第五章 揺れる天秤③
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第3節【子どもが見た記憶】
「誰か、いる……」
エリシアが小声でそう言い、アトラの肩を軽く叩いた。
建物の影。
石を運んでいた男たちの奥――そのさらに奥に、小さな影があった。
ひとりの子ども。女の子だった。年の頃は、十歳にも満たないだろう。
壁にもたれかかって、ぼんやりと空を見ている。
表情は穏やかすぎて、逆に“何か”が欠けているように見えた。
「……この町の住人?」
トワが警戒をにじませた声で言う。
「様子が変だ」
アトラは静かに少女へ歩み寄った。
少女は動かない。
数歩の距離に近づいても、瞬き一つしなかった。呼吸も、規則正しく均一すぎる。
「眠ってるようにも見えるけど……」
ゼクトが言うと、アトラは短く答えた。
「“きおく”を覗く。みんなにも見えるようにする」
「いくよ....。」
トワとエリシアが小さく頷いた。
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アトラは静かに指先をすべらせ、空間にコードを描く。
記憶を可視化し、共有するためのコード――「きおく」。
淡い光の粒が空気に溶け、次第に視界が別の情景へと変わっていく。
⸻
──最初に見えたのは、明るい部屋。
少女が母親と一緒にパンをこねている。
父親は机に向かいながら、ふとこちらを見て笑う。
ささやかだが確かな幸福。
だが、それは唐突に破られた。
扉が乱暴に開かれる音。
黒衣の男たちが数名、家の中へとなだれ込む。
少女が母にしがみつき、父親が立ち上がる。
怒鳴り声、泣き声、家具の倒れる音。
少女は「やだ、やだ」と叫びながら、母の腕の中で震えていた。
だが、何もかもが引き裂かれたように、光が途切れる。
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──次に現れたのは、薄暗い部屋。
鉄の壁。窓はない。気配もない。
少女が、ひとり。
椅子に座らされ、目の前には誰かの影。
「大丈夫。すぐ終わるよ」
「怖くないからね。すぐ、楽になる」
その声は優しさを模していた。だが、温度がなかった。
少女は泣いた。
喉がかれるほどに、母を呼び、父を呼び、助けを求め続けた。
しかし――泣き声は、突然、止まる。
目を見開き、口を閉じ、肩の震えが消え、呼吸が均一に戻る。
そして。
「……命令をお聞かせください」
無表情のまま、少女がそう言った。
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“きおく”の映像が静かに霧散し、現実の光景に戻る。
全員が、言葉を失っていた。
「……何があったの、あの子に」
エリシアの声は震えていた。
「感情が……消されてた」
トワが唇を噛む。
ゼクトが目を細める。
「……あれは、人間の顔じゃなかった」
アトラは無言で少女を見つめる。
少女はまだ、壁にもたれたまま空を見ていた。
「何かがここで起きてる。確実に」
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