第三章 情理の調律①
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第一節 記憶の断片、空へ
風が、ゆるやかに草を撫でていく。
そこには、どこか懐かしい匂いがあった。
ノルディアを後にして三日目の朝――。
アトラたちは、次の目的地であるセラミア教国を目指していた。
陽が昇るにつれて草原は白金に染まり、野鳥の声が点描のように静寂へと散っていく。
地図にもほとんど載っていない丘陵地帯の道を、三人はゆっくりと進んでいた。
「……この辺りで、少し休もうか」
アトラが言いかけたそのとき。先頭に立っていた彼の足がふと止まる。
「……あれは」
ゼクトがわずかに目を細める。「岩……? いや、違うな。妙な気配だ。グリフか?」
森の縁に、それはあった。
半ば草に埋もれたようにして、巨大な岩塊が、静かに横たわっている。
ただの石とは明らかに異なる“存在感”があった。
近づいて見ると、表面には無数の幾何模様が刻まれており、それらは浮かび上がっては消え、絶えず形を変えていた。
アトラはそっと手を伸ばし、岩に触れる。
その瞬間――
模様の意味が、“読めてしまった”。
(これは……コードだ)
複雑に絡み合う幾何構造。だが、アトラの中にはすでに、コードという概念への“感覚”が芽生えていた。
見たこともないはずの線や構成が、まるで記号のように脳裏で“意味”として展開されていく。
「“きおく”のグリフ……だと思う」
確信ではなかった。けれど、それは理解として、アトラの中に自然と流れ込んできていた。
──そして。視界が、反転した。
色があふれ、音が砕け、世界が断片化していく。
立っていたはずの地面が遠のき、代わりに膨大な“情報”が脳へと流れ込んでくる。
それは“記憶”だった。
老いた男が、誰かを見送る記憶。
少女が、泣きながら花を抱きしめる記憶。
兵士が、仲間を庇って撃たれる記憶。
どれも生々しく、鮮やかで、まるで自分の体験のように“胸の奥”に響いてくる。
それでいて、どこか遠くの他人の想いのようでもあった。
(……記録じゃない。これが、“記憶”……)
アトラはふらりと体勢を崩し、ひざをついた。
そのときだった。
ひときわ強く、深く、異質な記憶が彼の中へと流れ込んでくる。
他の記憶とはまるで違う。
それは“誰か”の視点ではなく、世界そのものが語りかけてくるような意志だった。
──アクセスとは、コードへの干渉。
──コードとは、記録の構造。力そのものではなく、“世界の理”を構成する骨格。
──この世界は十八の“構成式”で成り立っている。それぞれが異なる形で、異なる地に眠っている。
──構成を知り、解きほぐし、命令を下す。
それが真の力の扱い。
(……コードへの……干渉……)
ぼんやりとした理解が、輪郭を持って整っていく。
アクセスは力ではない。構造への“視線”だ。
自分がそれを持ち始めていることを、アトラは静かに悟った。
やがて、視界の隅に光る数字が滲む。
──3/18──
遠くから、声が聞こえた。
「アトラ! 大丈夫か!」
ゼクトの声だ。続いて――
「無理しないでよ!」
トワの声も、どこか切実に響いた。
アトラはゆっくりと目を開け、深く息を吐いた。
「……うん。大丈夫だよ」
地面を踏みしめて、立ち上がる。
ほんの数秒。けれどその間に、確かな“変化”があった。
もう、ただ流れに身を任せるだけじゃない。
自分の手で、構造に触れる術を持ちはじめている――その実感があった。
(……ありがとう、“記憶”。おかげで、少しだけ前に進めた気がする)
アトラは静かに手を握る。
その一歩は、世界を読み解くための、小さくて確かな第一歩だった。




