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第28話 封筒の角度

午前十時、社内チャットに人事部のアイコンがぽんと浮いた。


佐伯さん、先日の案件対応の件で「表彰候補」に上がっています。詳細は紙で——午後に封筒をお届けします。


(紙で)

胸の奥が少しだけ騒いだ。良いことの気配でも、音は増える。

私は窓を二秒開け、コップの水の残像を1と数える。

掌の点を親指でなぞり、ポストに青紙。《います》


すぐに、隣にも青。《います》

白いカードが落ちた。


《おめでとう。——“良い音”も、時に大きい。二拍目の返事と“角度”で受けましょう》


(角度)

取っ手のない器の渡し方。——一呼吸だけ持ち、次で手放す。

私は頷き、湯を沸かして“白いスープ未満”を作る。蜂蜜は点、微塩はひと粒。

「いただきます」

自分に小さく言い聞かせて、喉の音を静かに下げた。


昼過ぎ、掲示板に新しい紙がぺたり。


【配達の作法】

・日中の封筒は管理人室受けが原則

・各戸への直接投函は二拍目の返事の後に

・夜の配達はご遠慮を


管理人さんの“生活の紙”は、今日もこちら側に寄ってくれる。


十四時半。

廊下の軽い足音。

「人事でーす。——佐伯さん在宅とのこと、管理人室経由でお届けします」

声に一拍置きがある。作法を覚えてくれたらしい。

私は扉を開けない。二拍目で短く返す。

「お願いします」

数分後、管理人さんが封筒を持ってきた。厚手の白、少し重い。

受け取りは角度で。両手で一呼吸だけ持ち、次で手放す。

「おめでとう。ね、踊り場で開けるより、中でね」

「はい」


机に置いて、深呼吸(吸う4、止める4、吐く6)。

封を切ると、印刷の整った辞令と、もう一枚の紙。


【表彰推薦】

・功績:短期の修正救出/周辺コミュニケーションの整備

・【条件付き】今後三ヶ月、並行案件の調整役を兼務できるなら正式決定

・本人の意思確認:本日中に可否を“文書”で


(条件付き)

胸の鈴がちりと鳴って、少し背中が固くなる。

兼務の文字は、音だ。たぶん大きい。

私はカードを取る。


《“条件付き表彰”。兼務の提案あり。——線になりそう》


返事は落ち着いていた。


《点で返しましょう。

・感謝は一行

・現在の“生活の静けさ”を守る旨を一行

・代替案を一行(範囲を限定/期日を区切る)

——線にしない》


(線にしない)

私はペンを取り、下書きを三行で作る。


推薦の礼を一行。


今の品質保証担当として、夜間稼働や無音の一度が必要な生活を守ることを一行。


代替案——「月曜午前のみの相談窓口」としてなら協力できる、と一行。


紙は三行で止めた。

(点で返す/線にしない)

封筒に入れて、管理人室へ。

人事宛のラベル。胸はまだ少し騒ぐが、道は細くできた。


踊り場に戻ると、てんが毛布の縁でくるる。白い石をちょんと触れて、私の足元にすとんと座る。

「ありがと、てん」

猫は目を細め、レモンバームの鉢から0.25だけ香りを借りたような顔をした。


夕方、窓を二秒開ける。

コップの残像を1。

棚の上段に小さな皿。薄く焼いたパンの端に、レモンピールの0.5と微塩の点。


《“良い音”が大きい日の、おやつ未満》

下段にすとんと置かれるのは、白い小瓶。

《背で一度専用:静かなカラメル欠片》

《二拍目で舌に。甘さは終わりで整える》


私は笑い、欠片を二拍目で舌に載せた。

甘さが終わりの印をつけ、胸のざわめきが一段落ちる。


そのとき、スマホの通知が震えた。人事。


拝受。三行のご返答、作法が良いですね。

代替案の「月曜午前のみ相談窓口」で決定とします。表彰は条件なしにて。


(届いた)

私はカードを一枚。


《“点”で届いた。——条件なしの表彰になった》


即座に返事。


《よく出来ました。何も起きないを作る往復は、時に最良の結果を呼びます》


胸の奥で鈴が鳴り、笑いがほどけた。


夜。

合図の丸いシール《今宵》。

インターホンは押さない。扉を少しだけ開けると、燈真が立っていた。

黒のカーディガン。目はいつもよりやわらかい。

「触れます。いい?」

十話の夜と同じ問い。でも今夜は、“祝意の温度”を分ける音。

「……うん。三呼吸だけ」

掌と掌を並べる。重ねない。

三呼吸。(吸う4、止める4、吐く6)×3。

四つ目で距離を戻す。

「おめでとう、ましろ」

「ありがとう、とうま」

名を呼ぶと、結界がやわらかく鳴った。


棚の上下で“白いスープ未満”。

いただきますを小さく重ね、スプーンの背で一度。

足りる夜だ。


「今日の単語は?」

「『角度』」

「じゃあ、私は『三行』」

「良い往復です」

胸の中に椅子が座る。紙が一枚、こちら側に貼られる音がする。


私は今日の“静けさの辞書”を一枚だけ書いた。


《静けさの辞書:

・“良い音”は大きい——二拍目で受ける

・返事は点で(三行)——線にしない

・受け取りは角度——一呼吸だけ持ち、次で手放す

・祝意は並べる掌で三呼吸》


投函して、窓を三秒開ける。

交差点の電子音は灰の点でふっと鈍い。

レモンバームは触らない。ローズマリーを0.25。

掌の点をなぞり、(吸う4、止める4、吐く6)。

眠りの入口は、表彰の紙みたいに薄くて丈夫だった。


「おやすみ、とうま」

「おやすみ、ましろ」


てんが毛布の窪みでくるる。

白い石は三つとも、音を立てずに在る。

——線にしない三行が、甘さを壊さず増やした。


(つづく)

次回予告:第29話「静けさの祝い」——“半分だけいっしょ”のささやかな祝杯。鈴の代わりに無音の一度、プレゼントは“点”で。

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