第四章 時をなぞる者たち12
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第十二節 「刻まれた時の先へ」
森の空気は、穏やかに満ちていた。
夜が明け、木漏れ日が揺れる中。アトラたちは静かな道を歩いていた。
昨日までの喧騒が嘘のように、森はただ静かで、やわらかだった。
「ねぇ、アトラ」
リウネがぽつりと声をかける。しっぽを揺らしながら、アトラの隣を歩いていた。
「“時間の流れ”って、記憶とか気持ちとかも、一緒に連れてっちゃうんだね。昨日のことなのに、もう少しだけ遠くに感じるの」
アトラはリウネの方を見て、ゆっくりと頷いた。
「……うん。全部、止まらずに流れていくんだね」
リウネは笑った。小さな笑顔だったけれど、それはたしかに、昨日までとは違っていた。
その後ろからは、ゼクトとトワ、エリシアの三人も静かに続いていた。
誰も多くを語らず、それぞれの思いを胸に刻みながら。
丘の上、風が通り抜ける場所。そこに立つ木の前で、アトラは一度、深く息を吸い込んだ。
“ながれ”のグリフ――昨日修復を終えたそのコードは、今や明確な構造を描き、完全な姿を取り戻していた。
アトラはそっと手を伸ばし、“ながれ”のグリフを取り出す。
それはまるで、ずっと前から彼を待っていたかのように、小さく穏やかな脈動を返した。
「……アクセス――ディコード」
その瞬間――
アトラの体に、異変が起きた。
風が止み、木々のざわめきが途絶える。
空を舞っていた一枚の葉が、空中でゆっくりと回転し――そのまま、落ちることを忘れたかのように、宙に漂っていた。
リウネは、しっぽをわずかに揺らしかけた姿のまま、動かない。
ゼクトは腕を組んだまま、まるで時間から取り残されたかのように沈黙している。
トワは微笑の途中で止まり、エリシアもまた、視線を宙に投げたまま静止していた。
誰もが、今この瞬間に“封じ込められた”ようだった。
―いや、止まったのではない。すべてが、極端に“遅く”なっている。
アトラの意識が、すぐにそれを捉えた。
視界のすべてが、まるで1/100秒単位で刻まれているように見える。
一歩、踏み出すたびに空気の重みを感じる。
手を伸ばすと、空間そのものが抵抗してくるようで、空気を押し分ける感触が皮膚にじかに伝わる。
葉が一枚、視界を横切った。
それが地面に落ちるまでの時間が、信じられないほど長く、永遠のように感じられる。
心臓の鼓動、呼吸、まばたきすら、切り取られた時間の中で拡張されていた。
アトラはただひとり、その歪んだ時間の只中に、鮮明な意識を保ったまま立っていた。
――これが、“ながれ”の力。
時間のうねり。世界の記録。
今この瞬間すら、コードとして編まれていく途上にあることが、はっきりとわかる。
「……すごい」
アトラは呟いた。いや、声になっていたかどうかもわからない。
けれどその言葉に呼応するように、構造式が空中に展開されていく。
一つ一つの線が意味を持ち、因果が繋がり、世界の流れと同調する。
やがてそれは収束し、静かに消えていった。
“ながれ”のグリフ――その式は、ようやく完全な姿を取り戻した。
アトラは掌を見下ろす。
そこにあるのは、もう不安定だった頃のグリフではない。最適化された構造、洗練された秩序の形。
すぐ隣に、リウネがゆっくりと近づいてきた。
「……もう、完成したんだね」
「うん。今朝からずっと、エラーも飛んでこなかったし。もう“ながれ”は、ちゃんと動いてる。」
「うんっ。リウ、こんなに静かな朝、はじめてだったよ」
しっぽをふわりと揺らしながら、リウネはアトラの隣にちょこんと座った。
しばらく空を見上げていたかと思えば、ふとこちらを向いて、少しだけ頬を赤らめる。
「ねえ、アトラ。もし……いいなら、これからも一緒にいてもいい?」
アトラは優しく笑みを浮かべ、迷いなく頷いた。
「もちろん。リウがいてくれると、僕も助かるし。これからも、よろしくね」
「うんっ!」
リウネは嬉しそうに跳ね上がり、小さくくるくると回ってから、ふにゃりとアトラの足元に座り込む。
その後ろでは、ゼクトが「やれやれ」と肩をすくめながらも、どこか安心したような表情を浮かべていた。
トワとエリシアも目を合わせ、そっと微笑を交わしている。
遠くで、小鳥がひと声、囀る。
森を包んでいた“歪み”はすでに過去のものとなり、
ただ、これから先へと流れていく“時間”だけが――穏やかにそこにあった。
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