徒然なるままに
閲覧数が100を超えることがあるかないかという程度の存在である私の、しかも物語でもなんでもなく只のエッセイという時点で既に需要は壊滅的に0に近いと思われるが、そもそも私は自分が書きたいと思って自己満足のために小説を書き始めたので、このエッセイに何の生産性もなくても私自身は全く問題ない。
何故こんな意味もメッセージ性もないものを書いているかというと理由は至極単純で、高校生の弟が古文の問題集で徒然草に文句を言っていたからである。曰く、「つれづれなるままに」書いた文章を受験が掛かった高校生に読ませるなよ! と。弟は典型的な理系男子で、数学や物理は驚く程得意なのだが文系科目、特に国語は逆の意味で驚く程の実力だ。得意と不得意が互いの欠点を補い合い、そして長所を相殺し合っている状況なのだ。私自身も理系なので言いたいことは分かるが、授業とは、そして教育とはそういうものだと思う。因みに、私の作品を読んでくださっている数少ない、絶滅危惧種レベルの極々極めて少数の方はご存知かもしれないが、私は理系生物選択だ。物理は苦手……。縁を切れると思ったのに何故か大学で再び物理をやっている今日この頃。
まぁ、それはさておき。呑気に日記を書いていたであろう兼好法師さんが古文の問題が解けないからと言って反論の余地もなく非難されるのも可哀想だと勝手に思ったので、私も「つれづれなるままに」何か書いてみようと思った次第である。
私は高校・大学と弓道を(現在進行形で)やっており、先日もサークルに行ってきたのだが、そこには意味が分からないくらい上手い人もいれば私のようにまぁ形は間違ってはいないが、うん……という人もいる。
さて、ここで弓道用語をざっくり解説。別に覚えなくても構わないが、取り敢えずこのエッセイを読み終わるまでの3分くらいは頭の片隅に小さな椅子を用意してやって欲しい。
・弓手:弓を持つ方の手(左手)
・妻手:手袋みたいなのを付けて弓を引く方の手(右手)
・口割り:弓を引いたときに矢が唇のとこらへんに来ること。大事らしい
・会:弓を引くと言われて大半の人がイメージするあの形を暫くキープすること。長いと良いらしい
この4つが何となーく分かれば、恐らくこの先の私の話も下らないことで悩んでいるなぁとご理解頂けるだろう。
私は筋力がないため現在10kgの弓を引いているのだが(高校のときは12kgだったのに)、弓手の押しが足りないのもそうだが妻手が引き切れないのだ。肘の軌道をサポートしてもらいどうにか定位置(と言って良いのかは分からないが)まで持ってくると、今度は口割りが合わない、(猿腕なので)腕を払う、妻手が潰れている、などなど、1つクリアしたら3つ程新たな問題が出て来るのだ。しかし、私にとって最大の課題は会がないことだ。これは早気とも言い、審査などの際には結構な減点対象になるらしい(あくまで、「らしい」ということをお忘れなく。信憑性については責任を負いかねます)。そのため、別に審査を受ける訳ではないのだが、まずはそちらをどうにかしようと、一旦腕には犠牲になってもらうことにして目下射形を整えることを目指した。その際、友人に動画を撮ってもらったりアドバイスを貰ったりと散々助けてもらった。そして、そんな多大なる(?)努力を経て漸く獲得した会5秒の夢が、翌日には何故か消失していたのだ。
そこで私が詠んだこの一句。
巡り逢ひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな
かの有名な源氏物語の作者、紫式部が詠んだ句だ。小倉百人一首にも入っている。以下、大学に入ってから古文との関わりが絶たれたことでより疎遠になった和歌の(そもそも高校時代から和歌の理解に乏しかった)私の非常にざっくりとした説明。
久し振りに会ったのにもういなくなっちゃうの? すぐ雲に隠れる月みたいだなぁ。
まぁ、要は紫式部は久し振りに会った友人との再会と別れをしみじみと(古文特有ワード!)詠んだのに対し、私は漸く、ようっやく、色々と削った末にやっとの思いで再会した会が翌日にはいなくなっていたという絶望感を詠った訳だ。これを文系の友人に言うと彼女はそれはもう文字通り涙が浮かぶ程に笑って、「今から引こうと思ってたのにこれじゃ引けないよ!」と暫くストーブの前を陣取っていた。
何が言いたいかというと、漸く手に入れたと思っても気付いたときにはなくなっているのが人生だよね、だから気楽にいこうよ、というバイトでしか社会を経験したことのない、果たして人生を語る資格があるのかと疑問を感じざるを得ない大学生からのメッセージだ。最初にメッセージ性などないと言ったが、何しろ兼好法師に倣って「心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく」書き綴っているので、そこはご愛敬ということで。




