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第23話 ハーブトーストの朝

土曜、七時三十五分。

窓の右端から指三本のところで、ローズマリーが薄く光っている。左端から指三本のレモンバームは、朝の湿りを0.25だけ返してきた。

踊り場のてんは日向の楕円にすとんと座り、しっぽで空気の拍をぴんと区切る。


ポストに青紙。《います》

隣にも青。《います》

白いカードが落ちた。


《おはよう、ましろ。——“一枚だけ”の朝。八時に棚の上下で。》


私はパンを薄く切り、片面だけ軽くトースト。バターは点に近い薄さで広げ、レモンバームの葉を一枚だけ。指先でしゅと離して、ねじらない。

(香りは0.5。取りすぎないのが礼儀)

蜂蜜は糸を0.5、ほんの一筋だけ。

スープは昨日のミルクティーの名残を踏まえて、牛乳にごく少量の水と塩をひと粒、温度だけ整える“白いスープ未満”。


七時五十八分、窓を三秒開ける。

まぶたに入った光の残像を1と数えて目を閉じる。

掌の点をなぞり、(吸う4、止める4、吐く6)。

棚の上段にトレーをそっと置く。器の縁が棚に触れない距離で、音を置かない。


八時。

「いただきます」

小さく重ねると、下段でも同じ高さの声。

「いただきます」


かじると、トーストの端がさくとも言わないくらいに微細に崩れ、熱にゆるんだ蜂蜜がレモンバームの青い0.5に合流する。

(静かな朝の贅沢)

白いスープ未満を一口。体の音を下げる温度で、喉の奥が水平に整う。


下段に小さな瓶が置かれる気配。

ラベルに《白ごま+塩:砂糖=3:1:1(微粉)》

カード。


《“香りの0.5”のあと、舌に粉の杖を。ひと摘まみ、最後の一口へ。》


私は最後の角に粉を指先で一摘み。

白ごまの丸みが蜂蜜の角を落とし、青い0.5は輪になって、静かに座る。

胸の奥の鈴が、ひとつだけやわらかく鳴った。


「とうま」

呼ぶと、結界が一枚やわらかくなる。

「はい」

「この“0.5”、最初は我慢だと思ってたけど……満ちるね」

「取りすぎないことで、余白が味になる。——君の静けさと同じです」

(反則)

笑いを噛み殺し、白いスープを飲み干す。


食べ終わって、私は棚の上段に小さな紙包みをもう一つ。

中身は薄く焼いたパン屑をさらりと乾かした“静かなクルトン”。


《てん用:匂いだけ見せる“未満”。——食べさせないから、袋のまま》

下段に落ちた返事。


《了解。——“未満”は、守るための線。》


踊り場へ出ると、てんが毛布の縁でくるる。袋を鼻先へ近づけて一秒だけ嗅がせ、すぐ遠ざける。

てんは納得顔で、白い石をちょんと触って香箱になった。

(線はたしかに守れる)


戻る途中、管理人さんが掲示をぺたり。


【週末の朝ごはん】甘い匂いがしたら、どなた様も一秒×数回の換気を。

植木の葉は一枚だけ摘むのが作法。


紙が一枚増えるたび、建物がこちら側になる。


***


昼前。

私は短いカードを書く。


《午後、神社まで“遠回りの散歩未満”しない? 各自出発、鳥居の下で一分だけ同時に立つ。》


返事はすぐ。


《賛成。——“同時に立つ”は、良い往復。》


一時、部屋を出る。鍵は回さない。

鳥居の下で、私と燈真は二歩離れて並ぶ。

風が葉をこすって、しゃりとも言えない音。

私は掌の点をなぞり、(吸う4、止める4、吐く6)。

「ねえ、とうま」

「はい」

「もし“同居未満”をもう一段だけ甘くしたら、どんな形があるかな」

彼は少し考えてから、低い声で答える。

「同時に読む。——同じページを、壁のこちらと向こうで」

「音、出さないで?」

「出さないで。ページのめくりだけを合図に」

胸の鈴が二つ、ちり、ちりと鳴る。

(それ、好き)

「決めよう。来週の夜、一冊。文字数の少ない詩集がいい」

「用意します」


帰り道、管理人さんに会う。

「午後は静かでいいねぇ。猫もご機嫌だ」

「はい。葉っぱは一枚だけが作法だそうで」

「うむ。作法は“静けさの共通語”だよ」

(共通語、メモ)

私は心の手帳に一行書き足した。


***


夕方。

窓を二秒開け、コップの残像を1と数える。

ローズマリーの葉は今日は触らない。代わりに、鉢の表土の小石を三つだけ並び替えて、石の環を少しだけ締める。

棚の上下で合図の丸いシール《今宵》。


夜の“半分だけいっしょ”は、ヨーグルト+蜂蜜0.5+白ごま粉の点。

いただきます、を小さく重ねる。

「今日の単語は?」

「『作法』」

「作法」

「守るためのやわらかい境界。取っ手のない器を人に渡すときの、手の角度のような」

一文が、胸の真ん中に椅子を置く。

私は返す。

「じゃあ、私は『共通語』」

「良い往復です」

声が甘い。結界がやわらぐ。


てんが毛布でくるると鳴き、白い石に前足をちょん。

私はカードを一枚。


《“同時に読む”の詩集、タイトル候補:『眠りの入口』『余白の地図』『作法の本』》


返事。


《『余白の地図』に一票。——ページのめくりは、君の速度で。》


灯りを落とす前、窓を三秒開ける。

交差点の電子音は灰の点でふっと鈍い。

掌の点をなぞり、(吸う4、止める4、吐く6)。

眠りの入口は、今朝のトーストの切り口みたいにまっすぐで、やわらかい。


「おやすみ、とうま」

「おやすみ、ましろ」


同時に読む夜までの、静かな余白が、気持ちよく伸びた。


(つづく)

次回予告:第24話「余白の地図」——“同時に読む”の初めての夜。ページのめくりだけで、距離を壊さず温度を分け合う。

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