表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/26

第2話 お詫びの夜食

佐伯さえき 真白ましろ:28歳。制作会社の進行管理。寝不足常習。家事は得意、自己評価は低め。


久遠くおん 燈真とうま:見目麗しい外国風の隣人。正体は力を封じられた“魔王”。静けさと規則正しい暮らしが好き。料理が異様に上手。


上司(部長):マイクロマネジメント気味。

朝の光は、静けさに輪郭を与える。

目が覚めた瞬間、体の芯にひんやりとした余白があって、私はしばらく天井を見た。昨日の――魔王。結界。ハーブティー。全部、夢じゃない。机の上に置かれた白い封筒が、証拠みたいに控えめにそこにあった。


表に細い字で《おはようございます。久遠》とある。封を切ると、一枚のメモと小さな布包み。


【静けさのルール/案】

・夜のインターホンは使わない(緊急はポストに赤紙)

・壁は叩かない(必要ならメモ)

・眠れない夜は、深呼吸×10回(方法は裏)

・私は週に三度、空気の手入れに入ります(不在時でも可/鍵は不要)

・何か気づいたら、あなたの言葉で知らせてください


裏面には呼吸のやり方。吸う4秒、止める4秒、吐く6秒。数字は小さく、線はやさしい。

布包みをほどくと、銀色のスプーンが出てきた。柄の先に小さな月の刻印。メモの下にさらに小さな字。


※夜食のスープを置きました。目覚めてすぐは塩分を。よければ、このスプーンで。


「夜食……朝だけど」

冷蔵庫を開けると、タッパーに入った琥珀色のスープ。温めると、玉ねぎと鶏の香りがやわらかく立ち上がった。ひと口、舌に触れた瞬間、肩の力が抜ける。胃が驚かないように細心の穏やかさで作られている。

私は時計を見て、現実に引き戻された。

「やば」

始業まで一時間。洗顔、着替え、メールチェック……玄関を出る直前、ポストに薄いカードが刺さっていた。

《良い一日を。夜、スープの感想を——メモで。》

くすっと笑ってしまう。返事用に、メモ帳をバッグに入れた。


***


昼休み、社内の休憩スペースでカップ麺を前にぼんやりしていると、部長がやって来た。

「佐伯、午後の進行、例の案件は今日先方に全案出しておけ」

「全案、ですか。取捨の確認がまだ——」

「いいから。あと、修正見積りも“さっき言ったとおり”な」

(さっき、言ってないです)

喉まで出かかった言葉は、寸前で飲み込んだ。昨夜の静けさを壊したくなくて。

私は机の引き出しからメモを取り出し、小さく数字を書いた。4—4—6。吸う、止める、吐く。

(夜に話そう。壁一枚向こうの人に)


***


終業は、もう夜の端っこだった。会社を出ると、雨。タクシーを探す気力はない。傘を差してアパートまで歩く。

階段を上がると、隣の扉の前に薄い木箱。ふたに《どうぞ》の紙片。中には、丸パンが二つと、小さな瓶。ラベルは《眠る前のミルクスープ素》。

私は自室に戻り、瓶の指示通りに温めた牛乳に溶かした。甘すぎないバニラと、ほんの少しのカルダモン。体内のざわめきが、ひとつずつ層を落としていくようだ。


机に向かい、メモを書く。


《スープ、とてもやさしかったです。パン、外はカリッと、中はしっとり。あと、ルール、全部賛成。

追伸:今日、会社で4-4-6を試しました。少しだけ、心が静かになりました。ありがとう。 佐伯》


ポストに投函して戻ると、壁の向こうから気配がした。音ではない。静けさが一段、深くなる。

ベッドに入ると、電気を消した暗闇が怖くない。目を閉じる。

呼吸を数えながら、眠りは湯気みたいに私を包んだ。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ