた。
「違います! あれは重爆からの砲撃です!」
幕僚の言う通り、それはP.108Aが放った砲撃であった。このP.108Aは機首に102mm砲を備えた対艦攻撃型機で、非常に強力な火力を秘めている機体だった。
「そんな馬鹿な……馬鹿なことがあって堪るかッ!!」
カザコフが怒号を飛ばす中、Ju87『シュトゥーカ』急降下爆撃機は不気味な音を轟かせながら、チェルヴォナ・ウクライナの艦橋に迫りつつあった。急角度を付けた降下はJu87の機体を大きく揺さぶったが、肝っ玉の据わったパイロットにとっては問題ではなかった。P.108Aが艦橋直下を通り過ぎようとした次の瞬間、Ju87は胴体下部から懸架していた900kg爆弾を解き放ち、上空に舞い上がった。
刹那――軽巡洋艦『チェルヴォナ・ウクライナ』は悲鳴を上げた。艦橋根元、前部甲板の下で凄まじい轟音が轟き、艦体は激しく揺さぶられた。甲板が吹き飛び、鋼鉄と煤と火の粉が宙に舞い上がった。艦橋はガタガタと崩れ落ち、煙突は根元から折れて海中に没した。そして爆炎は弾薬庫にも到達し、激しい誘爆に繋がった。大爆発とともに砲塔が吹き飛び、裏返しにひっくり返った。また無事だった区画にも、鋼鉄の破片と火の粉が降り注ぎ、二次被害を招いていた。
炎上し、沈みゆくチェルヴォナ・ウクライナの姿はまさに――惨憺たるありさまであった。
1944年5月28日。『オデッサ攻勢』は早くも終結した。圧倒的戦力差と独裁者スターリンへの不信から、国への信奉心を失っていたソ連兵は次々と投降。史実のような抵抗戦は長くは続かなかった。かくして南部戦線は北上。その戦火はオデッサから飛び火し、セヴァストポリやキエフに迫りつつあった。しかしその代償は高く、南部戦線だけでも約5万名の死傷者を数えている。
――ともあれ、5月から始まった『ジャッジメント作戦』は成功裏に幕を閉じた。
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