第五章 揺れる天秤⑧
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第8節【怒りの臨界点】
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トワの剣がうねり、敵兵が次々と地に伏す音が聞こえていた。
そのすべてに耳を傾けながらも、アトラの眼は、たった一人の男を見据えていた。
シグムント――黒衣の男は、血の滲んだ手袋を外すことなく、口の端を吊り上げる。
「仲間たち、がんばってるね。なかなか……人間らしい感情だ」
ふっと、息を吐いた彼の視線はどこか遠くを見ていた。
だがその目には、何の感慨もなかった。まるで舞台を観劇しているかのような、薄い期待と嗜虐。
「だけど知ってるかい?感情ってのは……消せるんだよ」
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アトラは、静かに歩を進める。
「……お前がやったのか。あの町を、あの人たちを」
「ん?……ああ、あれか。小町のサンプル群。うん、僕がやった」
当然のようにうなずくシグムント。その言葉の軽さが、怒りを煽る。
「“感情破壊コード”。NOMAが開発した構造式さ。
僕が試したくてね。大人から子供まで、適合率を測るにはちょうどよかった」
アトラの拳がかすかに震える。
だが、彼は怒鳴らない。ただ睨む。その眼光が、空気をわずかに震わせる。
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「……試した? “壊した”の間違いだろ」
「おお、それそれ。壊した、だね!
感情が消えていく瞬間ってさ、ほんと面白いんだよ。
泣いてる子供が、パッと無表情になる。さっきまで怒鳴ってた大人が、突然黙る」
彼は手を打つように笑う。
「まるで命がリセットされるみたいでさ。……もう、傑作だった。
あ、でも処理は面倒だったな。適合率の低い個体、処分するのに手間取って」
「……」
「動かなきゃ意味がないでしょ?
ああ、それに何人かはさ、壊れる瞬間に“助けて”って泣いたんだ。
“母さん”って呼ぶ声もあったなぁ。……うん、あれ、いいサンプルだった」
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アトラはその場で足を止める。
胸の内に、重たい何かが沈んでいく――怒り、だけではない。
“赦されない”という感覚。
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「ちなみに僕――さっきも言ったけどさ」
シグムントは軽く肩をすくめる。
「構連のSランクを18人、殺してるんだ。
もう、どいつもこいつも“世界を守る”とか言ってさ。笑えるよね?」
彼の口元が、ゆっくりと歪んでいく。
「命乞いする瞬間の顔って、いいよね。ぐちゃぐちゃで、みっともなくて、感情が全部漏れ出ててさ。
君も、そんな顔になるのかな?楽しみだよ」
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アトラは一言も返さない。
ただ、静かに、歩を進めていく。
その瞳の奥で、確かに何かが崩れていた。
冷静でいようとしても、無理だった。
守るべき者が傷つき、踏みにじられ、笑われている。
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「ねぇ、君、“怒る”って、どういう感じ?」
ふと、シグムントが訊ねてくる。
まるで悪意の塊のように純粋な好奇心で。
「怒りってさ、痛みと違って、目に見えないよね。
でも、顔には出る。声にも出る。いいよね、感情って……ほんと、壊しがいがある」
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アトラの左手が、ほんのわずかに震えた。
その震えに反応するように、空気が張り詰める。
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「もう……いい」
アトラはただ、低く呟いた。
その一言にこめられた感情が、場の温度を変える。
燃えるような怒りではなく、凍りつくような怒り。
それは、まさに“裁き”に近い気配をまとっていた。
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そしてアトラは、構えを取った。
戦闘の火蓋は――今、切って落とされる。
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