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港町 1

本作で登場する法律関係はふわっと知識しかないのでご注意ください。変なところがあったら、まあ魔界だしで許してもらえると幸いです。

ーー世に三界あり。みだりに相互干渉すべからず。


いつ彫られたかもわからないご立派な石碑にある訓戒である。曰く、天・人・魔の三界は重なるように隣り合い、境界がなくなれば瞬く間に恐ろしい戦乱の渦へと落ち、世界は滅びるとの話だ。現に、人界には未だに草も生えない焼土や人類の文明では再現できない外界のアーティファクトの残骸が残っている、らしい。


らしい、と言うのは、それらがエピヌにとって預かり知らぬ物事だからだ。三界は相互干渉すべからず。それは原則ではあるが、そこには但し書きがつく。そう、あくまで「みだりに」、むやみやたらと行き来しなければ良いだけの話。法外な見返りを求めて生贄片手に取引する愚か者は絶えない。エピヌもまた、その一人であった。故に、物心ついた頃から、エピヌが知るのは霧深い空と、冷たい石造りの市街のみである。


「こんな所にいたのか」


「辺境伯様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」


脳内に直接障るような低音で、背後に大きな影が迫る。常に薄暗いこの領でも陰ることのない眩い金色のたてがみを靡かせた、勇壮な獅子を振り返る。この獣こそ、北方境界を鎮守するこの要地を一手に治める辺境伯マルバスである。ニコリともせず深々と礼をした後、女性にしては身長の高い己の遥か上方にある主人の頭を見上げる。


「顔をよく見せておくれ。うん、今日も我が麗しの(エピヌ)は美しいな」


「ご冗談を」


かき上げた前髪に隠された、顔の半分を覆う醜い火傷跡を上機嫌に舐める獣に、内心舌打ちが漏れる。これだけ悪趣味であっても主従の契約を結んだ相手だ。業腹だが逆らうことはできない。遠雷のような唸り声が聞こえたが、長年の付き合いで判る。怒っているのではない。己の反応に笑いを噛み殺しているのだ。本当に、いい性格をしている。おそらくそんな考えが表情に漏れ出たのだろう。


「全くつれないことだ。さて、窓の外ばかり眺めても退屈だろう。少し遠出をしてもらおう」


獅子のたてがみと同じ金色の紙がひとりでに現れる。それを一通り読み込み、頭に叩き込むと、紙はまた美しい燐光となって消散した。そして一通り大きな身体をエピヌに擦り付け、しっかり匂いを纏わせた後で、漸く主人たる獣は踵を返したのだった。


青の君(ブルエ)を連れて行きなさい」


「御意」




さて、厩舎で鞍をのせていると、背後からドタバタと足音が聞こえた。小柄な魔族の少女、件の青の君(ブルエ)である。一度引き返してから遠出の服装に着替えてきたのだろう、息を切らしているし、タイも曲がっている。魔獣の馬たちでさえ、馬鹿にするようにぶるりと鼻を鳴らす始末である。小さくため息をついて、詰襟を整え、タイを結び直してやる。


「まだ余裕があります。少し落ち着いて下さい。それから腕章は隠しましょう、藪蛇になるので」


「はい!久々のデートですね!エピヌ様!」


分かっているのか分かっていないのか、底抜けに明るい声でブルエが返事をする。いつもの事ながら、この()は頭が痛い。


「階位はあなたの方が上ですから敬称はやめてください。それからデートではなく官務です。気を引き締めて」


「いえ!私はエピヌ様に心底惚れ込んでおりますので!全身全霊でサポートしますとも!」


「……分かりました。乗ってください。移動しながら話しましょう」


(くつわ)を噛ませ、馬房から引き出した馬の背に飛び乗る。これからマルバス領西部の交易都市まで道中の官用ポータルを経由すれば1日もかからないが、今回はターゲットとなる者に来訪を気取られるわけにはいかない。したがって時間は掛かるが商用組合が共同出資したポータルを経由する事になる。辺境伯私領の裏山を抜け、最初のポータルに向かう。表の目撃を減らす目的と、安心して事前打ち合わせを済ますという二つの意味がある。


「さて、そろそろ今回の目的について認識合わせをしましょう。ブルエは氷の角(コルヌ・ドゥ・グラス)について知っていますか?」


「ええっと、我が領西端にある有名な港町ですよね、大きく迫り出した海岸線の形状から氷の(ツノ)と呼ばれ、交易が盛んです。主な交易品は珊瑚や真珠などの宝飾類から、山側の鉱山から取れる魔石など。あ、それからお魚が美味しい!」


「良いでしょう。ところで近年、冬至(ユール)前後で特に珊瑚の取引額が目覚ましいことは知っていますか?」


「でもそれは、冬至(ユール)だからですよね。氷の角の特殊な地形と海中に自然形成される魔力の結晶が珊瑚と融合し、特産品の冬星珊瑚を形成する。年明けの社交シーズンに先駆けて宝飾商の買取が殺到するので、値段が上がっちゃうのは自然な気がしますけど」


「その通りです。貿易の要地でもあるため、それだけでマルバス候が目くじらを立てることは、通常あり得ません。しかし、事前に目を通してもらった資料の327ページを思い出してみてください」


「北方漁業連合が提出している、『冬季漁業収穫・取引量に関する補足資料』ですよね、確かエピヌ様が比較しやすいよう同期の税収額メモを貼付した…あっ!」


「はい、その通りです。いくら何でも取引額に対して税収が低すぎるのです。マルバス公はこの謎を解明しろと仰せだ」




いくつかの民間ポータルを経て、適度に休憩を挟みながら氷の角に到着したのは、マルバス私領をから出発しておおよそ一週間後のこと。雪の気配は未だ遠く、灰色の空に対して広葉樹の色鮮やかさが引き立つ秋深い季節は、観光のピークである冬至まではまだ一月以上あるとはいえ、この港町に、気の早い商人や長い休暇を楽しむご婦人を多く呼び込んでいた。エピヌとブエルは、さる下級貴族の命で、冬星珊瑚の予約に来た従者、と言うことになっている。


「もし、お尋ねしても?」


詰襟の質素なドレスに着替えた2人がまず訪れたのは、北方漁業連合の出張所である。現地の漁業推進事業の傍ら、観光客向けの海産物紹介など、観光案内所に近い役割も果たしているが、それでも若い娘が2人連れ立って訪れるのは奇妙だったのか、受付にいた、いかにも海の男と言った見た目の、恰幅の良い魚人(マーマン)は、訝しげに2人を見上げた。


「おうよ。観光かい?こう言っちゃ何だが、こっちよか駅舎で聞いた方が嬢ちゃんたちが好きそうな話しが出ると思うぞ?」


「いえ、そうではないのです。私共の主が、冬星珊瑚を切望されておりまして」


「ああ〜、あ、そう言う」


途端に、親父さんが呆れ返ったような表情になる。不機嫌そうに尾鰭で床板を叩きながら、これみよがしに大きなため息をひとつ。


「どうせアレだろ、社交シーズンに上に取り入ろうと予約して来いってな。当ててやるよ、どこかの新参の下級貴族夫人のメイドかなんかだろ、手前ら」


腕を組み、据わった目で2人に向き直ると、親父さんはなおも続けた。


「あのなあ、毎年そういう阿呆が来るから言ってんだが、こちとらお得意様との付き合いもあるし、上級貴族なんて正規品買えるだけの金がわけだ。皮算用でそろばん弾いたって無駄無駄、そら、散った散った」


どうやらこちらを世間知らずと決めてかかっているらしい。エピヌにとっては好都合な話であるが、血の気の多いブルエは早くもワナワナと肩を震わせ、拳を握っている。そんな彼女を制し、エピヌはカウンターに身を乗り出し、前髪をかき上げた。


「そうもいかないのです。主様のご要望を叶えられなければ、また折檻を受けなくてはなりません、どうかご慈悲を」


「お、おいアンタ…いや、ご慈悲と言ってもなぁ……」


さしもの屈強な男も、無残なケロイド痕にはたじろいだのか、それとも妻子を思い出したのか、躊躇ったのち、ついに観念したように、一枚のメモ書きを差し出した。


「ここいらじゃ一番の頑固者だがよ、モリュ爺さんならどうにかなるかもしれねえ。まあ、せいぜい気長に拝み倒すことだ。気の毒だが、俺にできるのはここまでだよ」


「お心遣い、感謝いたします」


深々と一礼して、2人は出張所を後にした。


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