廃都への帰還③
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第3節:静寂の果て
風が――止んだ。
砂のざわめきが消え、空気そのものが固まったかのように静止する。
熱を孕んだ空の下で、世界が一瞬、息をひそめた。
その瞬間、アトラたちは、地獄の中へ足を踏み入れた。
「……っ」
トワが短く息を呑んだ。
目の前に広がる光景に、誰もが言葉を失う。
そこはかつて“フォグニール廃都”と呼ばれた場所。
建物は原型を留めず、壁は溶け、柱はねじれ、地面には大きな爪痕のような亀裂が走っている。
黒く焼け焦げた影が、いくつも、いくつも転がっていた。
風が頬を撫でるたび、焦げた鉄と血の匂いが鼻を突く。
「……これが……」
ゼクトの低い声が、震えていた。
彼は片手で額を押さえ、拳を固く握る。
「……これが“落下地点”か」
アトラは答えなかった。
ただ、瓦礫の隙間を見下ろす。
焼けた影――それは、人の形をしていた。
腕。脚。輪郭だけが、かろうじて人の存在を証明している。
けれど顔は、判別できない。
黒く、崩れ、灰に還ろうとしていた。
「ひとつふたつじゃない……」
リウネの声が震える。
彼女の視線の先、数体の人影が並ぶように倒れていた。
小さな身体が、大きな腕の中に抱かれている。
親子だ。
逃げる間もなく、互いを守ろうとしたまま――時間が止まってしまったかのように。
「……そんな……」
エリシアは唇を押さえ、蒼白な顔で膝をつく。
「……神よ……」
それ以上の言葉は、声にならなかった。
アトラはゆっくりと彼女の横を通り過ぎ、膝をつく。
砂の下に、焦げた小さな靴があった。
その隣には、木馬の玩具。半分が炭のように崩れ、半分はまだ形を保っている。
アトラは指先で砂を払った。
――熱い。
まだ、“熱”が生きていた。
この地は、死を終えていない。
「トワ、下がれ」
ゼクトが低く言う。
その声には、怒りと悲哀が滲んでいた。
トワが視線を向けると、崩れた屋根の下に動物の死骸が見えた。
毛は焼け落ち、骨が露出している。牛か、馬か――。
その横には、荷車の残骸と、潰れた人の影。
家族で逃げようとしたのだろう。
全てが、一瞬で押し潰された。
「……息が、できない……」
トワが胸を押さえる。
「……空気が重い。生きてるのに、死んでるみたい……」
「それは、この地がまだ“燃えている”からです」
エリシアの声が掠れる。だが、その瞳には祈りの光がなかった。
「これは、神の怒りではありませんわ……こんな理不尽、怒りで説明できるものではありません」
リウネがそっとしゃがみ込み、灰を手のひらですくう。
黒い粉が指の隙間からこぼれ、風に乗って舞った。
「……鳥の声もしない。虫も。……生きてる音が、全部消えてる」
アトラは、彼女の言葉に小さく反応した。
耳を澄ませば――確かに、何も聞こえない。
風が瓦礫を撫でる音。時折、遠くで崩れる破片の音。
それだけだった。
世界そのものが息を止めたような、静寂。
その沈黙が、胸を締めつける。
「……あの日と、同じ」
トワが呟く。
アトラが振り返る。
「トワ?」
「……いえ、なんでもない」
彼女は首を振るが、その声は震えていた。
アトラの胸にも、痛みが蘇る。
あの日――燃える街。
誰かの悲鳴。
自分の手から零れ落ちた命。
“また、同じことを繰り返しているのか。”
喉の奥に熱い塊がこみ上げる。
アトラは拳を握り、立ち上がった。
指の間から、砂がさらさらと音を立ててこぼれ落ちる。
「アトラ……」
トワの声が、かすかに震える。
アトラは彼女を見た。
頬には涙の跡。
だが、その瞳はまっすぐだった。
恐怖も悲しみも抱えながら、それでも彼女は立っている。
「……生きてる人が、いるかもしれない」
アトラは小さく言った。
「まだ、全部が終わったとは思いたくない」
ゼクトが短く息を吐き、肩を鳴らした。
「そうだな。泣くのは後だ。……探すぞ」
リウネが立ち上がる。
「でも、この範囲……どこから……」
「どこでもいい。声を出せ。耳を澄ませて。……誰かが、返してくれるかもしれない」
トワが頷き、掌を胸に当てた。
その仕草は、祈りのようでもあり、覚悟のようでもあった。
「……わかった。行きましょう」
風が、再び吹いた。
焦げた空気が流れ、焼けた匂いが薄らぐ。
まるで世界が、ほんの少しだけ――呼吸を取り戻したように。
アトラはその風の中に、わずかな音を感じた。
……微かな、掠れた声。
それは、瓦礫の向こうから。
「……今の、聞こえたか?」
ゼクトが顔を上げる。
「……誰か、生きてる」
アトラは走り出した。
砂を蹴り、崩れた壁を越える。
胸の鼓動が、痛いほど早くなる。
“間に合え”――それだけを願って。
トワが後ろから叫んだ。
「アトラ、待って! 危ない――!」
だが、アトラの足は止まらない。
音のする方へ。
瓦礫の奥、煙の向こう――
そこに、かすかな「命の声」があった。
その瞬間、世界に再び“音”が戻った気がした。
焦げた空の下、アトラは瓦礫をかき分けながら、かすかな呼吸の音を探し続けた。
――死を終わらせないために。
まだ、救える命があるのなら。
最後まで読んでくださってありがとうございます。




