第二話
緞帳の前から戻ったら、舞台袖に今日出演する先輩方が揃いも揃ってお出迎えされて焦った。何だったんだろう。だいぶ見守られていたらしい。見守られていたのか、面白半分で見に来たのかは定かではないけど。まあ、見守ってもらっていたということにしよう。
楽屋に戻って備え付けのモニターから舞台の様子を確認する。この劇場でネタを披露できる人は、世の中に名の通った人たちだ。間のとり方やツッコミの強さが絶妙で、見ているだけで勉強になる。普段の無限大では自分たちが披露するネタの確認に必死であまり先輩の漫才を見ることは出来ないから、ここぞとばかりに集中してなにか自分のものにできるところはないか血眼になって探した。気になったツッコミのフレーズは、自分のレパートリーにできるよう口に出して反芻する。画面や舞台を見つめながらボソボソと喋る姿が気持ち悪いとしぃちゃんには言われるけど、これが一番身につくのだ。メモを取れる時は紙に書くこともある。でも必ずしもそうではないから、聞いた瞬間に体に入れ込むように声にして覚えている。
「モラトリアムいる!?」
「はい、ここに居ます。」
いつもと同じようにぶつぶつ先輩のツッコミを呟いていたら、楽屋に勢いよくスタッフさんが駆け込んで私たちの名前を呼んだ。二人同時に扉へ視線を向け、しぃちゃんが代表して返事をする。スタッフさんの焦った表情から、なにかトラブルがあったことは歴然だった。
「急なんだけどネタをやって欲しい。SWEEPERさんが交通事情で到着が遅れそうなんだ。出番を繰り越して最後に持ってくるけど、それでも間が持たない!」
今日出演予定のSWEEPERさんは、大阪にも東京にもレギュラー番組を持っている大先輩だ。朝に大阪の仕事があるということで到着が開演に間に合わないかもしれないとは聞いていた。
「他の方たちのネタを伸ばしたりは出来ないんですか?」
「皆さん既に長尺でお願いしているからこれ以上伸ばすのは難しい。」
香盤表を見ると、今回の出演者はみんな十分程度の時間が枠取られていた。だいたいネタを組み合わせてこの枠を埋めているだろうから、確かにさらに延長するというのは難しいだろう。
だが、私たちにできるだろうか。ネタ合わせすらしっかり出来ていない状態で舞台に立つのは初めてだ。出演者に名前がなく、しかも前説で出てきた芸人が舞台に突然出てきた時のお客さんの反応ってどんな感じなんだろう。想像できなくて、怖い。
「七瀬。」
ぐるぐる考えを巡らせて、何も言葉を発することができなかった。手を組んで無意味に動かす。そんな時間を終わらせるように声を出したのは、しぃちゃんだった。
「やろう。大丈夫。当たって砕けろ、だ。」
一足先に覚悟を決めたしぃちゃんが、私に笑顔でそう言ってくる。しぃちゃんに大丈夫と言われると、本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だ。
「砕けたくはないかな。」
同じように笑って応えれば、後はやりきるのみ。困っている人たちを放っておくのも落ち着かないし、何とかできるのが私たちだけなのなら、できる限りのことをやろう。結果については、終わったあとに考えればいい。
決断してからはバタバタだった。出囃子に何を使っているか、ルミネのデータがあるかどうかを確認する。なければスマホの音源を使ってもらおうと思ったけど、どうやら音響さんの方で準備ができるようだった。それから繋ぐ必要のある時間を計算してもらい、一番合うネタを相談して決める。埋めるべき時間は五分から十分。披露するネタは五分強のカフェデートにした。自分たちのネタの中で十八番と呼べる、自由度の高いネタ。五分以上必要になっても、アドリブでなんとか繋ぐことができるだろう。駆け足でネタ合わせをして、セリフを確認する。一通りさらった後、細かいところを詰めようとした時にスタッフさんに舞台袖に向かうよう呼ばれた。
本番に強いと言われることはよくある。でも余裕があるわけではなくて、むしろ人より緊張はするタイプだと思う。私たちの前にネタを披露しているのは、十六夜さん。ここまで爆笑してきて、お客さんの期待値が上がっている中で、本当に大丈夫だろうか。不安を押し込めるように深呼吸をすれば、舞台上からお二人がはけてくる。
「とちったら助けに行くわ。大丈夫やで。」
東さんはそう言うと、私の背中を優しく叩いてくれた。その強さとお二人の笑顔に勇気付けられる。お礼を言ってしぃちゃんの方に視線を向けると、しぃちゃんも私のことを見つめていた。
「モラトリアムさん、出番です!」
出囃子が流れる。いつも出番前に舞台袖でやるように、手をあげた。
「よろしく。」
「うん、よろしく。」
お互いに片手でハイタッチをして、そのまま握りこむ。これが私たちの出番前のルーティーン。私が前に出て先に舞台上に上がる。
「どうも!モラトリアムです、よろしくお願いします!」
さあ、私たちの戦いの始まりだ。
舞台上に立っている子と、さっき自分が励ました子が同一人物だとは思えない。それくらいモラトリアムは立派に自分の役目を果たしていた。
新人に頼むには荷が重い代役だと思う。そもそもこの劇場の舞台を踏んだことのない状態で、SWEEPERさんの準備が整うまでの繋ぎだなんて。少なくとも、断っても芸人たちは誰も責めなかったんじゃないだろうか。どれだけ難易度の高いことか分かっているから。それでも彼女たちは、大きなリスクを理解しながらも舞台に出ることを決めた。
ふと、こうやって彼女たちの誇張された評判は作り上げられていくのかもしれないと思った。近くで見ていたわけではないが、スタッフから出演を頼まれていた時、どちらかというと戸惑っているように見えた。自分たちに自信を持っているからというより、対処法としてそれしかないと腹をくくっているように見えたのだ。舞台袖で深呼吸をしていた香山さんも、一点を集中して見つめていた椎名さんも、緊張した表情を隠すことは出来ていなかった。舞台に立つのを恐れている様な姿に、思わず言葉をかけてしまうほど。無責任な大丈夫だったと思うが、そんな俺の言葉でも力強く頷いてお礼を言ってくれるような、素直な子たちだ。気合いを入れ直した二人は、出囃子に合わせて舞台に勢いよく飛び出していく。舞台袖で縮こまっていたのが嘘のように堂々と挨拶を始めた。
「どうも!モラトリアムです!よろしくお願いします!先程前説でお会いしましたが、こんなに早く再会できるとは思ってなかったですね。」
「いやいや、本当に!皆さん、緊急事態なんですよ!」
「トリにSWEEPERさんが出演する予定なんですが、交通機関の関係で遅れておりまして。お二人の準備が整うまで、少し私たちのお喋りにお付き合い頂けると嬉しいです。」
会場から拍手が起こった。お客さんが疑問で不安にならず目の前の舞台に集中できるよう、現状の説明を簡単に行うというのは正しい判断だったと思う。掴みはバッチリだ。
そこからは軽快に漫才に入っていく。ネタ自体は荒削りな部分も多いが、若手芸人にはなかなか出せない呼吸の間が、観客や俺たちの心を掴んで離さない。観客の呼吸と二人の呼吸が一致してきて、一体となって熱が高まってくる。それに二人の演技力が高い。芸人には一般の人が思っているより演技力が求められている。それがなかなか難しく、最初の頃はわざとらしくなり観客側からしたら寒いと感じてしまうこともあるが、モラトリアムの漫才はすんなりと頭に入り、笑いのツボをついてくる。
観客席が笑いに包まれている。俺も、隣にいる甲斐も声を立てずとも表情が自然と笑顔になっていた。
「すまん、大丈夫か!?」
「SWEEPERさん到着されました!」
背後から複数人が走ってやってくる。振り返るとSWEEPERのお二人と動線を確保していたスタッフだった。
「モラトリアムていう新人が繋いでくれてます。」
「マジでか!」
福岡さんがギリギリ客席から見えないところから、舞台上のモラトリアムの背中を見る。先輩はこの二人に何を思うのだろうか。
「ホンマに新人?」
「今日、初めてここの前説やったらしいですよ。」
「は?」
正常な反応だろう。実際に今日初めてこの劇場で前説した人間が、アクシデントがあったとしても出番があることなんてありえないし、前説していた人間がこんなに堂々と漫才を披露出来ていることも考えられない。高崎さんも福岡さんの後ろから舞台上を見ている。大人四人が舞台上の女の子たちを見守っているこの状況は、スタッフからしてみたら不思議な光景だろう。
もう一度舞台上の彼女たちに目を向けると、香山さんとちらちら目が合うようになった。もしかしたら彼女は漫才中も時間を確認していたのかもしれない。確かにスタッフに繋いでほしいと言われていた五分は過ぎている。SWEEPERのお二人は簡単にネタ合わせをするために舞台袖に戻っていたから、彼女たちからは到着していることが分からない。ツッコミをする際に不自然にならないように顔を椎名さんの方に向けて、視線で舞台袖を確認しているのか。
「SWEEPERさん、行けそうですか?」
「大丈夫やで!」
福岡さんの言葉と高崎さんの頷きを確認し、香山さんに目を向ける。彼女がこちらを向いて俺と目が合った時、頭の上に両手で丸を作った。それを見た香山さんは表情を変えずに漫才を続ける。でも意図が伝わったことは分かった。表情は変えなかったけれど、目から安心が見えたから。そのまま様子を見ていると、香山さんは椎名さんの肩を四回さりげなく叩く。すると最後の盛り上がりに向かって椎名さんがボケを畳みかけ、それを香山さんが全部回収する。
「…もういい加減にしてください!どうもありがとうございました!」
立派に最後まで漫才をし終えた彼女たちが、出囃子と観客の拍手に包まれながら走ってはけてきた。
「ありがとな!」
入れ違うようにSWEEPERさんの出囃子が鳴り響き、お二人が舞台袖から飛び出していく。すれ違いざまに、福岡さんはモラトリアム二人の頭を軽く撫で、高崎さんは肩を叩いて行った。労いの気持ちが篭っている行動。それを受けて、椎名さんは駆けてきたスピードのまま壁に張りつき、香山さんは徐々にスピードを弛め膝をついてしまった。
「大丈夫か?」
甲斐がだいぶ遠くの壁にめり込んだ椎名さんを迎えに行く。地面に座り込んだまま項垂れて動かない香山さんの横にしゃがみ込めば、弱々しい声が聞こえてきた。
「……もうこんなむちゃくちゃな舞台の立ち方はしたくない。」
「俺かて嫌やわ。でも、ちゃんと出来てたで。お疲れさま。」
未だに上がることのない頭に、ぽんっと手を乗せれば、少し疲労が見えるけれど今までの社交的なものじゃない笑顔を見せてくれて、ああ、やっぱり年相応の女の子だなんて場違いにも思ってしまった。でも許されたい。だって、あまりにも警戒心のない無邪気な笑顔だったんだから。




