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第22話 静けさの手紙

午前、管理人室の掲示板に新しい紙が一枚、磁石で止められていた。

封の切られた白い封筒と一緒に、見やすい字でこう書かれている。


【受領】関係各位より文書到着

・先日の廊下での行為につきお詫び

・今後の確認は管理人室窓口のみ

・鈴等の器具不使用を遵守

・香りの件は生活由来と確認済み


封筒の中には、きちんとした紙。角が折れていない。

管理人さんは、私と燈真にコピーを一部ずつ渡した。

「礼儀が通じる相手で助かるよ。——で、こちらからもお返事を出したい。『静かに暮らす』ってのは、こっちの意思でもあるからね」


(お返事)

胸の奥の鈴が、小さく鳴った。紙は杖だ。往復で強くなる。


「文面、考えようか」

管理人室の四角いテーブル。私は窓を三秒開け、掌の点を親指でなぞってから、椅子に座った。

燈真は黒のカーディガンの袖を少しだけ捲り、ペンを二本、静かに並べる。

「“強く言いすぎない”のが礼儀。“弱く言いすぎない”のが境界」

彼が言う。声は水平だ。


私は下書き用に白い紙を一枚引き寄せ、ゆっくり書き始めた。


風見坂ハイツ管理人室/住民代表より

先般はご配慮の通達を賜りありがとうございます。

本建物では、夜間の静けさと住民の眠りを共通の資産と考え、以下を徹底いたします。

① 来訪は管理人室経由(平日9–18時)。

② 廊下での器具(鈴/拍子木等)不使用。

③ 調査の目的・手段は文書で共有。

④ 甘い香りは、台所作業等の生活由来であり、事実に基づき運用します。

なお、本件については対立を望まず、互いの仕事と生活の線引きを尊重いたします。


ここまで書いて、手を止める。

燈真が横から、静かに一行だけ足した。


追記)眠りは互いに守り合うものと心得ます。


「——好き」思わず口から出た。

「単語が、うるさくないね」

「ましろの字も、うるさくない」

胸の奥で鈴がちりっと鳴る。管理人さんは目を細めて笑い、朱肉を用意した。

「今日はこのまま掲示もしよう。お返事は私から投函しておくよ」


封筒を閉じる前、私は薄い便箋を取り出して、もう一枚小さな手紙を書いた。宛先は管理人さん。


【掲示案】

・“静けさの手紙”は管理人室で閲覧可

・週末の朝は甘い匂いがします(一秒×数回の換気推奨)

・窓辺の植木は右端/左端から指三本


管理人さんが「よし」と頷き、掲示板の角をぺたりと押さえた。

紙が一枚増えるたびに、この建物がこちら側になっていく。


***


昼。

踊り場のてんは毛布の窪みに丸くなり、くるると喉を鳴らす。

私は窓を二秒開け、掌の点をなぞって、白いカードを一枚投函した。


《“静けさの手紙”、出せた。——往復で強くなる感じ》


返事はすぐだ。


《同意。往復は静けさの礼儀。音楽も、呼吸も、往復で整います》


(往復)

胸の中心に単語が座る。

私は小さく笑い、夕方の“半分だけいっしょ”の準備に取りかかった。

今日は台所で音を立てないミルクティー。“0.5”だけシナモン。

火を使う前に、スプーンの背を温めておく。カランと鳴らさないために。


合図の丸いシール《今宵》。

インターホンは押さない。扉を少しだけ開けると、燈真が立っていた。

「文面、ありがとう。——“互いに守り合う”は、君の生活から学んだ言葉です」

「私も。『対立を望まず』は、とうまの声の高さ」

名前を呼ぶと、結界がやわらかく鳴る。


棚の上下で、同じタイミング。

やわらかいミルクティーに、シナモンを0.5。

蜂蜜は点で。

そのまま、いただきますを二人で小さく重ねる。


「ねえ、とうま。お返事、届いたらどうなるかな」

「何も起きないのがいちばん良い。——“何も起きない”を作るのは、案外むずかしい」

「むずかしい?」

「はい。たくさんの往復が、やっと『何も起きない』を作る。風も、紙も、挨拶も」

(たしかに)

私は頷き、掌の点をなぞる。

今夜の結界は、いつもより呼吸がゆっくりだ。

「——君の声が『何も起きない』を作ります」

甘い声が、棚の上下で同じ高さに落ちる。

胸の鈴がひとつ、やさしく鳴った。


***


夜。

管理人室のポストに“静けさの手紙”が投函されたと、チャイムではなくメモで通知が来た。

掲示板の横には、閲覧可の透明ファイル。

私はそれを見て、短く深呼吸(吸う4、止める4、吐く6)。

(紙が、こちらの側を守ってくれる)


部屋に戻ると、棚の上段に白い封筒が一通。宛名は私へ。差出人は——燈真。

開けると、たった一行の手紙。


『“同居未満”の往復を、これからも。』


(反則)

笑いが喉でほどける。

私は同じ便箋で返事を書く。


『“半分だけいっしょ”と“往復”で、何も起きない日々を作ろう。』


封をして、棚へ。

てんが毛布から顔を出して、封筒の角をちょんと触った。

「だめだよ、てん。これは手紙」

くるる。わかったような顔。


灯りを落とす前、窓を三秒開ける。

交差点の電子音は、灰の点のせいでふっと鈍い。

レモンバームは“0.25”。ローズマリーは触らない。

掌の点をなぞり、呼吸の順番。(吸う4、止める4、吐く6)


「とうま、今日の単語は?」

「『往復』」

「じゃあ、私も『往復』」

二度言うと、単語は椅子になって、胸の中にちゃんと座った。


「おやすみ、とうま」

「おやすみ、ましろ」


眠りの入口は、封筒の紙みたいに薄くて丈夫。

音は何も起きない。——それが今夜のいちばんの出来事だ。


(つづく)

第23話「ハーブトーストの朝」——土曜八時、一枚だけの葉で香りを“0.5”。半分だけいっしょの朝ごはん、やさしく前へ。

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