第10話 手の温度
◆1
昼間、管理人さんと立ち話をした。
最近、この辺りに“祓い屋風”の若い二人が出入りしているらしい。取材のふりが上手だ、と。
私は笑って頷き、心の中で赤紙の場所を確認した。ポストの脇、いつでも届く位置。
◆2
夕方、扉の前に白いカード。
《今夜、結界の中心を握り直します。——二人で。手を重ねるだけです。》
私は部屋の中心に立った。
扉が開き、燈真が入る。靴を静かに揃え、手を洗い、私の前で立ち止まる。
「触れます。いいですか」
「……うん」
彼の手が、私の両手を包んだ。
驚くほど、温かい。
空気の膜が、指の間で音もなく伸びていく。
「中心は、ここ。——あなたの掌」
「私の?」
「はい。私の結界は、あなたの眠りの形を借りて成り立つ。だから、中心はあなたに置くのが良い」
言葉が胸の深いところに落ちる。
「怖くない」
「怖くない」
◆3
外で、足音。兄妹だ。
「香りが濃い。すぐそこ」
「静かすぎる。何かの結界だ」
燈真は目を閉じ、私の手を包んだまま、低く静かに言葉を紡いだ。
音ではない、意味だけの言葉。
結界が、ほの白い膜を重ねる。
扉の前で足音が止まり、やがて離れていく。
「……今夜は、これで」
「うん」
◆4
手は、まだ重なっている。
離せばいいのに、どちらも離さない。
「真白さん」
「うん」
「ありがとう」
「こちらこそ」
「あなたが“ここに居る”と選んでくれて、嬉しかった」
「私、臆病だけど、逃げたくない場所もあるんだって、わかった」
彼は小さく息を吐き、言葉を選ぶみたいに間を置く。
「私は魔王です。人ではない。——それでも、あなたの眠りを守ることを、生活と言いたい」
涙が出るのは、きっと今日は二度目だ。
「それ、好き」
「好き?」
「言い方が。生活って言葉、好き。……あなたのことも、たぶん」
言ってから、心臓が派手に跳ねた。
燈真は、驚いたように目を瞬いて、ゆっくり笑う。
「——おやすみなさい」
「おやすみなさい」
手を離す。
でも、温度は残った。
ベッドに入ると、結界は新しい形で部屋を包み、窓の外の世界がただの風景になる。
眠りに落ちる寸前、私は思う。
“好き”という言葉の形は、静けさを壊さない。むしろ、少し厚くしてくれる。
(第1章 終)
次回予告:第11話「祓い屋の呼び鈴」——兄妹が正面から訪ねてくる。二人の日常は、壊れずに進む。