廃都への帰還⑦
今日も覗いてくださってありがとうございます。
暇つぶしにでも、気軽に読んでいってくださいね。
第7節:再起の朝
雨が止んだ。
長い夜の果てに、雲間から朝の光がわずかに差し込んでいた。
瓦礫の隙間から入り込む湿気は、冷たく、重く、そしてどこか甘い焦げの匂いを含んでいる。
雷鳴も、呻きも、すべてが遠い幻のように消え失せ、シェルターの中には、息を潜めるような静寂だけが残っていた。
生き残った人々の顔には、疲労と、それでも生き延びたというわずかな安堵が入り混じっている。
手を取り合う者、壁にもたれ眠る者、ただ虚空を見つめる者――それぞれの瞳の奥には、昨夜の絶望の残滓がまだ消えずに揺れていた。
アトラたちは、瓦礫を片付けて確保した狭い会議室のような小部屋に集まっていた。
壁にはひびが走り、天井の蛍光灯は砕け散っている。
それでも、老人が手作業で灯した小さなランプが、薄暗い部屋に柔らかな光を落としていた。
その灯が、まるで「まだここに息がある」と語りかけているように、アトラには見えた。
「……まず、状況を整理しよう。」
アトラが口を開いた。
声は疲労に濁っていたが、どこか静かな確信を帯びていた。
「今、僕たちがこの廃都で生き延びるには、水と食料――そして避難場所の維持が必要だ。どれも一刻を争う。」
トワが頷き、視線を周囲に走らせた。
「そうね、水と食料が優先ね。」
彼女の声には、夜通し人を救い続けた者特有の張り詰めた響きがあった。
アトラは一度目を閉じて息を整えると、隣に座る老人へと向き直る。
「ご老人、勝手に進めてしまい申し訳ありません。でも、みんなの命を守るためにも、今は明確な指針が必要だと思います。この順で進めさせていただけますか。」
老人は、膝の上で皺だらけの手を握りしめ、しばらく目を閉じて考え込んだ。
ランプの灯がその顔の皺を深く照らし、年輪のような影を作る。
やがて、彼は静かに頷いた。
「……あんたたちは、ここを救ってくれた恩人じゃ。わしらにはもう、任せるほかない。すきにやってくれ。」
アトラは深く頭を下げた。
「感謝します。」
その瞬間、ギィと古びた音を立てて扉が勢いよく開いた。
湿った空気とともに、泥の匂いが部屋へ流れ込む。
昨日アトラに食ってかかった少年が、濡れた靴のまま駆け込んできた。
「水なら、外にいっぱいあるじゃないか!」
皆の視線が集まる。
少年は息を荒げたまま、必死に言葉を紡ぐ。
「少しくらい濁ってたって死にゃしない! それに、西のほうには動物がいた! そいつらを狩れば、食料も手に入る!」
その勇ましい言葉に、ゼクトが眉を上げて苦笑した。
「おいおい、簡単に言うなよ坊主。細菌もウイルスも重金属も、口に入れりゃ終わりだぞ。」
だがアトラは、少年の真剣な瞳を見て、そっとゼクトに手で制止の合図を送った。
「……そうだね。うん……悪くない。」
「え?」少年が顔を上げる。
アトラは軽く顎に手を添えた。
「濁った水をそのまま飲むのは危険だけど、濾過や煮沸の方法を工夫すれば使える。――エリシア、使えそうな布や器具を探してもらえる?」
「ええ、すぐに。」
エリシアは裾を整え、迷いなく立ち上がった。
アトラは再び少年に向き直る。
「君の言う“西の動物”って、どんなやつだった?」
少年は一瞬、瞼の裏にその光景を思い浮かべたようだった。
「小さいウサギが何羽もいる!簡単に狩れる!」
その言葉に、老人が椅子を軋ませて立ち上がる。
「馬鹿を言うでない! 命の重みをしらん子供が狩りなんてまだ早い!」
しかし少年は拳を握りしめたまま、唇を震わせてうつむいた。
「……でも、俺も力になりたいんだ。ここにいるだけじゃ、何も変わらないだろ。」
その小さな声は、誰の胸にも刺さった。
トワが小さく息をのむ。ゼクトも黙って腕を組む。
アトラはゆっくりと立ち上がり、少年の肩に手を置いた。
「わかった。じゃあ、僕とトワが一緒に行こう。森の偵察も兼ねて、様子を見てこよう。」
少年の瞳がぱっと輝いた。
「ほんとか!? 俺も行けるのか!」
「もちろんだ。」アトラは微笑む。「君の目と足を、借りたい。」
少年は笑顔を隠しきれずに「よっしゃ!」と叫んだ。
その声に、老人が苦笑交じりにため息を漏らす。
「まったく……勝手な子じゃ。すまない、どうか頼む。あの子を、無事に帰しておくれ。」
アトラは真剣な眼差しで頷いた。
「約束します。」
その言葉に、トワが柔らかく微笑む。
「アトラ、あなたらしい判断ね。」
「責任は僕が取るよ。」
短くそう答えたアトラの瞳に、ほんのわずかだが炎のような光が宿っていた。
場の空気が変わる。
アトラの声色が低く、しかし確固としたものへと変わった。
「ゼクト、火の確保を頼む。雨の影響で薪は使えない。シェルター内に燃えやすい素材が残ってるはずだ。厚いガラス片で収斂現象を利用すれば火を起こせるかもしれない。試してくれ。」
「あいよ。」
ゼクトは軽く手を上げると、肩を回しながら通路の奥へ消えていった。
「リウネ。周辺の怪我人を再確認して。治療物資は自由に使っていい。優先は生命維持だ。」
「うん、まかせて。」
リウネは笑顔を見せて颯爽と出ていく。
それを見送りながら、アトラは深く息をついた。
まだ冷たい空気の中で、胸の奥にわずかな熱が灯っていくのを感じる。
世界がまだ壊れていることに変わりはない。
だがそれでも、誰かが立ち上がることをやめなければ、ここに“はじまり”は生まれる。
アトラはランプの明かりに照らされた仲間たちを見渡し、静かに呟いた。
「……ここからだ。」
誰に聞かせるでもなく、その声は確かに部屋の空気を震わせた。
会議が終わるころには、全員の役割が自然と決まっていた。
誰もが疲れ切っている。それでも、瞳の奥には微かな光が戻っていた。
外では、崩れた壁の向こうに、灰色の空がゆっくりと晴れ始めていた。
風がひとすじ、瓦礫の上を抜けていく。
その風の中で、アトラは拳を握りしめた。
「――行こう。」
トワが頷く。少年が息を飲む。
その一歩が、小さくも確かな“再起”のはじまりだった。
――フォグニール廃都の再生は、この日、この瞬間から動き出した。
最後まで読んでくださってありがとうございます。




