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雨音の記録  作者:
3/6

第2章 見えない記録

 それからというもの、私は眠れなくなった。


 夜が近づくにつれ、体が強張っていく。部屋の隅に置かれたカセットレコーダーを横目で見ながら、心のどこかで“また来る”と確信している。


 声は、雨の日だけやってくる。

 だが今夜は、まだ雨は降っていない。


 ——それでも、耳の奥がかすかに疼く。


 昼間のうちに何度もラベルを見返した。間違いない。

 あのテープには、私がまだこの部屋に住んでいない頃の日付が書かれていた。


 誰がそんなものを、なぜ残していったのか。しかも私の声で。


 答えが出るはずもない問いを頭の中で繰り返しながら、私は思い出していた。


 この部屋に越してきた初日、壁に釘穴がいくつか残っていたこと。クローゼットの中に古い香水のにおいが残っていたこと。そして、最初の夜、天井のどこかで小さく“きいっ”と軋むような音がしていたこと。


 誰かがここにいた。

 そして、その誰かは今も完全には——いなくなっていない気がした。


 


 翌日、私は午後の休憩を使って、近くの図書館に向かった。


 端末で“2号室”“事故”“事件”といったキーワードを打ち込むが、何も出てこない。

 地元新聞の縮刷版をめくっても、それらしい記事はなかった。


 ふと、図書館の掲示板に目が止まる。


 「地域史料室:旧市街地の地図・入居記録・年報など取扱」


 小さな案内だった。私は半ば衝動的に、そちらへ向かった。


 


 地域史料室は、別館の地下にあった。

 職員の人に話すと、やや驚いた顔をしながらも入室許可をくれた。


 木のにおいのする棚に囲まれた小さな部屋。私一人だけの空間だった。


 ——変な気配がした。


 部屋に誰もいないのに、背後から見られているような感覚。

 私はそれを振り払うように、資料をめくる手を早めた。


 


 10年前の“入居記録”を見つけた時、私は息を呑んだ。


 2号室に、一人の女性の名前が記されている。

 記録はたった3ヶ月。契約終了の欄には、赤いインクで「解消」の文字が走っていた。


 それだけではよくある話だ。けれど、解消の理由の欄には、誰かが書いた走り書きのような記録が残っていた。


 「本人行方不明、連絡つかず、残置物多数」


 行方不明——。


 私はその名を、記憶の中で繰り返す。どこかで聞いたような気もするが、思い出せない。


 そして胸の奥が、じくじくと痛んだ。


 その夜、雨が降った。


 


 ——最初の一滴が屋根に当たった瞬間、頭の中でスイッチが入ったようだった。


 レコーダーが、何もしていないのに「カチ」と音を立てる。


 電源は入っていなかったはずだ。私は慌てて近づき、止めようと手を伸ばした。


 しかしレコーダーは、もう“再生”を始めていた。


 


 《……戻ってきたね……でも、ここはまだ……ひらいていない……》


 あの声。けれど、前よりも、明瞭になっている。

 それは、耳の中ではなく、確かにこの部屋の「中」から聞こえてきた。


 私は録音テープを確認する。

 再生されているテープには——また、私の声が記録されていた。


 しかも今回は、何を話しているのか、明瞭に言葉が聞き取れる。


 


 《だいじょうぶ。私が案内する……この部屋の裏側まで……》


 「……は?」


 私は震える指でテープを巻き戻し、もう一度再生する。


 やはり同じだった。これは夢でも幻聴でもない。本当に再生されている。


 だが、私はこんな言葉を録音した覚えは一度もない。

 何度も、何度も繰り返して確かめても、それは確かに**“私の知らない私の声”**だった。


 


 私は、ラベルの裏にもうひとつ文字が書かれているのを見つけた。

 それは鉛筆で、薄くなっていたが、こう読めた。


 「聞いたら、戻れない」


 


 私はその夜、眠れなかった。


 なぜか、クローゼットの扉の隙間が、いつもより“広く見える”気がして、目を逸らせなかったからだ。

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