第二章 躯素の誓い⑤
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第五節 密謀と覚悟
貴族派による圧政に対し、ついに反撃の意志を固めたアトラは、ゼクトとトワを前に静かに言った。
「……作戦がある。君たちの力を貸してほしい」
薄明かりの灯る小部屋。かつては倉庫として使われていた地下の物置で、三人は顔を付き合わせていた。
「まず、“ちから”のグリフが必要だ」とアトラは続ける。「この国の圧政に対抗するには、それに見合う力が要る。僕はその在処を探る。...君たちは...」
ゼクトとトワが真剣な表情で頷く。
翌日、アトラは街外れで情報を探していた。
手がかりは、ほとんど何もなかった。
焦る気持ちを抑えながら、手当たり次第に人々へ声をかけていたその時――不意に、肩を叩かれる。
振り向くと、そこにいたのは、あの日、街角で出会った老婆だった。
「あの時は……本当に助かったよ。ちゃんとお礼も言えなくて、ずっと気になっていたんだ。ほんの少しでいい、せめてお茶くらいご馳走させておくれ」
アトラは一瞬迷ったものの、その瞳に宿る真剣な想いを見て、首を縦に振った。
老婆の案内で向かったのは、街の外れに佇む小さな家だった。古びた木の扉をくぐると、中からもうひとりの老人がゆっくりと立ち上がった。
「お主が……あの時の若者か。いやぁ、なんと礼を言ってよいものやら……本当に、ありがとうな」
静かで、あたたかい空間。
アトラは礼を返しながら、椅子に腰を下ろした。
「……そんな、大したことはしていません。でも……あの時は、力になれなかった気がして……」
そうアトラが言うと、老爺と老婆は少し驚いたように目を見合わせ、そして穏やかな笑みを浮かべた。
話すうち、彼らはこの地に長く住んできたこと、そして今や年老いて体力も乏しく、細々とした暮らしを続けていることを語ってくれた。
「……もう、昔みたいには動けんからの。物を拾いに行くのも一苦労じゃて」
その静かな言葉には、どこか寂しげな響きがあった。
老婆が湯飲みにお茶を注ぎ、湯気が静かに立ち上る。
アトラはその香りを一息吸い込むと、ふと思い出したように口を開いた。
「……そういえば、一つ、お聞きしたいことがあって」
アトラがグリフの話を切り出すと、老爺は少し驚いたように目を細め、静かに語り始めた。
「山の祠じゃ。昔から伝わっとる。“力の印”はその中にあると……。だが、ただ欲する者には応えん。そう聞いておる。」
アトラは礼を言い、独り山中へと向かった。
***
山中の祠に辿り着いたアトラは、静かな空気の中で手を合わせた。
社の奥、苔むした石の台座。その上に、文字らしき幾何模様が浮かび上がる。
──なぜ、お前は力を欲する?
祠に満ちる無言の問い。
「…....…あんな顔、もう見たくないんだ。変えるんだ。僕が...」
その瞬間、模様が淡く光を放ち、空中に浮かび上がるピース。
しかし──アトラの目はその式の構造を見逃さなかった。
「……ずいぶん、強引な構文だな。複製されたのか?」
ピースに刻まれているのは、力の出力を無理やり増幅させる旧い式構造。瞬発力はあるが、制御性が極端に低く、暴走の恐れもある。
「これじゃ……誰かが怪我をする。いや──使う者を壊す」
彼はそっと手を翳し、式の一部をなぞる。
そして、無意識のうちに言葉を紡いだ。
「……これ、式の出力が偏ってる。こう……制御の区画を書き直した方が……」
アトラは指を動かしながら、無意識に言葉を紡いでいた。
「出力を最適化して、使用者の意思と……同調する形式へ……」
その瞬間、ピースの表層がわずかに揺らぎ、構文が再構成されていく。
ピースが一瞬、揺らいだ。
グリフの構文が再編され、暴力的だった力の波動が、静かに脈動を始める。
それはまるで、アトラの心に寄り添うようだった。
「……これでいい」
アトラが手を伸ばすと、ピースはその手のひらへすっと収まり、淡く輝きを灯した
***
同じ頃、トワは貴族街で動いていた。
彼女が手にしていたのは、グラディウス公爵を騙る偽の文書。
それを使い、上流貴族には「グラディウス自ら主催する宴会」の招待状を。中流以下の貴族には「同盟を結ぶ貴族からの食事会」として、別名義で招待状を送る。
広場の片隅で最後の一通を配り終えると、トワは静かに息を吐いた。
視線の先には、遠くで祠を後にするアトラの姿があった。
(……こっちも、終わったわ)
そう心の中で呟きながら、トワは足早に彼のもとへと向かう。
そして、ピースを手にしたアトラに並びながら、簡潔に状況を伝えた。
「上流が4人、中流が12人。それ以上は来ないはず。貴族派閥の兵士は……最大で54名」
「……上出来だ」アトラは満足げに頷いた。
トワはふと目線を逸らし、「それと……」と呟いた。
「なに?」
「リーネって文官。どうも、ゼクトのことをずっと気にかけてるみたい。周囲の女たちも妙に噂してた」
「……なるほど」
トワは無表情に戻り、話題を切り上げた。
***
一方のゼクトは、旧倉庫に潜入していた。古い爆薬と油を発見し、それを丁寧に詰め替える。
「これで、貴族派の武器庫と屋敷……どちらも吹き飛ばせる」
彼の背後に、リーネが現れる。
文官として働いていた彼女は、ゼクトの脱獄を目撃しても告げ口せず、逆に言った。
「私も、手伝います」
「……なぜ?」
「あなたが助け出されたと聞いたとき、私は“ようやく何かが変わるかもしれない”と思ったんです。あの牢屋、食事も与えられず、見張りも形だけで……。サボってる兵ばかりでしたから」
ゼクトは一瞬言葉に詰まるも、静かに礼を言った。
「ありがとう。……本当に助かる」
火薬の準備をしていたゼクトは、ふと手を止めた。
「お前、子どもの頃から泣き虫で、頑固で……それでも、筋だけは絶対に曲げなかったな」
リーネが不思議そうに笑う。「なんですか、急に」
「……いや、ただ思い出しただけだ」
小さく息を吐いたゼクトは、わずかに笑みを浮かべた。
「大人になると、子どもの頃のまっすぐさが薄れていくもんだが……お前は変わらない。時々こっちが諭されるくらいだ」
「……だからこそ、お前には頼れる」
ゼクトはそう言い残し、ふたたび火薬の袋を担いだ。
作戦は整った。
宴の開始と同時に、全てが動き出す。
──そして、ノルディアの命運を懸けた夜が迫る