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第1話:0人の観客と、アスファルトの菫


──アイドルとは、ひどく残酷な偶像だ。


 華やかな布切れを身に纏い、ファンに夢という名の甘い麻薬をばら撒き、対価として彼らの人生を喰らい尽くす。虚構の神様であり、現代の悪魔。

 この極東の島国には、自らを神と騙る者が星の数ほど存在する。しかし、職業欄に「アイドル」と記して税を納められる人間など、ほんの一握りだ。

 圧倒的な実力と、天文学的な確率の運。

 その二つを両手で鷲掴みにできた選ばれし者だけが、スポットライトという名の擬似太陽の下を歩くことが許される。


 そして私たちは──その太陽の光が最も届かない、地下の暗がりに這いつくばって泥水をすする「自称アイドル」だった。


   ***


「──っ、ありがとうございましたーっ!!」


 喉奥(のどおく)から血の味がせり上がる。ひりつく声帯を酷使して放った私の声は、反響することなく黒い防音壁の染みへと吸い込まれていった。

 まばたきをするたび、目元に塗りたくった安物のラメが汗と一緒に流れ落ちる。スポットライトの熱線が、ただ無駄に体力を削り取っていくだけだった。

 フロアには、スタッフによる乾いた拍手の音が二つ、三つ。

 歓声はない。サイリウムの極彩色の光もない。

 最後の拍手が止むと、私たちを包み込んだのは熱気ではなく、頭上を這う古びた空調機の唸り声と、PA席に座るスタッフが気まずさを誤魔化すように鳴らした咳払いの音だけだった。


 対バンの別グループ目当てだった数人の客すら、私たちの出番が来た瞬間に踵を返し、重い防音扉の向こうへ消えていった。誰もいないフロアは、まるで酸素を奪われた深海の底だ。

 プツン、と無機質な音を立てて照明が落ちる。

 荒い息を吐きながら、暗がりの中で三人の視線が交差する。

 全身の毛穴から噴き出した汗が、一瞬にして冷気を帯びた。衣装の安っぽい化学繊維が肌にべったりと張り付き、這い回る虫のような不快な冷たさが骨の髄まで浸透してくる。


「……おつかれ、さまでした」


 誰の耳にも届かないような掠れた声がこぼれ落ちる。

 私たちは逃げるようにステージを下りた。


 カビと、埃と、酸化した化粧品の匂いが濃密に混ざり合う、三畳半の地下楽屋。

 青色の衣装に身を包んだ月白(つきしろ)レイは、パイプ椅子に浅く腰掛け、背筋を凍りついたように伸ばしていた。固く閉じられたまぶたは微かに震え、膝の上に置かれた分厚い洋書の角を、指の関節が白くなるほどの力で握りしめている。他者を拒絶する分厚い装甲のように、その本は彼女の膝の上から離れない。


 黄色の衣装の星名(ほしな)ユナは、前かがみの姿勢でスマートフォンの画面を無機質にスクロールしている。長いネイルが強化ガラスを叩くカツ、カツという音だけが、彼女がそこに存在している証明のようだった。画面の青白い光が、彼女の顔に落ちる濃い隈と、一切の光を宿さない瞳を容赦なく照らし出している。検索窓に打ち込まれた文字列は、何度更新ボタンを押しても真っ白な画面しか返してこない。


 私は──天道(てんどう)アカリは、パイプ椅子の冷たいパイプをただ握りしめることしかできなかった。

 天井の薄暗い蛍光灯が、ジジッ、と羽虫のように鳴く。

 上の階から、次のグループに向けられた地鳴りのような歓声が微かに響いてきた。

 この閉鎖空間に満ちる沈黙が、皮膚を突き破る針のようだ。誰も口を開かない。開いてしまえば、薄氷の上に成り立っていた何かが、決定的に崩れ去ってしまう気がしたからだ。アスファルトの隙間で息を潜める這苔(はいごけ)のように、私たちはただ嵐が過ぎるのを待っていた。


 その時。


──ブブッ。


 三つの端末が、同時に同じ震動を奏でた。

 無機質なバイブ音が、死刑台の階段を上る足音のように響く。

 私は、痙攣しそうになる指先を反対の手で押さえつけながら、メイク台に置かれたスマートフォンに手を伸ばした。


『From:社長』

『件名:【重要】Try-Angleの今後の活動について』


 ロック画面に浮かび上がった無機質な文字の羅列。

 ドクン、と。胸の奥で、心臓が肋骨を乱暴に叩き割るような音を立てた。

 指先が急速に温度を失っていく。誰も、その液晶画面に触れようとはしなかった。タップしてしまえば、あやふやな輪郭を保っていた「終わり」が、逃げ場のない現実として確定してしまう。


「……とりあえず、場所変えよっか!」


 喉にへばりついた砂のような渇きを無理やり飲み込み、私は口角を限界まで引き上げた。裏返りそうになる声帯を無理やり押さえつける。

 レイとユナは、互いに視線を合わせないまま無言で立ち上がり、ひったくるように荷物をまとめた。


 地上へと続く薄暗い階段を駆け上り、重い鉄扉を押し開ける。

 四月の宮杜(みやもり)の夜風が、遠慮なく頬を殴りつけた。羊山(ひつじやま)から吹き下ろす、冬の静刃を隠し持った鋭い風。汗ばんだままの首筋を撫でるその風はあまりにも鋭利で、私たちの体を芯から切り裂くように冷たかった。


***


深夜二十三時。

 宮杜(みやもり)駅前のロータリーを見下ろすファミリーレストラン。蛍光灯の白々しい光が、窓ガラスに反射して私たちの輪郭を薄っぺらく切り取っている。


 プラスチックの皿に山盛りになったフライドポテトは、とうの昔に熱を失っていた。

 空気に触れて酸化した油が回り、しなしなに萎びたそれは、もはや真っ赤なケチャップをすくい上げるためだけの使い捨ての道具だ。私は指先でその一本をつまみ上げ、力なく宙で揺らした。


「……メール、読んだ?」


 向かいのボックス席から、プラスチックのストローを噛み潰す鈍い音が響く。

 星名(ほしな)ユナの声だった。数時間前まで、金髪にピンクのインナーカラーを揺らし、露出の多い衣装でステージを跳ね回っていた「ユナぴ」の残骸。ウィッグを引き剥がした彼女は今、頭からすっぽりと灰色のオーバーサイズのパーカーを被り、首元までファスナーを引き上げている。牛乳瓶の底のように分厚い黒縁眼鏡の奥で、焦点の合わない瞳がスマートフォンの画面だけを這い回っていた。

 テーブルの端には、彼女が大学から持ち込んだ重厚な法学部の専門書が積み上げられ、スマホのスタンド代わりにされている。分厚い表紙が、彼女を現実から隔離する防壁のように見えた。


「まだ見てない」

「そか。アタシも」


 濁った油の匂いを嗅ぎながら、私は萎びたポテトを口に放り込む。じゃがいもの甘みは消え失せ、冷たい脂の塊が舌に張り付いた。ユナは親指の腹で、永遠に更新されないタイムラインを下へ下へと弾き続けている。


「二人とも、いつまでその無意味な逃避行動を続ける気? 早くメールを開きなさい」


 隣の席から、硬質なプラスチックを叩く音がした。

 月白(つきしろ)レイが、膝の上のタブレット端末を私たちの方へ乱暴に押しやる。艶やかな黒髪の姫カットと、フランス人形のように整った造作。しかし、彼女の視線は物理学の数式を解剖する時のような、一切の温度を持たない刃のようだった。

 彼女の小さな指が画面を滑り、先ほどの通知をこじ開ける。


『お疲れ様。やっぱり今のままじゃ厳しいね。六月までに百人動員したライブをしないと契約終了ってことで。ごめんねぇ、うちも厳しくて(泣)』


「(泣)、じゃないわよ……ッ!!」


 ダンッ、と。

 私の掌が、無意識にテーブルの天板を叩いていた。グラスの中の氷が濁った音を立てる。閑散とした店内に木霊した私の声は、ドリンクバーの機械が発する駆動音にすぐに掻き消された。


「あと二ヶ月って……! 今日だって動員数ゼロだよ!? もう何回目の無観客ライブだと思ってるのよ!」

「無観客ライブだから、このタイミングで切られるのよ。アカリ」

「知ってるよ……ッ!!」


 私は深く沈み込み、炭酸の抜けきったジンジャーエールを喉に流し込む。生ぬるい甘味料の味だけが、食道にベタベタと張り付いていく。


「妥当な判断ね。これまでのチケット売上、物販、SNSの広告収入の推移を計算しても、維持費すら回収できていない。損切りは一秒でも早い方が合理的よ。私も、そろそろ就活にリソースを割かないと。アカリもうかうかしてられないんじゃない?」

「えっ、レイちゃん就活してんの!?」

「当たり前でしょ。このまま地下アイドル崩れで市場価値を落とし続けるわけにはいかないわ。……ただでさえ、私はこの外見のせいで、第一印象のバイアスがかかるのだから。この間のウェブ面接でも『妹ちゃんかな?』って。まったく……ッ!」


 レイの瞳の奥で、青白い炎が弾けた。

 彼女は何かを振り払うように、ポテトの山に手を伸ばす。小さな口に何本ものポテトを乱暴に詰め込み、奥歯で粉砕していく。リスのように膨らんだ頬とは裏腹に、彼女がタブレットの角を握りしめる指は、血の気が引いて真っ白になっていた。他人に消費されることへの強烈な拒絶が、その小さな体に満ちている。


「あーあ、詰んだ。マジ詰んだー」


 ユナがテーブルに上半身を突っ伏す。パーカーの袖から覗く、髪色に似合わない派手なネイルアートが施された爪先が、テーブルの木目をガリガリと削り始めた。

 法学部の分厚い教科書に立てかけられたスマホの画面は、真っ暗なままだ。エゴサーチの海には、彼女の存在を証明する欠片すら沈んでいなかった。


 大学一年の春。レイと二人で始めた活動に、二年目でユナが加わった。

 足りないものを補い合い、三つの頂点で形作る『Try-Angle』。

 だが、現実は残酷なほどに均質化された消費社会だ。新しく、より完成された偶像たちが次々とベルトコンベアに乗って流れてきては、私たちを暗がりへと押しやっていく。


 膝の上で、両手の拳を握り込む。

 爪が掌の肉に深く食い込み、鈍い痛みが走る。

 私は、歌が壊滅的に下手だ。でも、踊り続けることしかできない。


──私たちは、いつだって本気だった。


 十年前のあの日、瓦礫の下で失われた体温。私だけがここで呼吸をしているという、吐き気のするような事実。この体を、命を、何者にもなれないまま擦り減らして終わらせるわけにはいかない。


「……諦めないよ、私は」


 声帯から絞り出された微かな振動に、二人の視線が私の顔に突き刺さる。冷え切ったポテトのような瞳の奥に、ほんのわずかな熱が反射したように見えた。


「ほんっと、ウチのリーダーは諦めが悪いねぇ」


 ユナがパーカーのフードを深く被り直し、意地の悪そうな、それでいてどこか泣き出しそうな歪な笑顔を作る。


「まったく、そのエネルギーを少しは音程を合わせるための反復練習に変換できないのかしら。だいたい、事務所の経営が傾いている一因は、貴女がアホみたいな大音量で歌って機材を破壊した損害賠償のせいなのよ!?」

「うわー!! そんなに言わなくてもいいじゃん! 私も頑張ってるんだもーん!」

「貴女は『頑張る』という主観的な精神論だけで物理法則をねじ曲げようとするからタチが悪いのよ!」

「まあまあ、そういうルナちだって、能面みたいな顔で踊るから客席の空気が凍ってたじゃん!」

「なっ……! というかユナ! 貴女はいつまで私のことをその非論理的なあだ名で呼ぶのよ!」

「えー、かわいいじゃーん! 月白だからルナち! んー、アタシってセンスあるぅ~」


 深夜のファミレスの片隅。

 私たちは、泥の中で身を寄せ合うように声を張り上げる。

 私は、山盛りのポテトの中から一番太いものを掴み、無理やり口の奥へ押し込んだ。喉を詰まらせるような油の塊を、胃の腑へと力任せに飲み下す。

 苦しい。重い。でも、こうして胃袋に異物を叩き込んでいないと、自分という存在の輪郭が、希薄な夜の空気に溶けて消えてしまいそうだった。


   ***


「……とはいってもホント、どうすればいいんだろう」


 無意味な解決策の提示と論破の応酬の果てに、テーブの上には手付かずの沈黙だけが残された。

 私は空になったグラスを手に取り、席を立つ。


「いったん休憩しよっか。私、ドリンクバー行ってくる。二人は?」

「私も行くわ。糖分を摂取しないとシナプスが焼き切れる」

「アタシはまだいいやー」


 ユナは顔を上げることもなく、再び分厚い法学部の教科書の陰に潜り込む。


 ドリンクバーの機械から、茶色い液体と氷が暴力的な音を立てて吐き出される。

 両手に冷たいグラスを握りしめて席へ戻ると、ユナはパーカーのフードをさらに深く被り、ワイヤレスイヤホンを片耳だけ押し込んでいた。分厚いレンズの奥で、液晶の人工的な光がチカチカと点滅している。


「ただいま。何見てるの?」

「おかえりー。ニヤチューブでライブ配信。最近の趣味なんだよねぇ、同接〇人の過疎配信の巡回」


 ユナの爪先が、無機質に画面を弾く。


「へー、面白いの?」

「うん。誰も見てない配信のチャット欄に『こん』って一言だけ打って、配信者の声がビクッて裏返るのを見るのが、最高に自分が生きてるって実感するんだ〜」

「悪趣味極まりないわね」


 レイが氷を噛み砕きながら吐き捨てる。

 にゃはは、と歪な笑い声を漏らしながらスワイプを続けていたユナの指が、ふいに、空中で硬直した。


「……どしたの?」

「なんか、変な配信」


 ユナの声音から、先ほどまでのへらへらとした熱が抜け落ちていた。

 吸い寄せられるように、私とレイはテーブルの中央に置かれたスマートフォンの小さな窓を覗き込む。


 画面には、ニヤチューブの生放送枠が表示されている。

 画面右下の視聴者数カウンターは『0』。

 タイトル欄には【MIYA_ROOM】という無機質な文字列だけが鎮座していた。


 そこに映し出されていたのは──圧倒的な、灰色の死だった。


 ひび割れ、ひしゃげたコンクリートの残骸。むき出しになった錆びた鉄筋が、墓標のように無数に突き立っている。太陽の光を完全に遮断する、鉛色の分厚い雲。瓦礫の隙間から這い出すように群生する植物すらも、毒を帯びたようなどす黒い緑色に染まり、生命の温もりを一切放っていない。

 遠くの空を引き裂くようにそびえ立つ、巨大な鉄塔のシルエット。それは、宮杜(みやもり)駅前のシンボルであるテレビ塔の骨組みと酷似していた。だが、その上半分は飴細工のように無残にへし折れ、亡霊の腕のように空に向かって虚しく伸びている。


 色を奪われた、呼吸音すら存在しない世界。

 ただの映像群であるはずなのに、画面越しに見つめているだけで、喉の奥の水分が急速に蒸発していく。


 その果てしなく続く瓦礫の山の頂に──『それ』は座っていた。


 ノイズに塗れ、輪郭が半透明にブレる少女。

 全身を覆う機能的な白い装甲服は、この汚染された風景から完全に隔絶されているようで、それでいて、初めからそこにあるのが当然のように景色へ溶け込んでいた。


「……高度なCG生成、かしら」

「映画のバイラル・マーケティングか何か?」

「でも、なんか……こっち、見てない?」


 ユナの掠れた声が空気に溶けるより早く。

 画面の中の少女が、ギギッ、と機械的な動作でゆっくりと首を傾げた。


 魚眼レンズを通して歪められたような、硝子玉の瞳。

 その視線が、スマートフォンのカメラレンズという物理的な壁を透過し、私たちの網膜を直接射抜く。

 ぞわり、と。全身の産毛が総毛立った。

 一方通行の映像データのはずなのに、そこには明確な『観測者の意思』が実在していた。


『──やっと、繋がった』


 スマートフォンの小さなスピーカーから、チリチリという電子ノイズを引き連れて、鈴を転がしたような澄んだ音声が這い出してくる。


『ねえ。そこで美味しそうなものを食べてる、人たち』


 ガタンッ!

 ユナが弾かれたようにパイプ椅子から飛び退き、スマートフォンが法学部の教科書の上に放り出された。


「ひぃっ……!?」

「ユナ、落ち着きなさい! ただのハッキングよ、まずは電源を落として物理的に遮断を……ッ」


 レイの早口な指示も、語尾がかすかに上ずっている。

 ユナは震える両手でインカメラのレンズを塞ぐように押さえつけ、側面の電源ボタンを何度も乱暴に叩きつけた。しかし、液晶画面は凍りついたように光を放ち続け、少女の姿を映し出し続ける。

 画面の中の少女は、カメラのレンズが塞がれたことなど気にも留めない様子で、不思議な生き物を観察するようにきょろきょろと首を動かした。


『カメラのレンズ、ふさがれちゃった。でも、うん。大丈夫。後ろ姿、見えてるから』

「……はい?」


 思考の接続が切れる。

 私たちがゆっくりと首を後ろへ回すと。


 ドリンクバーの真上。天井の隅に設置された黒いドーム型の防犯カメラ。

 その小さな赤いランプが、人間の瞬きのようなリズムで、ゆっくりと点滅を繰り返していた。


『ふふっ。目が、合ったね』


「「「──ひぃっ!!」」」


 深夜のファミリーレストラン。冷え切ったポテトの隣で、私たちは得体の知れない『未来』に喉元を掴まれていた。


   ***


『落ち着いた? 旧人類は大変。せわしない。心拍数の異常上昇を検知』


 鼓膜を直接撫でるような電子音声。ユナは分厚い法学部の教科書を胸の前に盾のように構え、パーカーのフードの奥で小さく歯の根を鳴らしている。

 レイはシークレットブーツの踵を床に強く押し付け、無理やり背筋を伸ばした。震える指先を隠すようにタブレットの縁を白くなるほど握りしめ、必死に論理の城壁を築こうと虚空に視線を泳がせている。


「ね、ねえ、こいつなんなの!?」

「私に聞かれても未解明の事象よ。物理的法則を完全に逸脱したハッキング手法……」

「ねえ、あなたの名前は?」


 私の口から滑り出た言葉に、画面の中の少女は、記録映像から切り取ったような前時代的なピースサインを作った。


『私はミヤ。Monitor of Irradiance and Yield Analysis System-38。略称、M.I.Y.A。誰もいない世界で、太陽光の放射照度とエネルギーの発電収量のログを、ただひたすらに取り続ける管理AI』


「AI、ですって?」


 レイの瞳孔がわずかに収縮する。彼女は膝の上の分厚い洋書の表紙を無意識になぞりながら、演算速度や通信プロトコルの仮説を早口で反芻し始めた。未知の恐怖を専門用語の羅列という鎧で覆い隠そうとする、彼女なりの痛々しい防衛本能だ。


「えーあいって、なんだっけ?」

「アカリん、流石にそれくらいは知っておかないと……。人工知能だよ」

「おおー、さすがユナちゃん!」

「でも、こんな高度な自律応答……あり得ないわ。チューリングテストを完全に凌駕している」


 二人の声が遠くで響く中、私は画面の中の『ミヤ』から目を逸らすことができなかった。

 完璧に設計された瞬きや、胸の上下による呼吸の模倣。しかし、その網膜の奥には決定的な体温の欠如があった。ひび割れたアスファルトの隙間で、誰に踏まれることもなく、ただ枯れていくのを待つだけの乾ききった野草。彼女の立ち振る舞いからは、そんな静謐な欠落の気配が漂っていた。


『私が名乗った。だからお前たちも名乗れ、旧人類』

「ねぇ、やっぱりこいつウチらのこと舐めてるよね!?」

「まあまあ、ユナちゃん落ち着いて」


 私はユナの震える肩にそっと手を置き、冷え切ったスマートフォンの画面を真っ直ぐに見つめ返した。


「私はアカリ。天道(てんどう)アカリよ。アイドルグループ『Try-Angle』のリーダー!」

『おおっ。アカはアイドルなのか』

「アカじゃなくてアカリッ!」

『Try-Angle……天道アカリ……ログの確認、アーカイブ閲覧……』


 ミヤが虚空に向けて指を弾くと、彼女の周囲に半透明のディスプレイが無数に展開された。その光景は、痩せ細った土壌に根を張り巡らせる植物の毛根や、複雑に絡み合う菌糸体のようだった。ミヤの白く細い指先が、目にも留まらぬ速度でその網目の上を滑り、光の胞子のような残像を散らしていく。


「一体、どんなテクノロジーが基盤になっているの……?」

「アタシにはわかんないや。そもそもミヤがいるのはどこ? てか、旧人類って何? そういう世界観設定? 初見じゃ絶対わかんないって!」


『──あった』


 二人を遮るように、ミヤの指がピタリと止まる。


『落ち着け旧人類。私はミヤ。初めましてだ。Try-Angleの天道アカリと』


 頭上の、ドーム型の防犯カメラの赤いランプが、二回、瞬いた。


『──月白(つきしろ)レイ、星名(ほしな)ユナ』

『私は、お前たちのいる時代から約百年後。人類が消滅した未来から配信中』


 店内を流れていた有線放送の安っぽいポップスが、プツンと途切れた。空調の低い唸り声だけが、足元にねっとりと絡みつく。


『依頼、ある。その世界はあと数十年の命。数十年後、世界から人類は消える。そして世界は崩壊し、こうなる』


 ミヤが背後を指差す。そこにあるのは、果てしなく続く灰色の瓦礫と、汚染された土壌。生命の息吹など微塵も存在しない、完全な静寂の終着点。


『つまらない。退屈』

『だから依頼。この世界を変えて。未来を変えて。そのついでに──』


 ミヤの魚眼レンズのような瞳が、画面越しに私たちの網膜を、そして心臓の奥底を直接射抜いた。


『お前たちの、「解散」っていう未来も変えてやるからさ』


 傲慢で、ひどく機械的で、どこか不器用に作られた表情。

 素性も、原理も、何の確証もない。

 それでも。

 私は、テーブルの下で自分の手首を強く握りしめた。皮膚の下で確かに脈打つ血の巡り。あの日、瓦礫の中で見失わなかった生命の鼓動。

 社長からのメールという名の引導を突きつけられ、どう足掻いても抜け出せなかった泥沼の底に。絶対的なゼロだと思っていた私たちの生存確率に、一筋の、蜘蛛の糸のような亀裂が走った音がした。


最後まで読んでいただきありがとうございます!


ずっと「こんな物語を書いてみたい」という思いがあり、この度初めて執筆に挑戦してみました。至らぬ点もあるかと思いますが、アカリたち3人のリメイクの旅を最後まで描き切りたいと思っています。


もし、「続きが気になる!」「底辺アイドル、頑張れ!」と少しでも思っていただけたら、ブックマークや、下の「☆☆☆☆☆」から評価をいただけると、執筆の凄まじい励みになります!

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