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BL

少年ロマンチシズム

作者: 相沢ごはん

pixivにも同様の文章を投稿しております。


(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)

 あの日のことは、わりと鮮明に覚えている。もしかしたら、成長していく過程で知らず知らずのうちに記憶を補完していたのかもしれないが、その日のおかんとの会話は、ずっと頭の隅にある。

 日曜日の昼だったと思う。俺はおかんとカレーを食べていた。

「実くん、保育園に好きな子おんの?」

 おかんが突然訊いてきた。テレビでは、芸能人の結婚式の映像が流れていたから、それに触発されたのだろう。保育園に通い始めて半年、仲の良い友達も増えてきた頃だった。

 俺は、うん、と大きく頷いた。

「おるよ。ちーちゃんやろ、ケンちゃんやろ、ゆきなちゃんやろ……」

 それから、それから、と指を折る俺を見て、

「ええなあ。ようけおるなあ」

 と、おかんはにこにこしていた。

「そしたらな、おおきいなったら結婚したいなあ思う子いてる?」

 いたずらっぽい表情を作り、おかんは言った。

「それやったら、ちーちゃんや。ぼく、ちーちゃんとケッコンしたい!」

 俺は、即答した。

「えー。前はお母さんと結婚する言うてくれてたやーん」

 と、おかんはおどけて見せ、カレーをスプーンですくった。そして、口をもぐもぐさせながら、ふと何かに気付いたような顔をした。

「ちーちゃんて、千晴くんやんなあ」

「せや。ぼく、ちーちゃんがいちばんすきやねん」

 俺は、なぜか誇らしい気持ちで、ちーちゃんがどんなにやさしくてカッコイイかをおかんに語って聞かせた。

「そうかあ。実くんは、ほんまに千晴くんが好きなんやなあ」

 でもなあ、とおかんは続けた。

「千晴くんは、あかんかもしれんなあ」

 おかんは少し困ったように笑っていた。俺の口にする「すき」が、どういう種類のものか、決めかねているようだった。

「なんで? なんであかんの?」

 俺は驚いた。そして慌てた。小さい小さいガキが、何をそんなに慌てたのかわからないが、とにかく慌てた。ちーちゃんと結婚できないなんて、そんなことあるわけない、と俺はおかんに向かって、なんで? を繰り返した。

「千晴くんは男の子やん。実くんも男の子やろ?」

 俺はこくりと頷いた。

「男の子は、男の子と結婚できひんよ。結婚したあかんねん」

「えー、なんで? そんなんいやや。なんであかんの? なんでケッコンできひんの?」

 おかんは、うーん、と唸った。唸ったまま、しばらく動かなかった。

「おかあさん?」

 俺が声をかけると、おかんは、けろっとした口調で、「わからん」と言った。

「なんで実くんと千晴くんが結婚したあかんのか、お母さんわからん」

 俺は、唖然とした。

「おかあさんにも、わからんことあんねや?」

「お母さん、賢うないからなあ。わからんことのが多いんよ」

 おかんは、いまも昔も正直なひとだ。それが、いいことなのか悪いことなのかはわからないが、俺が幼いということなど関係なしに、なんでも話してくれた。

 だから俺は、わりといろんなことを、理解できないにしても、知ってはいた。家に父親がいない理由も、この頃、もうすでに知っていた。

 気がつくと、カレーはすっかり冷めてしまっていた。おかんの皿にも、俺の皿にも少量のカレーが残っていたが、俺たちはお互いの顔を見合わせて、示し合わせたようにごちそうさまをした。テレビは、もう別の番組を映していた。


「もし。もしな、千晴くんも実くんのこと好きや言うてくれるんなら、結婚はできんでも、一緒におることはできるかもしらん」

 おかんは食器を洗いながら独り言のように言った。

「ほんま?」

 俺はおかんの太ももにしがみ付いて、おかんが俺とちーちゃんの未来を肯定してくれるのを期待していた。そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、おかんはこんなことを言った。

「でもな、そういうことて少ないねん。好きなひとが自分のことを好いてくれるいうんは、ほんまのほんまに、すっごいすっごいことやねんで」

 いまにして思えば、おかんは、幼少にしてすでに前途多難な雰囲気をかもし出していた俺に、かつての自分の姿を重ねていたのかもしれない。

 両親が離婚するに至ったのは、父の浮気が原因である。最初は、本当にほんの浮気だったのだそうだ。しかし、父はその浮気相手に本気になってしまったのだと言う。おかんは、それでも、そんな父のことが好きだった。離婚などしない、と頑張った。しかし、結局離婚をしたのは、やはり、父のことを好きだったからだと言う。

「好きなひとが幸せなんが、いちばんええやん」

 と、おかんは笑っていた。俺がお腹にいるとわかったのは、離婚した後だったそうだ。

 おかんは、俺のことを父には一切知らせず、ひとりで産んだ。それも、おかんに言わせれば、父のことが好きだったから、だそうだ。

 おかん、あほちゃうか。と、高校一年生になった俺は思う。

 それで、自分が笑われへんかったら意味ないやん。



 高校一年生の夏休み。

 俺は、ぺらっぺらの化学の問題集を持って、千晴の家に押し掛けた。

 俺は千晴への思慕の情を抱いたまま成長してしまい、途方に暮れていた。異性に興味がないわけではなかったが、いちばん好ましく思うのは千晴だったし、いちばん興味があるのも千晴のことだった。一般的な高校生男子として、明らかに外れた道を、俺は歩んでしまっていた。

 しかし、俺と千晴は良好な友人関係を築いていた。この思いを千晴に伝えるつもりもなかった。言ってしまったら、一発でぶっ壊れるであろう、仲の良い幼馴染みという関係。それを、壊したくはなかった。

 そんな個人的なごたごたを抱えたまま、俺は千晴の家へ自転車を飛ばす。まだ夏休みは始まったばかりだが、宿題は早めに終わらせておくに限る。目的は、とにかくそれだ。千晴は化学部に所属しているので、教えてもらおうと、いや、あわよくば写させてもらおうと思ったのだ。千晴のことだ。化学の問題集に真っ先に手を付けているはずだ。それに、千晴の部屋にはクーラーがある。それも目当てのひとつだった。

 しかし、千晴はクーラーをつけてはおらず、化学の問題集も半分ほどしか終わっていないと言う。仕方がないので、その半分を勝手に写した後、ふたりで問題集を解いた。主に解いていたのは千晴のほうだったが。

 部屋はうだるような暑さだった。窓は開けてあるものの、風がそよりとも吹かない。去年の夏祭りの夜店で買った金魚の風鈴も、静止したままだ。

「千晴ぅ、クーラーつけてぇ」

 それでも我慢して問題集を埋めていた俺は、ついに音を上げた。

「あかん。おかんに、なるべくつけんな言われてんねん」

 千晴は下じきで首元をパタパタと扇ぎながら言った。

「うへえ」

 俺は顔をしかめた。

「麦茶飲め」

 千晴が言う。

「飲んで汗出して体温下げたらええねん」

 そう言いながら、千晴は自分の麦茶を飲んだ。

 俺は、千晴の喉が動くのを見ていた。汗がじんわりと浮かんでいる。

 おいしそう。そう思った。

 千晴は麦茶で濡れた唇を、ぺろりと舐めた。

 暑かった。脳味噌が沸騰しそうだった。身体を巡っている血が熱かった。

 俺は、テーブルを挟んで向かいに座る千晴のティーシャツに手を伸ばした。袖口あたりを、く、と掴むと、

「ん?」

 千晴が俺の顔を覗き込む。

「どした?」

 濡れた唇が動く。おいしそうや。

 俺は、ティーシャツを掴んだ指にぐっと力を入れ、千晴の唇に、自分のそれを押し当てた。

 ふに、とやわらかい感触を確認して、濡れたそれを少し舐める。

「え?」

 千晴の発した疑問符が、ぽっかりと浮かんだ。

「実、何してん」

 気の抜けたような声で、千晴は言う。

「な、な、なに、て……。ほんま、ほんまや。何してんねやろ」

 ぼんやりした頭で自分の行動を振り返り、軽くパニックになった。ほんまに何してん。

 慌てて、千晴のティーシャツから手を離す。

 俺、いま。いま、千晴に何した?

「あかんやろ」

 千晴が言った。その言葉に、俺は冷水を浴びたように凍りついた。

「これは、あかんやろ」

 千晴は言う。

「あかんかな」

 呆然として、俺はオウム返しに問いを返す。

「あかんて」

 千晴はキッパリと言った。

「そら、そうやんなあ。あかんよなあ……」

 言いながら俺は俯いた。千晴の目を見ることができない。

 ごめんな、嫌なことして、と言うと、

「嫌? いや、うーん」

 と、千晴は曖昧な返事をする。

「なんやねん、お前。嫌なら嫌て、はっきり言えや」

 とは言ったものの、そんなの、聞かなくてもわかる。オスがオスにちゅー奪われて、ええ気はせんやろ。普通。しかし、中途半端に気を遣われるよりも、嫌だと突っぱねてくれたほうがかえってスッキリする。

「うん。別に、嫌やないよ。なんちゅーか、こんな感じや」

 と言って、千晴は右手を俺のほうへ差し出した。俺は反射的にその手を握る。握手。

「こんにちは。ごきげんいかがですか?」

 はろー、はわゆー? を和訳したような文章を、千晴はにこやかに口にする。

「こんな感じやねん。わかる?」

「なるほど」

 わかる。

 千晴は、なにも感じなかったということだ。嫌ではないが、どきどきしたり切なくなったりはしなかったのだ。

 ぎゅう、と心臓が縮まった。

 いままで築いてきた良好な友人関係。それが今日、崩壊した。他の誰でもなく、俺のせいで。

 しかし、どうやら千晴は怒ってはいないらしい。それだけが、救いだった。

「千晴、すまん。俺、暑さで頭おかしなってん。犬に噛まれた思うて忘れてくれ」

 俺が言うと、

「うん。俺、犬より猫のが好きやわ」

 千晴はわけのわからないことを言う。

「ほんなら、猫に噛まれた思うて……って、だあ! もう、どっちゃでもええ! とにかく忘れてくれ!」

「わかった」

 千晴は頷いた。

「ちゅーしたん、初めてやから忘れられるかどうかわかれへんけど、まあ、努力してみるわ」

「初めて? ちゃうやろ。千晴、お前、保育園時、由紀奈ちゃんとしてたやん」

「嘘や。覚えてへん」

「ほんまやって。俺見てたもん」

「そんなん、よう覚えてるなあ」

 そら、汚い嫉妬心たぎらせて見てたもん。覚えてないわけがない。

「まあ、でもそれやったら話が早いわ。千晴、お前、今日のことすぐ忘れるわ」

「せやろうか」

 千晴はポカンと間抜けな顔で言った。男前が台無しやぞ。

 千晴は、忘れる。そう思うと、胸の奥がじりじりと焼けるみたいだった。

 俺は、千晴に忘れてほしいのだろうか。それとも、覚えていてほしいのだろうか。よく、わからなかった。

 しかし、どちらにせよ夏休みの初っ端から俺は失恋してしまったわけで、これから傷心のまま楽しいはずの夏休みを過ごさなくてはならないのかと思うと、どうしようもなく憂鬱だった。

 よう考えたら、千晴とも遊ばれへんやんけ。気まずすぎるやろ。夏休み、何して過ごしたらええねん。

 俺は、自分で自分に腹を立てた。あんなことをしてしまった自分に。

「俺、もう帰るわ」

「そうか」

 俺が立ち上がると、千晴も立ち上がった。

「なんや、変な空気になってもうたし」

 いや、変な空気にしたんは俺やねんけど、と、口の中でもごもご言うと、千晴は笑った。

 その笑顔にほっとして、俺は訊いてしまった。きっと、否定してほしかったのだ。そして、千晴なら否定してくれると、小狡い俺は知っていた。

「なあ、千晴。俺のこと、気持ち悪い思う?」

「なに言うてんねん。気持ち悪いことなんてあれへん」

 千晴のその答えに満足した俺は、

「ありがとう」

 部屋を出ようとドアを開いた。その時、

「実。お前、もお、ちょお、こっち来い」

 千晴が怒ったような口調で俺に手招きをした。言われるままに、千晴のそばに寄ると、いきなり、ぎゅうと抱きすくめられた。

「ほら、気持ち悪いことなんて、いっこもない」

 汗の匂いがする。俺は、くふんと鼻を鳴らした。

 俺の両手はぶらんと下がったまま。この手を背中に回すことはできない。

 千晴はやさしい。やさしくてカッコイイ。だけど。

 だけど、このやさしさは、残酷やで、ちーちゃん。こんなんされたら、もっと欲しなるやん。

 こらえていたものが、溢れそうになる。しかし、必死で飲み込む。いま泣いたら困る。千晴が困る。千晴を困らせたくはない。千晴が困るのは嫌だ。

 千晴は、千晴は、千晴は。

 千晴は、笑うてないとあかんねん。

 ああ、もう。人生、うまくいけへんもんやな。せやけど、そんなんずっと前から知ってたわ。

 なあ、おかん。あほや思うてごめんな。俺、わかってん。

 やっぱり、やっぱりな。好きなひとが笑てるんが、いちばんやんなあ。

 金魚の風鈴が、ちりりん、と小さく鳴った。



 九月になった。

 真夏のピークは過ぎたとはいえ、まだまだ朝も暑い。

 俺はぐいぐいと自転車を漕いだ。

 二学期が始まる。

 半袖の開襟シャツと白いセーラー服が、校舎に吸い込まれていく。

 夏休みの間中、俺は千晴に会わなかった。千晴は何度も家に遊びに来たが、俺は会うことを拒否し続けた。会えるわけがない。あんなことをしておいて、どのツラ下げて会えばいいのだ。

 そんな俺に、

「実。あんた、ほんま最近どないしてん。死んだ魚みたいな目ぇしてるで」

 仕事から帰宅したおかんは、

「千晴くんにふられたん?」

 真顔でそう訊いてきた。

 仰向けの腹にバスタオルをかけて扇風機の風を浴びていた俺は、ぎょっとして起き上がった。

 なにダイレクトに訊いてくれてんねん。

 俺が嫌な顔をして見せると、

「図星なん」

 おかんは、パチパチと瞬きをした。そして、

「実のことやから、ずっと隠しとくつもりや思うてた」

 と、呆気にとられたように言った。

 別に、好きや、付き合うてくれ、言うたわけちゃうし。ただ、ついうっかりちゅーしてもうただけや。心の中で反論する。まあ、それが大問題やねんけど。

 とてもじゃないが口には出して言えない反論は、腹の底に重石のように居座った。

「元気出し」

 おかんは言う。

「あんたが元気ないと、お母さんつまらんわ」

「まあ、おいおいな」

 俺は、再び寝転がる。

「いまは、ちょっとなあ。まだ元気出されへんわあ」

「ほんなら、ヘコむのに飽きたら、元気出しや」

「了解」

 飽きたらてなんやねん。俺は少し笑った。

「おかん。俺、なんや変なふうに育ってもうて、ごめんな」

「あほ言いな。健康に育ってんねんから、ええやん。健康やったら大体のことは許容範囲や」

 器でかすぎるやろ、おかん。普通なら深刻に家族会議やぞ。


 駐輪場へ自転車を停めていると、

「実」

 千晴に呼び止められた。

「おはよう、千晴」

 俺が言うと、

「おはよう」

 千晴は、なんだかほっとしたように笑った。

「俺、休みの間、お前んち何回も行ってんで」

 千晴が言う。

「すまん。腹壊して寝ててん」

 そんなわけない。一ヶ月ちょいも腹壊し続けてるやつなんかおれへんやろ。だが、千晴は、

「もう大丈夫なんか?」

 と心配そうにする。素直すぎるわ。

「うん」

 俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「実、お前、宿題ひとりでできたんか?」

「できてるかできてへんかはわからんけど、一応全部埋めたよ」

 宿題くらいしか、やることなかったからな。心の中で呟く。

 俺は、普通だろうか。普通に受け答えできているだろうか。そればかりが気になって、会話に集中できない。

「ほんまか。偉いやん」

 そう言って、千晴が俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でたので、びくりと震えてしまった。

 俺、いままでどうしてたっけ。こういう時、どういうふうにしてたっけ。

「やめえ、もう。髪形崩れるやんけ」

 俺が言うと、千晴はぎゃはぎゃはと笑った。

 めっちゃ普通やん、こいつ。もう、あのこと忘れたんやろか。

 俺は、千晴に対して、理不尽な苛立ちを感じた。しかし、忘れろと言ったのは自分だ。何を苛立つ必要があるのか。

 千晴が忘れてくれたのなら、俺も忘れなければいけない。それが無理でも、忘れたふりをし続けよう。俺は、そう決意した。

 戻ってきた良好な友人関係を、今度こそ壊さないように。



 始業式とホームルームだけで学校は終わった。

 ホームルームが終わると同時に、千晴を訪ねて隣のクラスの女子がやってきた。珍しいことではないので、最初は冷やかしていたクラスメイトたちも、だんだん冷やかし飽きてきて、いまでは見事なスルースキルを身に付けていた。

 千晴はモテる。

「実。お前、俺と一緒に帰るんやぞ。待っとけよ。ええか。逃げんなよ」

 早口で言って、千晴は女子と共に教室を出て行った。体育館裏かどこかへ移動するのだろう。

「逃げへんよ」

 千晴を待つ間、俺は隣の席の飯塚哲平、通称ぺっちゃんとマグネットオセロをしていた。

「野崎。呼んでるぞ」

 入り口付近でだべっていたクラスメイトが俺を呼ぶ。

「誰ぇ?」

「知らん。三年の女子のひとやで」

 見ると、前中先輩が小さく手を振っていた。

「こくはくちゃうの」

 ぺっちゃんが冗談ぽく言った。ぺっちゃんの口調は、あほっぽい。ひらがなでしゃべっているみたいに聞こえる。

「ちゃうやろ」

 俺は笑う。自慢じゃないけれど、いままで生きてきて、告白されたことなんて一度もない。

「あのひとは化学部の部長さんや。千晴に用があったんちゃう?」

 俺が言うと、

「なかのっちに? またか。ほんっまモテるなあ、なかのっちは!」

 と感動していた。

 「なかのっち」というのは千晴のことだ。中野千晴だから、「なかのっち」らしい。そう呼ぶやつは、ぺっちゃんしかいないけど。

 前中先輩は、千晴の部活の先輩で、俺も何度か喋ったことがある。面倒見のいい、優しい先輩だ。

「前中先輩、千晴に用やったですか? いま職員室行ってますけど」

 方便だ。本当は今頃、告白タイムのはずだ。

「ううん。今日は野崎くんに用があって」

「俺に?」

「ちょっと時間ええ?」

「はあ」

 俺は、ぺっちゃんに

「ちょっと行ってくる」

 と声をかけた。

「ほんなら、おれもうかえるわ。オセロそのままおまえのロッカーいれとくぞ」

「もう崩して、しもうといてええよ」

「イヤや。おれのがかっててんから。あしたつづきやろ」

 ぺっちゃんはそう言って、マグネットオセロをそーっと教室の後ろの俺のロッカーまで運び、そのままそーっと置いた。

「ほんなら、みのくん。またあしたな」

 ぺっちゃんは、そう言ってひらひらと手を振った。そして、口だけを動かした。その口は、「こくはく」と読めた。

「あほ」

 俺も口だけを動かして、笑った。



「私な、野崎くんのこと、好きやねん」

 まさか、ほんまに告白やとは思わんかった。

 前中先輩に連れて行かれた先は、化学室。化学の授業での実験等に使う教室だ。化学部の活動拠点でもある。しんと静かな、薬品くさい部屋。外とは違い、どことなくひんやりとした空気が漂っている。

「別に、付き合ってほしいとか、そういうのはええねん。そういうつもりとちゃうくって」

 前中先輩は言う。

「野崎くんの気持ちが私に向いてへんことは、なんとなくわかってたし」

 前中先輩は、目を伏せた。

「せやから、野崎くん困るんわかってて勝手でごめんやけど、自分の気持ちだけ伝えられたらええと思うて。そんで、整理してすっきりして、受験に本腰入れよ思うて」

 さっきから、前中先輩ばかりがどんどん喋って、俺は口を挟めずにいた。だから、ちゃんと言おうと思って、

「ごめんなさい。俺、好きなひとがいてるんです」

 と、頭を下げた。前中先輩は微笑んで、「うん」と頷いた。

「ごめんなさい」

 俺は、もう一度頭を下げる。

「まあ、野崎くんは、私に申し訳ないな思うて、しばらくは、もやもやーっと悩んどったらええわ」

 と、前中先輩は冗談ぽく笑った。

「そんくらい困ってもええんちゃう。私のために」

 そう言った前中先輩のほうが困ったような顔で笑うので、俺はなんだか泣きそうになった。

「ほんまは、夏休み前に言うつもりやってん。終業式の日」

 前中先輩は笑顔でそう言う。

「そしたら、お互い、しばらく顔合わせんでもええやん? でも、野崎くん、中野くんと一緒にわき目も振らんと、はよ帰ってまうんやもん」

 前中先輩も、夏休みの間中、もやもやしていたのかもしれない。

 目の前の女の子は、ショートカットがよく似合う。真っ白なセーラー服の袖から、すらっと伸びた腕は細くて白い。儚げに見えるのに。俺を好きだと言って、ごめんなさいされて、それでも笑っている。俺の気持ちが自分に向いていないことは、わかっていたと言う。それなのに、自分の気持ちを告げてきた。

 強いな、と思う。ふたつしか違わんのに。俺もふたつ年を重ねたら、そういうふうに強くなれるんやろうか。それとも、これは前中先輩自身の強さであって、俺がいくら年を重ねても、前中先輩のようにはなれないのかもしれない。

「あ、せや。中野くんに言うといて」

 前中先輩は、話題を変えるように、いままで以上に明るい声で言った。

「明日っからは、部活ちゃんと出てやーって。化学部な、夏休みも三回しか部活せえへんのに、中野くん全部休んでんで」

「全部? 千晴が?」

 俺は驚いて訊き返した。千晴は化学部に入部してからいままで、週三回の部活を休んだことなんて一度もない。

「うん。なんや、一身上の都合やって言うてた。お家のことなんかな? 野崎くん、なんか聞いてる?」

 前中先輩は心配そうだ。

「いえ。なんも」

 俺は首を振った。千晴からは何も聞いていない。

 なんかあったんやろうか。

 頭の中が、くるくると混乱する。

「出て来い言うといてあれやけど、ほんまに大変なら、部活も休んでええし。ただな、私の我儘。もう少しで引退やから、みんな揃っててほしいだけやねん」

 前中先輩は言う。俺は頷いた。

「そう伝えときます、千晴に」


 教室に戻ると、俺の席の横で、千晴がぼんやりと突っ立っていた。もう、他に残っている生徒はいない。

「千晴」

 呼ぶと、

「実。どこ行っててん」

 千晴は鋭い声を投げてきた。少し驚いて千晴を見つめると、自分の出した声に戸惑ったように、

「帰ったんか思うたけど、鞄もあるしやな……」

 と口篭もる。

「前中先輩に呼ばれて、行っててん」

 俺が言うと、千晴は、

「どこへ」

 と訊き返してくる。

「化学室」

 あまり大きな声は出したくなかったので、千晴のそばに寄る。自分の机の横に掛けてあった鞄を肩に掛けながら、

「告白された」

 と小さく言った。

 千晴は目を見開いた。そして、

「付き合うんか」

 と問うてくる。

「付き合わへんよ。ごめんなさいて言うて来た」

 俺は、お前のことが好きなんやから。その言葉は、口には出さない。

「そうか」

 千晴は静かに言った。「そうか」と、もう一度言う。

 千晴の、ほっとしたような表情を見て、俺は気付いた。

 あ。千晴は、前中先輩のことが好きなんや。だから、誰に何度告白されても断り続けているのか。

 腑に落ちた。と同時に、急に、胸と喉が苦しくなって、俺は小さく咳をした。

「帰ろ」

 無理矢理に笑顔を作る。


「前中先輩、心配したはった」

 駐輪場で自転車の鍵を外しながら、伝言する。

「夏休み、部活休んだんやって?」

 俺が千晴を避けまくっていた間に、何かあったのではないか。

「なんか、あったんか?」

 千晴が困っていたかもしれない時に、俺は千晴を避けていた。話も聞いてやれなかった。自分のことしか、考えていなかった。

 後悔。自己嫌悪。

 混乱する。くるくる回る。

 千晴は、「いや、お前が」と言いかけて、口を閉じた。

「いや。うん。ちゃうわ。お前のせいにしたらあかんわな」

 千晴は呟く。

 俺のせいか。

 目の前が暗くなる。カシャン、と自転車のストッパーを蹴る。

「俺のせいか」

 と、口に出す。やっぱり、あんなことをするべきではなかったのだ。

「いや」

 千晴は首を振った。

「俺のせいなんやろ」

 更に言うと、

「忘れられるわけ、ないやん」

 千晴は呟いた。

「忘れよ思うたけど、無理や。由紀奈ちゃんの時とはわけが違うわ。もう、あの頃みたいな子どもとちゃうし」

 千晴の端正な顔が歪む。眉間に皺が寄る。

「家行っても、お前、ずっと出て来おへんし、正直、部活どころやなかった」

 ふたり、自転車を押して歩く。千晴の右横に自転車、俺の右横にも自転車。この隔たりが、現実だ。

「ごめんな、ほんまに。もう、ほんまのほんまに忘れてくれ」

 千晴は黙っていた。

 忘れられるわけ、ないやん。

 千晴の、その言葉に喜んでいる自分が確かにいて、それがたまらなく情けなかった。

「前中先輩が、部活出て来てほしいって。もうすぐ引退やからって」

「うん。せやな」

 と、千晴が笑うので、やっぱり胸が苦しくなった。


 俺は千晴が好きで、千晴は前中先輩が好きで、前中先輩は俺が好き。

 ほんま、人生、うまくいけへんもんやな。知っていたけれど、それを受け入れるのは結構しんどい。そんなん、俺だけとちゃうのに、なんで俺だけがつらいんやと思い込んでしまうんやろ。

 ほんまに、ひどい。情けない。



「なんで、ぺっちゃんがおんの?」

 俺の家に迎えに来た千晴が、顔をしかめた。

「みのくんにさそわれてんもん」

 ぺっちゃんは飄々と答える。

「お、大勢のほうが楽しいやん」

 俺が言うと、千晴は口を尖らせた。無言で俺を非難している。

「しゃあないなあ」

 千晴は、何かを諦めたように呟いた。

「しっけいやな、なかのっちは。べつにおれがおってもええやん。なーんも、もんだいないやろ」

 ぺっちゃんはダブルピースをして見せた。いま時、ダブルピースて。


 千晴に誘われたのは、十月に入って暫く経ってからだ。

「日曜日、昼からどっか行かへん?」

 下校途中、千晴はそう言った。俺は、暫く迷うように目を泳がせてしまい、慌てて、「うん」と頷いたのだ。


 俺と千晴は、お互いにもやもやを抱えたまま、表面上は仲良く過ごしていた。

 千晴が前中先輩と仲良く喋っているのを見ては複雑な気持ちになり、更には苦しくなったが、千晴も前中先輩も笑っているのでほっとした。

 笑っているのなら、それでいい。

 千晴がいちいち、「実。今日、一緒に帰ろ」と言うのも以前とは違ったけれど、放課後、ぺっちゃんとマグネットオセロをしながら、部活に出たり、女子に呼び出されたりした千晴を待つのは相変わらずだった。

「なかのっちは、なんでいっつもこんなにおそいねん。やらしいことでもしてんのちゃう。うらやましい」

 そして、待ちくたびれたぺっちゃんが途中で帰るのも相変わらず。

 ただ、休日にふたりきりで遊ぶということはなくなった。以前は、毎週のようにどちらかの部屋で遊んでいたのに。

 俺は密室で、千晴とふたりきりになるのがこわかった。

 千晴のことが好きだ。諦める諦めない以前に、それは、ずっと変わらないと思う。ただ敢えて、諦める諦めないで言ってしまうならば、俺は、もうとっくに諦めているのだ。千晴とどうこうなろうとは思っていない。それなのに、ふたりきりになると、またあんなことをしてしまうのではないかと不安でたまらない。

 もしかすると、千晴の、「日曜日、昼からどっか行かへん?」は、妥協案だったのかもしれない。千晴も、俺と密室でふたりきりになるのがこわいのだろう。また、あんなことをされてはかなわない。きっと、そう思っているのだ。

 気まずい気持ちが先に立ち、俺は、ぺっちゃんを誘ってしまった。



 駅裏のショッピングビルで、洋服を見たり、本を見たり、ぶらぶらと過ごした。基本、見るだけだ。お金はあまり遣わない。

 ぺっちゃんは、本屋で漫画を二冊買っていた。

「何、買うの?」

 レジに向かうぺっちゃんの手元を覗き込む。

「『みなみけ』と『よつばと!』」

 ぺっちゃんはうれしそうに答える。

「おもろい?」

「めっちゃおもろいで。こんどかすわ」

「ほんま? ありがとう」

 その時、千晴が、くっと俺とぺっちゃんの間に身体を割り込ませた。

「俺にも貸して」

 千晴が言った。

 千晴との距離が近すぎて、俺は身体を退く。

「ええよー」

 ぺっちゃんが笑う。


 その後、地下のフードコートでアイスクリームを食べた。千晴とぺっちゃんはイチゴ、俺はチョコ。

「みのくんのチョコ、すこしもらってもええ?」

 ぺっちゃんが言った。

「おれのもあげるし。いちご」

「うん、ええよ」

 俺は頷く。

「あかん」

 千晴が首を振る。

「え。なんで?」

 俺とぺっちゃんの声が重なった。千晴は、きょとんと俺たちを見た。

「なんでも。あかん。なんか、あかん」

 千晴は、自信がなさそうにそう言った。

「おさななじみやからってー、みのくんは、べつに、なかのっちのもんとちゃうやんか。みのくんがおれとなかようしててもええやんか。みのくんのじゆうやで」

 ぺっちゃんが言う。

 千晴は、きょとんとぺっちゃんを見返していた。それから、はっとしたように目を見開き、

「そうやんな」

 と呟いた。

「実は、俺のもんとちゃう、よなあ……」

 千晴が俺を見るので、俺は戸惑った。

「そうやんなあ」

 千晴は、再び呟く。

「どないしてん、なかのっち。きょう、へんやで」

 ぺっちゃんが首を傾げる。

「いや。なんでもないねん。うん。ぺっちゃん、ごめんな」

 千晴が言うと、ぺっちゃんは、「まあ、ええけどな」と笑った。

「じぶんのなかよしのともだちが、ほかのひととなかようしてたら、おおかれすくなかれヤキモチやくもんな」

 ぺっちゃんは、納得したように頷いた。

 やきもち? 千晴が?

 俺は、ポカンと千晴を見た。千晴は恥ずかしそうに目をそらす。

 うれしかった。同時に申し訳なかった。千晴は、変わらず、俺のことを仲良しの友達だと思ってくれているのだ。それなのに俺は、千晴への思慕の情を捨てられない。ずっと捨てられなかった。これからも、きっと捨てられない。

 そんなの、ひどい裏切りだ。



 帰り道、途中でぺっちゃんと別れ、千晴とふたり並んで歩く。

「家、寄ってええか?」

 ふいに、千晴が言った。

「ええよ」

 俺は頷いた。

 今日、千晴は俺と仲直りをしたかったのかもしれない。喧嘩もしていないのに、仲直りというのも変な話だが、きっとそうだろう。だとしたら、ぺっちゃんを誘ったのは悪かった。千晴にも、ぺっちゃんにも。

 友達や。千晴は、仲ええ友達。頭の中で繰り返して、俺は、腹を括った。

 仲直りや。


 おかんは買い物に行っているのか、家には誰もいなかった。

「なんか、久しぶりやな」

 俺の部屋に入った千晴が言う。それを聞いて、

「せやな」

 俺は少し笑った。

「ジュースとかあったかな。ちょっと持ってくる」

 部屋を出ようとすると、

「そんなん、ええよ」

 千晴に腕を掴まれた。

「実。あんな、」

 そう言って、千晴は口を噤んだ。それから、迷うような素振りを見せ、言う。

「怒ってもええけど、怒らんといてくれたら、うれしい」

「何に?」

 それには答えず、千晴は俺の両肩を掴んだ。何事? と問う間もなく、唇を塞がれる。


 え。

 思考が停止した。

 ぬるり、と自分の舌に千晴の舌が絡まる感触。


 ぞく。

 身体が震えた。


 あ、あっかん!

 理性が悲鳴を上げる。思わず俺は千晴の胸を両手で押した。ぐっ、と。強く。

 千晴の唇が離れる。

「な、な、なに、」

 言葉がうまく出てこない。

「あ、あ、あああああかんやろ」

 動揺が、そのまま口から溢れた。

「あかんか」

 千晴が、静かに言う。

「あかんかな、実」

 あかんやろ。友達やんか。千晴は、仲のええ、友達やんか。

 あれ、どうやったっけ? ちゃうかったっけ?

 混乱する頭に、ふとよぎる。

 あの時と、逆や。

「嫌やった?」

 千晴が問う。俺は、ふるふると首を振った。

「拒絶、したやん」

 千晴の視線が俺の両手に絡まる。

 いや。ちゃう。これは、ちゃうよ。嫌やったわけやなくって。

「な。なんか。気持ち、良うなって、あ、あか、あかん、て思っ……」

 言い終わらないうちに、再び千晴の唇が重なった。

 俺はドアを背に、ずるずるとその場にへたり込んだ。そのせいで離れてしまった身体と唇を、千晴は再びくっつけてくる。

 背中に腕を回され抱き寄せられて、舌で舌を突つかれて、脳味噌が零れ落ちそうだ。

 わ。わっけわからん。なんやの。何事?

 そう思いながら、俺はぎゅっと目を瞑り、千晴の背中に腕を回してみた。シャツを掴むと、千晴の背中が微かに震える。

 なんで? なんで、なんで、なんで?

 頭の中がくるくると大忙しだ。

 なんで、俺ら、こんなことしてんの?

「お前のせいやぞ」

 吐息混じりの声で、千晴が言った。

「ちはる、なんで……」

 声が震えた。

「お前が、ちゅーなんかするからや」

 その言葉に怯む。反射的に、「ごめん」と謝っていた。

「あの時から、おかしなった。気にせんとこ思うても気になって、忘れよ思うても忘れられへん」

 千晴の声には余裕がなく、その事実が、俺の混乱し倒した頭をさらに混乱させる。

「お前のせいや」

 千晴は言う。

「なんで、お前ばっか普通やねん。今日も、なんで、ぺっちゃん呼ぶの。俺、ふたりで遊ぼ思うてたのに。そんで。なんで、俺ばっかお前のこと気にせんとあかんねん。お前が告白されたって聞いて不安になって、付き合わへんて聞いて安心して。ぺっちゃんと仲良うしてんの見て、もやもやして。気になって、気になって、しょうがない。お前の言動に一喜一憂してる。気が変になりそうや」

 俺は呆然として、千晴の腕の中で震えていた。

 千晴は、前中先輩のことが好きなんちゃうの?

 混乱していた。

「お前も、もっと俺のこと気にせえよ。あんなことしといて、なんで忘れられんねん」

 俺は、唾を飲み込んだ。

「忘れてへん」

 言うと、千晴の身体もぴくりと震えた。

「忘れてへんよ。忘れたふり、してただけや。千晴が、普通やったから、忘れてくれたんや思うて、せやから、俺も忘れよ思うて、でも無理で……」

 だって。だって。

「す」

 苦しい。

 苦しい苦しい苦しい苦しい。

「好きや、千晴」

 千晴の腕の中で、俺は喘ぐように言った。

「友達とか、幼馴染みとか、そんなんちゃう。好きや。ずっと、好きやった」

 千晴のシャツの背中を掴んだ手に、力が入る。

「変やろ。どう考えても、変やんか。普通とちゃうもん、こんなん。おかんは、健康ならええ言うて笑うてくれたけど、おかん以外には受け入れてもらわれへんよ。わかるやろ。普通とちゃうねんから」

 わかるやろ。なあ。そう言っても、千晴は微かに頭を揺らしただけで黙っている。

「小さい頃から、ちーちゃんのこと好きやった。最初からや。最初から、ずっとや。前途多難やろ。なあ。いまでも好きや。ずっと好きや。どうしたらええ? どうしたら良かったん? どうしたらええか、わかれへん。こんなん、誰にも相談できひん。千晴に相談できるわけもない。どうしたら良かったんやろ。どうしたら、千晴を困らせずに済んだんやろ。あんなこと、せんかったら良かった。そしたら友達でおれたのに。俺が、こんなんやから悪い。前中先輩も傷付けて、千晴も傷付けて。いっこもええことない。全部、俺があかんねん。全部。全部、俺のせいや」

 喉が震える。目頭が熱くなった。涙が溢れてしまわないように、俺は喋り続けた。

「すまんかった」

 千晴が言った。ぽんぽん、と俺の背中を優しく叩く。

「お前のせいちゃう。ごめんな。お前のせいにしたら、あかんよな」

 子どもをあやすようなやさしい声。

 ほらな。ちーちゃんは、やさしいねん。やさしくて、カッコイイ。

「友達とか幼馴染みとか恋人とかな、そんなんはどうでもええわ」

 千晴は、俺の顔を覗き込むようにして見た。近い。

「とりあえず、一緒におったらええんちゃう」

 そう言って、千晴は今日、初めて笑った。

「一緒におってくれんの?」

 俺は呆然としたまま、問い返す。

「一緒におりたいねん」

 千晴は頷いた。

「ぺっちゃんも時々おってもええよな?」

「うん。大勢のほうが楽しいもんな」

 顔が近付く。唇を塞がれた。やわらかい感触。ぞくぞくっと背中に電流が走った。

「な、な、なんで、ち、千晴は、すぐ舌入れんの?」

 びっくりするやんか。そう言うと、

「嫌やった?」

 と返されて、俺は黙ってしまう。

 千晴は静かに笑う。

 俺は、笑おうと思って失敗した。


 ほんまのほんまに、すっごいすっごいことが起こった。たぶん、今世紀最大のすっごいことや。

 俺は、また笑おうと思って失敗し、ぼろぼろと泣いてしまった。



ありがとうございました。

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