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黄色いお米と、ありがとうの気持ち

作者: あゆみ575

あのころ、わたしはまだ小学生。

1995年の1月、大きな地震がありました。

阪神・淡路大震災――。


いつも見ていたまちの景色が、あっという間にこわれていきました。

おうちも、学校も、いつもの“あたりまえ”が、次々となくなっていきました。


それは、ごはんもおなじでした。


白くてふっくらした、日本のおこめ。

まいにちのように食べていた、やさしい甘みのおこめ。

それが、ぱったりと、食卓からきえてしまったのです。


かわりに出てきたのは、すこし黄色くて、細ながいおこめ。

「タイ米」と呼ばれていました。


はじめて食べたとき、わたしは泣きました。


パサパサしているし、においもちがう。

冷めるとボロボロこぼれて、おにぎりにもならない。


「もう、黄色いお米はいや……」

「日本人なのに、なんで日本のおこめが食べられないの?」


そう言って、わたしはおはしをおきました。


おかあさんは何も言わなかったけれど、さびしそうな顔で、わたしのさらを見つめていました。


でも、それでも、食べるしかありませんでした。

食べものが、かんたんには手に入らなかったから。

学校のきゅうしょくでも、だまってタイ米を食べました。


「食べられるだけありがたい」って、まわりの大人たちは言っていたけど、

小さなわたしの心には、うまくとどかなかったのです。


──


それから、何十年もたちました。


大人になったわたしは、いま、こう思っています。


「お米ひとつぶも、もうぜったいにムダにしない」


炊飯器にのこったごはんは、ていねいにラップして冷凍庫へ。

おにぎりをつくるときは、こぼさないように、そっと手でにぎります。

茶わんを洗うまえに、さいごの一粒までおはしですくって、口に運びます。


あのとき泣いていた小さなわたしは、

いま、「ありがとう」って言いながら、ごはんを食べられる大人になりました。


もったいないオバケなんて、こなくても大丈夫。

だってわたしは、ちゃんと毎日、「ありがとう」って言ってるから。


──


つらかった思い出も、

なみだを流した日も、

ごはんが食べられなかった夜も、


ぜんぶ、ぜんぶ、いまのわたしをつくってくれました。


だから今日もわたしは、

茶わんのさいごの一粒まで、大切にいただきます。

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