第三章 情理の調律⑥
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第六節 幻影の囁きと救い
市場での買い物を終えたアトラとトワは、広場の噴水前でゼクトと合流した。
手紙を出しに行っていた彼は、少し眉をひそめながらも、どこか落ち着いた表情をしていた。
「手紙、出せた?」
アトラが尋ねると、ゼクトは頷いて肩をすくめる。
「おう。ちょっと手間取ったがな。あの郵便屋、世間話が好きすぎるんだよ」
「ふふ、そういう人、いるわよね」
トワがくすっと笑って言う。
「ちゃんとリーネに届くといいわね。……あの子、ああ見えて、待ってるときはそわそわするタイプだと思うから」
「……アイツが? そわそわ?」
ゼクトが目を細めて疑わしそうな顔をすると、トワはいたずらっぽく微笑んだ。
「うん、そう。ゼクトが思ってるより、ずっと可愛いところあると思うわよ?」
「おい……勝手に人の妹みたいに語るんじゃねぇ」
「えっ、妹? 娘に見えるけど?」
わざとらしく首をかしげるトワに、ゼクトは小さく咳払いして視線をそらした。
「……どうでもいいだろ、そういうのは」
アトラはそんなふたりのやりとりに、思わず小さく笑った。
三人はそのまま街の西側へと足を進める。
白い石橋の向こうには、緑の丘と、なだらかな小道が続いている。
「この先、少し道が入り組んでるが……まあ、問題はないな」
ゼクトが手にした地図をちらと見やりながら呟く。
トワは保存食や薬草を詰めた袋を両手に、アトラはその隣で道を確認するように歩いていた。
少しずつ、息の合った旅の形ができてきていた。
──その時、鋭い叫び声が橋の反対側から響いた。
「やめて、お願い! あなたは……もういないのにっ!」
三人が振り返ると、橋の縁に中年の女性が立っていた。空を見つめるその目は虚ろで、何かに引き寄せられるように、一歩、また一歩と前へ進んでいく。
「まさか……」
ゼクトが一瞬、言葉を失う。
「止めないと!」
アトラが叫び、駆け出す。トワとゼクトもすぐに続いた。
だが、間に合わないと判断したアトラは、足元に式を描くように手をかざした。
「転位、指定点──あの人の前へ!」
“いち”のコードが瞬時に起動し、アトラの姿が光と共にかき消える。
女性が身を投げようとする、その直前。
「っ──危ない!」
現れたアトラが彼女の腕を掴み、ギリギリで引き戻した。
橋の上に、ひとりの女性がうずくまっていた。
崩れ落ちるようにその場に座り込み、肩を震わせながら泣き続けている。
「見えたの……夫が……あの人が、そこにいたの……」
掠れた声で、何度も呟いていた。
「笑って、手を伸ばしてくれて……本当に、そこに……っ」
アトラが小走りに近づき、少し距離を取りながら様子を伺う。
その後ろから、ゼクトとトワがようやく追いついてきた。
「なにがあったの……?」
トワがそっとしゃがみ、ポケットから清潔な布を取り出して差し出す。
「これ……顔、拭ける?」
女性は涙を拭いながら、何度も首を振った。
「違うの……怖いとか、悲しいとかじゃなくて……ただ、会えたの。会えたのに……もう、いなくて……」
ゼクトはひとまず周囲を見回し、橋の上に他の通行人がいないことを確認する。
「こんな真っ昼間に……まさか、幽霊ってわけでもなさそうだな」
低く呟くその声に、わずかな警戒がにじんでいた。
「……グリフの影響かもしれない」
アトラが静かに言う。
「グリフ……? 誰かが無差別に使ってるってこと?」
トワが眉を寄せると、アトラは首を横に振った。
「たぶん、誰かが“使ってる”んじゃない……“起きてる”んだと思う。何かが、街そのものに作用してる」
橋を吹き抜ける風が、女の髪をかすかに揺らす。
(さっきの言葉……「そこにいた」って……)
アトラは、女性の発言を何度も反芻していた。
(まるで、記憶の中の人物が現れたみたいな……でも、幽霊じゃない。もっと……“コード的”な何か)
彼の脳裏に、ここ数日耳にしたいくつかの“噂”がよぎる。
「誰にも気づかれずに歩いていた老婆」「教会前で祈り続ける男」「子供だけが話しかける青年」
(……本当に存在してるなら、なぜ誰も触れない? 気づいていないのか?)
ゼクトがぽつりとつぶやく。
「異変か……それとも、街の中に“見えない何か”が動いてるってことか……」
アトラは視線を橋の下に落としながら、ゆっくりと頷いた。
「アトラ……これって、グリフの影響なの?」
トワの問いに、アトラはゆっくりと頷いた。
「たぶん。でも、まだ断定はできない。コードを見ないと、わからないことが多すぎる」
三人は女性を医務室に連れて行き、簡単な説明を済ませたあと、静かに街の中心部へと戻った。
「……もし、これが“まどい”のグリフによるものだとしたら……あれは幽霊じゃない」
ゼクトの低い声に、誰も反論しなかった。
アトラの胸の中には、確かな違和感だけが静かに残っていた。
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