第五章 揺れる天秤⑨
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第9節【裁きの始まり】
沈黙を裂いて、一陣の風が吹き抜けた。
刹那――アトラの姿が、シグムントの目前から掻き消える。
「ッ……!」
鋭い金属音が響く。
交差する瞬間、二人の影が重なり、火花が散った。
シグムントは後方へ飛び退き、口の端を吊り上げる。
「なるほど。……君、やっぱり異質だね」
アトラの足元に、淡く輝くコードが残っていた。
それは――“いち”のグリフ。
瞬間移動を可能にする、空間跳躍の構造式だ。
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アトラは言葉を返さない。
視線を逸らさず、静かに息を整える。
対するシグムントは、黒く光る短剣を抜いた。
刃の根元には注射針のような管が取りつけられており、不気 味な毒が滴っている。
「これ、知ってる? ノルディアの実験棟から拝借した毒だよ。
神経を焼いて、痛みを快楽に変える。……殺すより残酷だと思わない?」
「……黙れ」
アトラの怒気を帯びた声が、空気を震わせる。
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再び、瞬間移動。
だが今度は――ただ移動するだけではない。
同時に、アトラの左手に“ちから”のコードが走る。
筋肉がわずかに膨張し、足場が砕けるほどの踏み込み。
次の瞬間――
ドンッ!
アトラの拳が、短剣ごとシグムントの腕を打ち砕く勢いで叩きつけた。
「ぐぉっ……!」
シグムントは横っ飛びに距離を取るが、その手首が不自然に捻れていた。
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「なるほど。“グリフの力”か」
彼はかすれ声で言う。
「僕には扱えない。君だけが、それを使える。
……ああ、これはちょっと嫉妬するな」
その声色に、少しだけ苛立ちが滲む。
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「ならば……数で勝負だ」
そう言って、シグムントが笛のような器具を口元に当てると――
森の奥から、異形の野獣たちが姿を現す。
背に拘束具をつけられ、白濁した目で呻くように吠える。
全身に走るコードの焼き印。それは、かつてフィリナの森で遭遇した存在に似ていたが、より醜悪に変異していた。
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「こいつら、森で拾った“野獣”さ。
捨てられてたけど、再構築したら案外うまく動くようになってね」
アトラは目を細める。
「……これが、野獣か」
「うん。名前も、過去もいらない。
今はただの駒。感情も意志も消してある。……だから、命令だけで動くんだよ」
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アトラの眼差しが、またひとつ冷えた。
左掌に、“おもい”のコードが浮かぶ。
怒り、悔しさ、悲しみ――それらを圧縮したような情報の塊が流れ出し、空気を震わせる。
だが、野獣たちは怯むことなく、吠えながら襲いかかってきた。
「……ダメだ。感情が消されすぎてる。戻せない。」
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アトラは、最前の一体に踏み込む。
再び“ちから”のコードを刻みながら拳を構え――
バゴォッ!!
凄まじい音とともに、獣の顎が砕け、首が不自然に折れたまま吹き飛ぶ。
間髪入れず二体目。横から斬りかかってきたその獣を、肘打ち一発で喉を潰す。
三体目には、逆に踏み込ませる。だが次の瞬間、アトラの姿が消え、真上から踵を叩き落とす。
鈍い悲鳴とともに、すべての野獣が沈黙した。
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シグムントが舌を打つ。
「本当に……君は、面白い。
そうだ、こんな“完全な人間”が壊れていく姿、見てみたかったんだよ」
その目には、もはや狂気しかなかった。
快楽と破壊を混ぜたような視線が、アトラを射抜く。
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だが、アトラはもう反応しない。
心の中で、彼は何かを超えつつあった。
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この男には、裁きが必要だ。
言葉ではなく、力で。理屈ではなく、意志で。
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アトラは、構えを取る。
背後に、仲間たちの気配が迫ってきている。だが、彼は振り返らない。
今、この場は――自分だけの戦場だった。
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