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第11話 祓い屋の呼び鈴

第2章

午前十時、静かなはずの部屋で、音が立った。

チリン、と一度だけ。ドアベルでも、インターホンでもない。薄い金属の、澄みすぎた鈴の音。


(来た)

私は椅子から立ち、窓を三秒だけ開けて呼吸を整える。掌の温度を確かめ、ポストに青紙を差し込んだ。《います》。

ほぼ同時に、隣の投函口にも青が覗く。私はうなずいて、覗き穴をのぞいた。


廊下に二人。二十代の兄と、十代後半くらいの妹。私服だけど整いすぎていて、目だけが仕事の目をしている。妹の手には小さな真鍮の鈴。さっきの音は、きっとそれだ。


「失礼します。環境調査の者です」

兄が名刺を差し出す。会社名は初めて見るが、印刷の新しさで仮名だと分かる。

「最近、この建物で“音”に関する苦情はありませんでしたか」

「音、ですか」

「普通じゃない種類の。甘い匂いを伴うことがあります」


胸の奥がきゅっとした。けれど、声は揺らさない。

「私は特に。静かで助かってます」

妹が私の肩越しに部屋の奥を覗く。

「静かすぎるくらい。……結界の感じがする」

「妹はオカルトが好きでして」兄が苦笑する。「もし何かあれば連絡を」


私は名刺を受け取り、軽く頭を下げて扉を閉めた。鍵は回さない。代わりに机へ戻り、白いカードに書く。


《呼び鈴。二人とも玄関前。匂いの話。いまは帰った。》


すぐに返事。


《ありがとう。今夜、対処を。——呼び鈴は“音の輪”を扉に掛ける術具です。鳴らすと、結界の目が粗い場所が光る。》


(粗い場所)

私は部屋の中心に立ち、視線をゆっくり巡らせる。昨日握り直した“中心”は、掌の奥にまだ温かく残っている。

「大丈夫?」小声で問うと、壁の向こうから、同じ高さの声が返った。

「大丈夫。あなたの静けさは強い。——少しだけ、手を貸して」


夕方、合図の丸いシール《今宵》。私は湯を沸かし、粗塩を小皿に山にして待った。

二十一時、扉を少しだけ開ける。燈真が立っていた。黒のカーディガン、手には白い紙包み。

「これを敷居に。塩と茶葉を混ぜたものです。呼び鈴の“輪”を曇らせる」

「曇らせる?」

「はっきり見えると追って来る。曖昧にすれば、道は分かれやすい」


二人で無言のまま、敷居に細い線を引く。湯気の立つ湯呑みを両手で持ち、私は深呼吸を一つ。

その瞬間——チリン。昼と同じ音が、今度はもっと近くで鳴った。

廊下の影が揺れ、妹の声がする。

「やっぱりここ。甘い」

「焦るな」兄の低い声。「中を荒らすなよ。環境調査って看板、嘘じゃないから」


私は扉から半歩離れ、視線だけで燈真を探す。彼はもういない。気配が薄い。

「ここにいるよ」

壁の向こうから、ほとんど音にならない声。

「あなたの呼吸に合わせて、気配を沈めている。合図を——」

私はポストに青紙を差し直した。ほんの少し押し込み、引く。短いリズム。

(いる/落ち着いて/大丈夫)

壁の向こうで、結界がそれに応えるように、膜を一枚増した。


「失礼します」

兄の声。ノックは礼儀正しい。それでも、開けない。私たちのルールに、夜のインターホン禁止と同じくらい大事な項目を、今ここで足す。

——“緊急でない訪問には、明日答える”。


私はメモを投函口から滑らせた。


《在宅勤務中。明日、管理人さん同席でお話します。》


廊下で小さな沈黙。やがて、妹が舌打ちに似た息を漏らした。

「逃げない匂い。……撤退」

兄が鈴を一度だけ鳴らし、足音が階段に遠ざかる。

鈴の輪は、塩の線の上で曇ったまま、音を置いていった。


扉を完全に閉めると、膝から力が抜ける。

すぐにポストへ白いカード。


《追い返せた。あなた、どこにいたの》

《“あなたの静けさの影”に隠れました。とても居心地がいい》


変なところで照れが来て、私は湯呑みを口元に運ぶ。

「怖かった?」

「少し。でも、“明日答える”って決めたら、怖さが縮んだ」

「正しい。眠りの前に、戦いは置かない」


しばらく、壁を挟んで黙って座る。

やがて、彼が言った。

「明日は本当に管理人さん同席で話しましょう。私も同席します。人として」

「人として?」

「ええ。魔王は置いていく。静けさを求める普通の隣人として、彼らの“仕事”の範囲を確かめる」


「……行ってきます、って言いたい気分」

「明日、言ってください。——それと、これを」

投函口から、小さな紙包みが滑り落ちる。中にはレモンと蜂蜜ののど飴。

「呼び鈴の音は、喉に残ります。甘さには甘さを。怖れは塩で、疲れは糖で中和する」


私はひとつ口に放り込む。

酸っぱさが広がって、肩がほどけた。

「おかえり」

口から出た言葉に、自分で驚く。

向こう側で、彼が微かに笑った気配がした。

「ただいま」


窓を三秒開ける。夜風は冷たく、でも牙はない。

掌の温度を杖に、私はベッドに入る。

鈴の音は、もう遠い。

眠りに落ちる直前、壁越しに、低い声がやさしく降りた。


「——おやすみ、真白さん」

「おやすみ、燈真さん」


(つづく)

次回予告:第12話「静けさの交渉」——管理人さん立会いで祓い屋兄妹と対面。“人として”の距離を測る。

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