不穏な亀裂さま
強力な魔術ならば、それに見合うだけの派手な音や光が生じるはず。
それは完全に何の根拠もない思い込みと勝手なイメージに過ぎないのだが、それでも魔王の持つ最高位魔術の一つだと言われれば、光線が飛んだり、爆発が起きたりするのではないかとシオンは思っていた。
だからこそ、ドラゴンモドキと呼称した正体不明の生物の、その巨体の上を水平に走る一筋の線が生じたのを見た時、まず感じたのは何それという拍子抜けした感情だったのだが、すぐにその生じた線を境にしてドラゴンモドキの巨体が上下で左右にズレて行くのを見て、背筋に冷たいものが走る。
その巨体へと加えられた攻撃は何百にも及び、全身に弾丸が埋め込まれ、ベアリング弾によって抉られ、杭が大穴を開けたはずであった。
しかしそれら全てを受けて尚、ドラゴンモドキは命を失うことなく傷を癒やしながらこちらの世界へ出てこようとしていたのだ。
だと言うのに、たった一筋の線がドラゴンモドキの巨体を断ち切り、しかもどんな状態からでもその体を治し続けていた再生能力が、全く発揮されないままにドラゴンモドキを二つの肉塊にしてしまおうとしている。
「何故……? 再生しない!?」
生じた線から内圧に負けて、内容物と黒い体液とがごぼごぼと音を立てて流れ落ち、床へと溜まっていく。
これまでならば似たようなダメージを受けたとしても、ドラゴンモドキは叫び声を上げながら体を再生してきたのだ。
しかし今は、一声すら発することもなくただ淡々と、体の中身を外へと垂れ流していきながら、その巨体からは命が失われていく気配が漂う。
「再生というのは生きていてこそ使える能力だからな」
声を震わせて、信じられないと言うように頭を振るシオンにアインが言う。
「完全に命を断ち切ってしまえば、必要になる能力は再生ではなく蘇生だ」
「あんなに苦労して相手していたものを、たった一発で完全に絶命させたと言うんですか……?」
「たった一発と言うがなシオン。魔王がそれなりに本気で放った一撃なんだぞ? むしろこれを食らっても平然と再生し始められたらこいつ、神かその眷属だぞ」
元々このトラップを設置したのは考古学者のユミルという女性ではないかとアインは思っている。
そんな人物に、軽々と神やら神の眷属やらを呼び出されてしまっては、とてもではないが手持ちの戦力でけんかを売ろうとは思わない。
もちろん、どうしてもけんかをしなければならない相手というわけでもないのだが、現状でのユミルへの印象は、最悪の一途をたどっている真っ最中だ。
「いずれ蘇生されるのかもしれないが、今回はこれで十分だろ」
アインの言葉を証明するかのように、黒い亀裂が少しずつその大きさと幅とを減らし始め、何か固い物やら柔らかい物やら湿った物やらが一緒くたに砕けて潰されていく音と共に、その亀裂から出てこようとしていた巨体がゆっくりと亀裂へ飲み込まれていく。
「いずれ蘇生って……あれ、あそこから生き返るんですか!?」
「さてどうだろう? この場における死は確定したので、送還が始まっているんだと思うんだが……こういう奴ってクールタイムが過ぎたり、複数の命を持ってたりしてあっさりと復活したりするからな」
「命って複数持っているものでしたっけ?」
「有名どころじゃ猫は九つ持ってるらしいぞ」
「迷信でしょう?」
「二千年前には九つどころじゃない命を持った猫神がいたけどな」
「本当ですか? ちなみにその神様はどちらに?」
「知らん、二千年も前の話だし。元々かなり気まぐれな存在だったからな。案外その辺で適当に飼い猫をやっているかもしれん」
雑談めいた会話をしながらも、アインの視線は命を失った巨大な肉塊から離れることはない。
これが完全に亀裂に飲み込まれ、亀裂自体が消えてくれてやっと一息つける状態になるわけで、それまでは全く気を抜くことができないとアインは考える。
どうにか倒したドラゴンモドキではあるのだが、アインが倒した個体が出てこようとした唯一の個体だったとは限らないのだ。
つまりは死んだ個体を押しのけて、別の個体が顔を出してきたとしても、何ら不思議なことではないのである。
その備えとしてアインは、もう一発分の「断界」の魔術を、発動前の状態でキープしていた。
必要とあればいつでも放てるようにと準備しているのだが、使う機会が来なければいいなと思っている。
その理由は、魔王城にあった。
「陛下。お気づきですよね?」
「サーヤ。もちろん気づいている」
クロワールのパワードスーツを抱きかかえているサーヤの声は緊張のせいなのかかなり固い。
「シオン様の指示は的確でした」
「艦外へ脱出した者は?」
「ゼロです。ただ、全員が艦外活動装備の着装を終えました」
アインが魔術を放つ瞬間、何か危険な状態になるのではないかとシオンが指示を出した結果がそれであった。
艦外へ脱出した者がいないのは、間に合わないと考えたのか、それとも魔王を残して自分だけが逃げるわけにはいかないと言う忠誠心の表れなのか。
いずれにしてもアインが使った魔術が意外と地味だったので、出した指示は無駄になったかなと考えているシオンなのだが、実情は大きく異なる。
「魔王城、ダメージ診断は中破判定です」
サーヤにそう言われてアインはきまり悪そうに頬をかく。
魔王が本気で放った魔術は、正体不明の生物を死に至らしめていたのだが、同時にその威力があまりに高すぎたために、あろうことか魔王城の船体まで切り裂いてしまっていたのである。
「修復は?」
「開始中です。先程のと同じレベルのものをもう一度使いますと、おそらく大破判定になるのではないかと」
大破は撃沈の一歩手前である。
当然、修復にはそれ相応のコストと時間がかかってしまう。
「俺も使いたいわけじゃないんだが」
そう語るアインの視線の先を見て、サーヤは息をのんだ。
命を失って、亀裂に飲まれようとしている巨体とは反比例して、亀裂が何故だか再びその長さと幅とを増し始めていたのだ。
「これはっ!?」
「分からないが、何か不味いものが出てこようとしていると見た」
一体何が、とサーヤが問う暇もなく。
アインは迷う素振りすら見せないままに、二回目の断界を亀裂めがけて放ったのであった。




