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雨音の記録  作者:
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第4章 雨と夢の廃屋

 雨が、また降っている。


 ここ数日、晴れた日があったかどうか思い出せない。窓を開ければ、湿った空気が部屋の中に流れ込み、壁紙の角がじわりと波打つ。


 気づけば、時間の感覚が曖昧になっていた。


 朝のはずなのに空は灰色。

 夜のはずなのに窓の外がぼんやり明るい。


 眠っていたのか、起きていたのか、それさえも曖昧になっている。


 


 夢を見るようになった。


 廃屋の夢だ。古びた木造の一軒家。外はずっと雨で、室内の空気が濡れた畳の匂いを含んでいる。


 誰もいないはずなのに、家の中には“誰かの気配”がある。

 ふすまの奥、押し入れの中、襖の隙間。視線が交わる前に、いつもすっと消えてしまう。


 そして、必ず見るのだ。夢の最後に。


 


 《……おかえり》


 


 それは、声というより“思念”だった。

 けれどはっきりと、耳の奥で、私に語りかけてくる。


 


 ある夜、私は自分の寝言で目を覚ました。


 「……また、ここに戻ってきた……」


 声は、私のものだった。けれど、それを言った記憶はない。


 身体を起こすと、部屋の隅のレコーダーがすでに「再生中」になっていた。


 


 《よく思い出せたね。ここが、君の場所だよ》


 私の声だった。でも、まるで“誰かの口移し”のように、ぎこちなく、感情のない話し方だった。


 私は震える指でレコーダーを止めようとしたが、テープはもう回っていなかった。


 つまり——録音など、されていなかったのだ。


 


 昼間、私はふと思い立ち、玄関を出た。


 外に出たのは何日ぶりだろう。地面がぬかるんでいて、足元が不安定だ。

 コンビニに向かうつもりだったが、気づけば私は見知らぬ道を歩いていた。


 何も考えていなかった。

 気づいたら、足が勝手に動いていた。


 


 そして、見つけてしまった。


 


 ——夢で見た廃屋を。


 


 そこは、アパートからそう遠くない、少し小高い丘の上だった。

 雑木林の奥に、ぽつりと建つ、無人の古い家。


 夢の中と同じ。屋根の角度、雨どいの曲がり、戸口の鍵の壊れ方まで、そっくりだった。


 私の心は、静かに、でも確かに叫んでいた。

 ここを知っている。


 


 私は玄関の前で立ち止まり、ふと足元を見る。


 そこには、濡れた足跡が並んでいた。私のものではない。


 しかも、それは——中に向かって続いていた。


 


 私は帰った。全身が震えていた。なのに、なぜか、どこか安心していた。


 「帰ってきた」

 そう思っている自分が、心のどこかにいた。


 


 その夜、夢を見た。


 夢の中で、私は廃屋の中にいた。

 畳は濡れ、襖はゆっくりと風で揺れている。


 そして——襖の向こうから、誰かが顔を出した。


 それは、私だった。


 けれど、その“私”は、表情がなかった。目が虚ろで、肌は少しだけ土色を帯びていた。

 髪の一部は濡れて、額に張りついていた。


 


 私は目を逸らせなかった。


 “私”は、私に向かって口を開いた。


 


 《もう、外側に戻らなくていいよ》


 


 私は目を覚ました。ベッドの上だった。雨が、また降っている。


 でも、布団の足元が、濡れていた。


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