廃都への帰還⑧
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第8節:森への出発
湿った空気が、まだ夜の冷たさを残していた。
地上では、雨が止み、崩れた雲の隙間から淡い陽光が差し込んでいる。
それでも、街の輪郭にはまだ死の気配が残っていた。焦げた建物、沈黙した機械、そして、かすかに立ちのぼる蒸気の匂い。
だが、その静けさの中で――新しい一日が始まろうとしていた。
今朝の議論で、全員の役割は決まった。
ゼクトは火の確保、リウネは生存者の捜索。
エリシアは濾過装置の制作。
そして――アトラ、トワ、そして少年の三人は、西の森へ向かうことになった。
「――さて、僕らも森に行こう。」
アトラの言葉が、朝靄の中に響く。
声は穏やかだったが、その奥に宿る緊張を、誰もが感じ取っていた。
アトラとトワは装備を整え、背に小さな荷を背負う。
まだ幼さの残る顔立ちの少年は、古びた槍を握りしめていた。
その手の震えは、恐怖ではなく、抑えきれぬ昂ぶりによるものだった。
昨夜、彼は泣きながら「自分も行きたい」と言った。
誰かを失うたびに、ただ見ていることしかできなかった自分が、ようやく何かを掴みたかったのだろう。
出発の前、アトラは一歩、老人のもとへと近づく。
深く腰を曲げ、枯れ木のような手を、そっと両手で包み込む。
「……あの子は、必ずお返しします。」
言葉は短く、それでいて揺るぎなかった。
老人はしばらく黙っていた。
掠れた息を吐き、やがてその瞳を細める。
「……命を拾ってくれたあんたに、もう何も言えん。
けど、あの子を……頼む。あれはまだ子どもだ。」
アトラはゆっくり頷く。
「分かっています。無茶はさせません。食料を確保したら、すぐ戻ります。」
そう言って立ち上がると、少年が前に出た。
「大丈夫だ! 一撃で狩れば全部解決だろ!」
「それに危なくなったら逃げるさ!」
胸を張り、笑いながら言うその顔には、恐れよりも、焦りのような光があった。
老人は苦い顔をして呟く。
「おまえは、何も分かっとらん……。そんな軽い気持ちで森に入るもんじゃない。」
少年は唇を噛みしめた。
「でもよ、俺だって……! 何かしたいんだ!
何もできないまま、誰かが死ぬのは、もう嫌なんだ!」
声が震えていた。怒りでも反発でもなく、あの日から胸に溜まっていた叫びだった。
アトラは、黙ってその顔を見つめる。
「――じゃあ、行こう。」
アトラは静かに言った。
「僕とトワが一緒だ。怖がらなくていい。でも、命を軽く見ないこと。僕らは“生きる”ために行くんだ。」
その言葉に、少年は一瞬だけ目を見開き、そして小さく頷いた。
トワが背中の荷を締め直しながら、微笑む。
出発の気配が漂う中、彼がふと思い出したように口を開く。
「……あ、そうだ。俺、まだ名前、言ってなかったな。」
アトラとトワが振り向く。
少年は槍の柄を握り直し、少し照れたように言った。
「俺はフリード。……よろしくな。」
それだけ言って、頬をかきながら視線を逸らす。
アトラは微笑んで答えた。
「フリード、よろしくね。これから一緒に頑張ろう。」
「うん。任せとけよ!」
トワも優しく笑う。
「口だけは立派ね。足はちゃんとついてくるかしら?」
「上等だ、お前らこそ遅かったら置いてくからな!」
笑い声が、ようやく重苦しい空気を少しだけ和らげた。
リウネがその様子を見送りながら、どこか心配そうに目を細める。
「アトラ、気をつけて。森の気配が、昨日とは違ってる……。」
「分かってる。無理はさせない。」
ゼクトは無言で親指を立て、背中の荷を担ぎ直した。
アトラも軽く頷き返す。
それだけで、十分だった。
三人は、崩れた街から西へと歩き出す。
焦げた土と、ひしゃげた鉄骨が入り混じる道を、慎重に進んでいく。
足元はぬかるみ、滑れば怪我は免れない。
「くっそ……! 滑る!」
フリードが何度も体勢を崩しながら、必死に進む。
その様子にトワが小さく笑った。
「元気なのはいいけど、無理しないで。転んだら笑えないわよ?」
「だから、必死なんだよ!」
しばらく進むと隕石によって形成された窪みの縁。クレーターの端に到着した。
縁は急勾配の崖のような坂道を作っていた。
アトラは崖のように反りたった坂道に手を当て、縁を見上げた。
雲が切れ、淡い光が、瓦礫の影を溶かしていく。
「トワ、“ちから”を使おう。」
「ええ、分かった。」
二人は掌を重ねるように掲げ、グリフを起動させた。
指先に浮かぶ光の紋章が淡く輝き、身体に力が満ちていく。
一歩で、彼らは崖の上へと跳躍した。
「な、なんだそれ……!? どうやったんだよ!?」
目を丸くするフリードに、アトラが振り向いて答える。
「これは“ちから”のグリフって言って力を一時的に増幅するんだ。」
「へぇ……すげぇ……!」
「そうでしょ」
アトラが少しだけ冗談めかして言うと、トワは笑みを浮かべた。
泥と汗にまみれながら、彼もようやく崖の縁に手をかける。
最後の一歩を踏みしめ、息を切らせて立ち上がった瞬間――目の前に、緑が広がった。
焦げた大地の向こう、霧のような光に包まれた森。
木々は静かに揺れ、どこか懐かしい生命の匂いを運んでくる。
「……これが、森か。」
フリードが呟く。
トワが頷いた。
「そう。まだ生きてるわ。ちゃんと息をしてる。」
アトラは二人の背を見やり、深く息を吸い込む。
焦げた匂いに混じって、かすかな土の香りが胸に沁みた。
「行こう。」
その声に、フリードもトワも頷く。
冷たい風が吹き抜け、三人の外套を揺らした。
その先に待つのが、試練か、希望か――
それは、まだ誰にも分からなかった。
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