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アトラ=リコンフィグ  作者: ホウノ タイガ
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廃都への帰還⑨

今日も覗いてくださってありがとうございます。

暇つぶしにでも、気軽に読んでいってくださいね。

第9節:生と死の狭間で



森は、沈黙していた。

 木々は互いに寄り添い合い、まるで外界を拒むように枝を絡めている。

 鳥の声も、虫の音もない。

 耳を澄ませば、わずかに聞こえるのは三人の足音と、湿った大地を踏む感触だけだった。


 アトラ、トワ、そしてフリード。

 三人は、斜面を登り切った先の森の奥へと、ゆっくりと歩を進めていた。


 朝方の瓦礫を抜けてからすでに一刻以上。

 坂道での奮闘が堪えたのか、フリードの息は荒く、額から汗が滴っていた。

 それでも彼の足取りは止まらない。


(……やっと、俺にもできることがある。守るとか、戦うとか……そういうことじゃなくても。)


 背中の槍が重い。だが、重さが生きている証のように感じた。


 ふいに、トワが小さく呟いた。

「……この森、すごいわね。」


 アトラが周囲を見回す。

「全く音がしない。生き物の気配も薄い。……少し、嫌な静けさだ。」


 言葉を吐いた瞬間、その“静けさ”がより際立った。まるで森そのものが耳を澄ましているようだった。


 フリードが、息を整えながら軽く笑う。

「怖がってんのか? 森なんて慣れりゃどうってことないさ。」


 その軽口に、トワが思わず微笑む。

「頼もしいことを言うのね。」


 森の湿気が、少しだけ和らいだように感じた。


 けれど、次の瞬間――アトラの視線が地面に留まる。

 落ち葉の間に、白いものがいくつも転がっていた。


「……骨だ。」

 しゃがみ込み、手袋越しに拾い上げる。

「小動物だな。……ウサギの骨。新しい。」


 骨は乾ききっておらず、まだ微かに血の匂いが残っている。

 その生々しさが、三人の呼吸を止めた。


「ってことは――」

 フリードの声が途切れた。


 茂みの奥で、黒い影がぬるりと動いた。


 湿った空気を押し分けるようにして、巨大な熊が姿を現す。

 毛並みは荒れ、腹には古い傷跡。血走った目が、赤く光を反射した。


 飢えている。

 その一言で、すべてが理解できた。



「下がれ!!!!!」

 アトラの声が鋭く走る。


 だがフリードの足は地面に縫い付けられたように動かなかった。

 熊と目が合った。

 森の空気が凍る。


 地響きのような咆哮。

 巨大な爪が地面を砕き、熊が一直線に突進してくる。




 フリードは目をぎゅっと閉じた。

 頬を打つ風。迫る殺意。

 死が、息の届く距離にあると分かった。


(やばい……動けない……!)


 心臓が暴れ、喉の奥で呼吸が途切れる。

 頭の中で、過去の自分の声がこだました。


――大丈夫だ! 一撃で狩れば全部解決だろ!

――危なくなったらすぐ逃げるさ!


 愚かな言葉たちが、笑うように蘇る。

 反省も後悔も、一瞬で胸を満たした。

 目尻から、熱い涙がこぼれ落ちる。


 地面に落ちた涙が、泥に吸い込まれたその刹那――


 轟音が止んだ。



 恐る恐る目を開ける。

 目の前で、熊の巨体が動かなくなっていた。

 その首元には、光の刃が突き刺さっている。


 刃の主は、トワだった。


 風が彼女の髪を揺らす。表情には、怒りも誇りもなく、ただ静かな祈りが宿っていた。

 トワは熊の前に跪き、両手を胸の前で合わせる。


「……おい、死んでるのか?」

 フリードが掠れた声で問う。


 トワは小さく頷いた。

「ええ。」


 フリードは息を詰めたまま、彼女の手元を見つめる。

「……なんで、手、合わせてるんだ?」


 トワは熊の亡骸に目を落としたまま、静かに答える。

「この子も生きていた。私たちと同じように、食料を探して、必死に生きていたの。

 ……だから、手を合わせて感謝しているのよ。命をもらうことに。」


 その声は風に溶け、森の奥へと消えていく。

 彼女の横顔は、どこか悲しげで、それでいて凛としていた。


 フリードは何も言えなかった。

 熊の目は、まだわずかに開いている。

 その瞳に映る自分の姿が、ひどく小さく見えた。


(俺……何もできなかった……。)


 喉の奥が焼けるように熱い。

 悔しさとも違う、形のない何かが胸を締めつけた。


 アトラが静かに手をかざした。

「“ながれ”。」


 空気が震え、熊の体から黒い靄がふっと抜けて消えていく。

 その一瞬、腐敗の気配が霧散した。


「……腐敗を防いだ。持ち帰ろう。

 これで、みんなの食料は確保できる。」


 言葉は淡々としていたが、その声の奥にわずかな痛みが滲んでいた。

 命を奪うことの重さを、アトラもまた知っているのだ。


 フリードは静かに熊を見つめている。

 しばらくの沈黙の後、小さな声で呟いた。


「……さっきまで、生きてたんだよな。」


 トワはその言葉に、そっと頷いた。

「そう。生きてたの。だから、忘れないで。」


 フリードは唇を噛みしめた。

 その瞳に、確かな決意の光が宿る。


(次は、俺が守る。誰かが死ぬのを、ただ見てるなんて、もう嫌だ。)


 森の奥から、微かな風が吹き抜けた。

 木々がわずかに揺れ、枝葉の隙間から陽光が差し込む。

 光が熊の亡骸を包み、その輪郭がやさしく霞んでいく。


 トワが小さく微笑む。

「……見送られてるわね。」


 アトラも頷いた。

「そうだね。」


 フリードは空を見上げた。

 深い緑の天蓋の向こうで、雲がゆっくり流れていく。

 森の息吹が、ようやく少しだけ戻ってきたように感じた。


 そのまま三人は、静かに熊を布で包み、運び出す準備を始めた。

 森の中での初めての戦いは、無言の祈りとともに幕を閉じた。


最後まで読んでくださってありがとうございます。

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