第五章 揺れる天秤⑩
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第10節【まどいの影、覚醒の刻】
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戦場の静寂が、痛いほどに張りつめていた。
ゼクトは倒れ、エリシアがその傍に伏し、トワは剣を手に敵を睨む。
リウネは彼の肩に小さくうずくまりながら、目を細めて周囲を見ている。
そして――アトラが、動いた。
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「――終わらせる」
「お前の罪は、ここで償わせる」
その言葉と同時に、アトラの左肩に淡い光が集まり、天秤の紋章が浮かび上がる。
銀の光が衣を透かし、肩のあたりに静かに灯る。
明らかにそれは、彼にとって初めての“覚醒”の徴だった。
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アトラはそっと手を掲げる。
指先から、構造式が花弁のように広がる。
「……“まどい”」
呼ばれた名に応じるように、空間の織り目がほどけ――
彼に酷似した幻影たちが、次々に姿を現した。
まるで、思考そのものが形になったかのように。
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「……っ、なんだこれは……?!」
シグムントが声を漏らす。
その瞬間、アトラの瞳がわずかに輝いた。
「“おもい”」
静かに呟かれた第二のグリフ。
それが、まどいで生まれた幻影たちに、アトラ自身の思考と感情を流し込んでいく。
幻影は一斉に目を開き、各々が独立して動き始めた。
アトラの掌に、今度は力強い輝きが宿る。
「そして……“ちから”」
第三のグリフが起動する。空間を走る構造式が、幻影たちの身体にまとわりつき、輪郭をなぞるように展開されていく。
微細な粒子が空気中から吸い寄せられ、まるで設計図に沿うように外郭を構築していく。それは、単なる視覚像ではない。情報とエネルギーの塊が、仮初の“身体”という形に変換されていくのだ。
薄靄のようだった姿は次第に輪郭を増し、影から骨格へ、そして筋へと――。
幻影たちはもはや“幻”ではなかった。アトラの記憶と思考が形となり、今この瞬間、確かな“存在”として現界したのだ。
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一体がトワのもとへ向かう。
リウネを背からそっと下ろし、「ここは任せろ」とだけ言い残す。
別の一体はゼクトとエリシアに駆け寄り、手早く応急処置を始めた。
薬草と包帯を使い、丁寧に出血を止めていく。
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「こんな……まるで本人のようじゃないか……」
シグムントが焦りを滲ませた瞬間――アトラの本体が、音もなく消える。
「いち」
声がしたときには、すでに彼はシグムントの背後にいた。
幻影ではなく、本物のアトラだ。
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シグムントが短剣を振るうが、アトラは身を沈めてかわし、
拳にグリフの力を宿して踏み込む。
「ちから」
足元の大地が砕けた。
次の瞬間、その拳がシグムントの胸元に直撃し、彼を派手に吹き飛ばす。
「ぐっ……!」
木に激突し、地面に崩れ落ちる。
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だが、それでも彼は立ち上がろうとする。
毒の短剣を引きずりながら、アトラに迫り――その肩にそっと手を伸ばす。
「これで……お前の“深部”に触れられる……」
含みを持たせた低い声。だが、指先が届いた瞬間、アトラの体は霧のように溶けて消えた。
「……!」
虚空をつかんだシグムントが目を見開く。
その直後、別の幻影のアトラが目の前に現れ、続けざまに本物が現れて低く告げる。
「……お前が“欲しがる”前に、こっちはもう……“見終わった”よ」
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その言葉とともに、周囲の幻影たちが一斉に動き出す。
ある者は前線へ、ある者は味方の救護へ――まるで軍隊のように、目的をもって。
まどいの幻影。おもいの思考。
この二つが重なった今、アトラはついに“自分自身を複製する”という領域に達していた。
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シグムントは、もはや反応できなかった。
腕を失い、地面に膝をついて吐血する。
アトラが、ゆっくりと彼のもとへ歩いていった。
その表情には怒りがあった。だが、もう激情ではなかった。
――裁きの時を、静かに見定めている目だった。
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