第三章 情理の調律⑩
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第十節 別れと同行
三日続いた宴が、ようやく静かに幕を下ろした。
夜の街は、まるで夢から醒めたように落ち着きを取り戻していた。
人通りの消えた広場では、星の光が石畳に柔らかく反射し、飾られた花輪や光球の名残が風に揺れていた。
遠くから、まだ祭の終わりを惜しむような歌声が、かすかに流れてくる。
アトラは宿の一室の窓辺に立ち、ひんやりとした夜気を感じながら、目を閉じた。
「……一日だけのはずだったのに」
ぽつりと漏らした言葉に、背後からゼクトのくぐもった笑い声が返ってくる。
「予想が甘すぎたな。神扱いってのは、こういうもんらしい」
その隣で、トワがソファに倒れ込むように座り込みながら、どこか不満げに口を尖らせる。
「……あんまり騒がれると、落ち着かないのよ。視線が痛い」
「でも、助けたのは事実だろ?」
ゼクトが腕を組みながら答える。「あれだけの変化を見せられりゃ、何かの象徴扱いも仕方ねぇ」
「……それとこれとは別なの」
トワは小さく唸って目を閉じた。
「わかる……正直、疲れた」
アトラもそう言って椅子に腰を落とす。祭の喧騒の記憶がまだ耳に残っている気がした。
「背筋伸ばして立ってるだけで、こんなに体力使うなんて思わなかったよ……」
「着飾って笑って、ずっと周囲の視線受けて、質問責めで……」
トワがソファに沈み込んだままぼやく。
「俺、3回くらい“神の化身様”って呼ばれたぞ」
ゼクトがやれやれと首を振る。
「……それ、僕も。なんか、肩が凝った……」
3人はしばらく無言になった。
風が、窓の外からひゅうと吹き込む。
どこか名残惜しげで、でも確かに“日常”へと戻っていく気配だった。
アトラは天井を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「……でも、あの人たちが笑ってたなら、よかったよね」
「……ん。ま、それは否定しない」
トワが目を閉じたまま、ぽそっと返す。
「明日からは、また歩けるか」
ゼクトが一度あくびをかみ殺しながら、壁に寄りかかる。
疲れのにじむ静かな夜――
だがその空気の中には、どこか穏やかな満足感が滲んでいた。
翌朝。
三日三晩続いた祝宴の喧騒がようやく静まり、セラミアの街には久々の落ち着きが完全に戻っていた。
アトラの部屋には、いつものようにゼクトとトワが集まっていた。
それが当たり前のようになっていたが、アトラはふと疑問を口にした。
「……ねぇ、なんで毎回、僕の部屋に集まるの?」
ゼクトがソファに腰を下ろしながら、あくび混じりに答える。
「ん? お前の部屋が一番空気まろやかなんだよ。なんかこう、落ち着くっていうか」
「言ってみれば“中立地帯”よね」
トワが窓際でカーテンの隙間から外を見ながら、さらりと言う。
「ゼクトの部屋は空気が重いし、私の部屋は……ほら、なんかこう、静かすぎて落ち着かないの」
「ふーん……ただ来たかっただけじゃないの?」
アトラがぼそっと返すと、トワは窓の外を見たまま、何も聞こえなかったふりをしていた。
そのまま静かに髪を耳にかけ直し、ほんのわずかに表情をゆるめる。
そして、ごく小さな声で――アトラに届かないほどの声で、ぽつりとつぶやいた。
「……そうよ」
その声がアトラに届くことはなかった。
少しだけ沈黙が流れたあと、ソファに寝転んでいたゼクトが天井を見ながらぼやいた。
「……俺の部屋が空気重いって、ひでぇな。別に誰か呪ってるわけでもないのに」
その声はあくまで無造作だったが、わずかに口元が不満げに歪んでいるのを、アトラは見逃さなかった。
少しだけ間を置いて、アトラが笑いながら言う。
「でも、ゼクトもなんだかんだ毎回来てるよね」
ゼクトはふいっと顔をそらし、鼻を鳴らした。
「お前んとこ、椅子の座り心地がいいんだよ。……それだけだ」
「うんうん。寂しくなったら、いつでも来ていいよ」
アトラのその一言に、ゼクトは小さく舌打ちをしながらも何も否定しなかった。
そんなやり取りが続くなか、扉が静かにノックされた。
アトラが振り返り、「どうぞ」と答えると、扉の向こうから金色の髪がふわりと揺れた。
現れたのはエリシアだった。
神官服の上に白い外套を羽織り、襟元はきちんと留められている。
その立ち姿は清廉で、決意を秘めたような張り詰めた気配があった。
銀の瞳が、まっすぐアトラを見つめていた。
「アトラ様……いえ、アトラ」
一呼吸置いてから、彼女は一歩、部屋の中へと足を踏み入れる。
「この数日で、わたくしは多くのものを目にしました。
幻影に怯える民の姿。式を解き放つあなたの力。……そして、私自身の、あまりにも狭い世界」
そこまで言ってから、小さく息を整え、深く頭を下げた。
「お願いです。わたくしを……あなたたちの旅に、同行させてください」
部屋の空気が、わずかに揺れた。
トワの眉がぴくりと動く。
口元にかすかな不機嫌さが浮かんだが、すぐに視線を窓の方へそらした。
何も言わず、ただ腕を組んだまま黙っている。
ゼクトは軽く顎を撫でながら、エリシアの姿をじっと見据えていた。
「……信念で来るなら止めないが、覚悟がなければ引き返せ。
この先に待つもんは、感謝も称賛もねぇ。ただ、誰かの痛みと、世界の歪みだ」
エリシアは迷わず顔を上げ、真っ直ぐに言葉を返す。
「覚悟はあります。……何も知らなかった自分を、変えたいんです。
目を背けたまま、祈るだけの神官でいたくない。現実を見て、受け止めて、進みたい」
その瞳に、迷いはなかった。
アトラは静かに彼女を見つめ返す。
まだ何も言わずにいたが、その視線の奥には、微かな感情の揺れがあった。
トワがちらりと横目でアトラを見る。
「……判断は、あなたがするべきよ」
彼女の声は低かったが、否定ではなかった。
アトラは一瞬だけ目を閉じ、そして、ゆっくりと頷いた。
「……わかった。歓迎するよ、エリシア」
その瞬間、部屋の空気が微かに和らいだ。
トワは口を開きかけて――やめた。
視線をわずかに逸らし、静かに背を向ける。
そのまま窓辺へと歩み寄り、薄くカーテンを指先でなぞるように触れると、ふう、と小さく息をついた。
怒りでも拒絶でもない、けれどどこか棘のような沈黙が、彼女の背中に張りついていた。
エリシアの言葉を否定するつもりはなかった。
旅に加わることに異論はない。必要な力になると、理性では理解している。
――でも。
(……その隣、ずっと私の場所だと思ってた)
声に出すことなく、胸の奥でひとつだけ、想いが揺れた。
トワはただ、静かに窓の外を見つめ続けていた。
***
翌朝。
荷をまとめ、準備を整えた四人は、宿の前で足を止めた。
広場にはもう誰もおらず、数日前までの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
飾りの花びらが風に乗ってひらひらと舞い、石畳の上を名残惜しげに転がっている。
アトラは一歩だけ立ち止まり、ふと振り返る。
誰もいない広場を見渡すように目を細め、そして遠くの風景に視線を向けた。
石畳の道の先。
アトラは教会の尖塔を見上げ、ぽつりと呟いた。
「……空気が変わった。進むなら、今だね」
ゼクトが背伸びをしながら、軽く息を吐く。
「やっと進めるな。長すぎたんだよ、あの宴」
「まったくね。あれ、笑って返すのも地味に疲れるのよ」
トワがぼやくように言いながら、ため息をつく。
「正直、祭より静かな廃墟の方が落ち着くわ」
「……でも、皆さんが笑っていたのは、あなた方のおかげです」
エリシアが穏やかに続ける。
白い外套が風に揺れ、銀の瞳が柔らかく細められていた。
「だから私は、少しだけ……あの騒ぎが嬉しかった」
「そっか。……うん」
アトラは一歩立ち止まり、再び教会の尖塔を見上げる。
朝日が塔の先端を金色に染めていた。
その姿は、誰もいない広場とは対照的に、確かに過ぎた時間の名残をとどめていた。
「……行こう。次の場所へ」
その言葉に、ゼクトが肩を回しながら応える。
「やれやれ、次は静かなとこだといいな」
「どこでもいいわ。アトラが進むなら、私も進む」
トワがふと微笑む。「文句は言うけど、足は止めないから」
エリシアも小さく頷いた。
「わたくしも……見届けたいです。世界がどうなっていて、あなたが何を選ぶのか」
アトラは三人の顔を順に見て、ふっと笑みを浮かべた。
「ありがとう。じゃあ、行こう」
そして彼は一歩、朝の道へと踏み出した。
光の中に溶けていく尖塔を背に、四人の新たな旅路が、静かに始まろうとしていた。
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