解き放つ魔王さま
魔王アインはこれまでの人生において、魔力を練るといった行為を行ったことがほとんどない。
理由は必要なかったからだ。
魔王討伐にやってくる勇者一行は、アインの目から見れば取るに足りないと評価する程度のものであり、わざわざ魔力を練り上げて、その強度を高めるようなことをしてまで相手にするような敵ではなかったからである。
しかも周囲の大気には魔力が豊かに含まれており、アインからしてみればそんな魔力を適当に垂れ流すだけで、敵はそれに抵抗することもできずに消えて行っていたのだ。
だが今は、そのように豊かな魔力は存在しておらず、魔王城シリーズの航宙艦で細々と生産されているのみである。
使える量が少ないのだから、垂れ流して使える余裕などなく、効率的に運用しなければならないとなれば、普段使わないような技術も使わざるを得ない。
「これをやるのは何年ぶりだろうな」
右の掌の上へ練り上げた魔力を集中させつつアインは呟く。
眠っていた二千年を計算に加えるのであれば、勇者達の相手をしていた期間も一度も使ってこなかった技術なので、三千年近くぶりなのではないかとアインは思う。
「さて、時間稼ぎご苦労だった。準備は整ったので退いていいぞ」
アインに声をかけられたパワードスーツ達は、アインの声が聞こえているはずだというのにその場から動こうとしない。
その場に居合わせている全員が、その場に足を止めたままじっとアインの右手へと視線を注いでいる。
「どうした?」
「何かとてつもなく強大な気配がするんですが」
まだきちんと魔術の手ほどきを受けていないシオンである。
しかも距離的には数万キロメートル程離れており、さらにパワードスーツのカメラ越しだというのに、シオンはアインが練り上げた魔力の気配を感じ取ったと言うのだ。
そう言えば、初代も妙な勘みたいなものだけは鋭かったなと思い出すアインは、サーヤが操縦しているパワードスーツへ目を向ける。
「サーヤはどうだ?」
「気配だけで圧死しそうです」
シオンとは違い、一応魔術の手ほどきを受け、それなりに魔術を使えるサーヤは、距離的にも魔王城の艦内にいるせいで、シオンよりさらに強烈にアインの持つ力の気配を感じ取っていた。
「ちなみにクロワールは落ちました」
「落ちた?」
「はい、失神中です。あまりお見せできない状態でしたので、医務室に運ばせました」
見せることができない有様とは、一体どんな有様なのだろうかと一瞬考えかけてしまったアインなのだが、すぐにその考えを頭の外へと追い出した。
サーヤが即座に医務室に運ぶことを選択したくらいなのだ。
何がどうなっているとは言わないが、相当に酷い状態だったのだろうと言うことは想像に難くない。
「さて……」
滅多にやらない魔力の練り上げ。
それも一定レベル以下の存在であれば、その気配だけで意識を失わせるようなことができてしまうくらいのものだ。
アインもそれだけの力の集中というものは過去に数えるくらいしかやったことがなく、それならばいつもはやらないようなことをここでさらにやってしまおうと、ちょっとしたいたずら心が芽生える。
「我が力に依りて、我は求める」
「え?」
「はぁっ!?」
唐突な呪文の詠唱に、呆気にとられた声を上げたのがシオンで、普段からは想像できないような大声を上げたのがサーヤだ。
「其は黒剣。万物を断ち切る。切断の概念」
「呪文!? 魔王が呪文の詠唱!?」
「敬称が抜けてしまってますよ、サーヤ」
「それどころじゃありません!」
その魔術自体はアインにとってはこれまでに何度も使ったことのある、とりたてて難しいような魔術ではない。
いつもと違うことと言えば、まずは構築された術式に通す魔力が、いつもならばただ量を流し込むだけにしていたものを魔王自らがきっちりと練り上げたものにしたということ。
「在ることを許されざる其れを。理をここに曲げて。この場に現出せしめる」
そしていつもは詠唱を省略、もしくは破棄している所をきっちりと全部、言葉に出して唱えているという点。
「嫌な予感……ではなく嫌な確信めいた何かを感じてしまっている私がいます」
「サーヤが取り乱している……」
「それは取り乱しますよ! 魔王の完全詠唱版魔術ですよ!?」
「えーと? それって普段は省略しているものを元に戻しただけですよね?」
それで何が変わるのだろうかと不思議に思うシオンに対し、サーヤは自分が危惧していることが自分にしか分からないのだと知って愕然とする。
しかしそれは魔王からきっちりと魔術について習ったかどうかの差でしかなく、サーヤは気を取り直すと口早にシオンへ説明を始めた。
「魔術は基本的に、呪文を唱えて術式を構築し、魔力を通すことで発動。現実の一部を書き換える技術です」
「そ、そうなんだ?」
「この内、絶対に省略できないのが術式の構築と魔力の注入なのですが、呪文の詠唱は省略、もしくは全体を破棄することが可能です」
「へ、へぇ」
「ただし、それには威力の減衰というデメリットが存在します。省略された魔術は明らかに完全版の魔術より格段に劣るんです」
もっとも劣った分だけ多くの魔力を注ぎ込むことでカバーすることはできる。
ただ魔力を多く注げば注いだ分だけ、魔術の制御は難しくなり、暴発や予期せぬ効果をもたらす可能性が高くなってしまう。
これを技術や精神力でもって押さえ込んでしまうのが、古い時代に魔術を用いて世界を騒がせていた魔族や魔王という存在だったのだとサーヤは語る。
「つまり?」
「陛下の最大威力の魔術がこれから行使されるものと考えます」
「今? ここで? これから?」
「はい」
「ちなみに……」
「結果は私の想像の範囲外です。使っている魔術はおそらく断界という魔術だと思いますが、私も一度魔王様から対個人用の最高位魔術の一つだと聞いただけなので」
自信なさげなサーヤの言葉を皆まで聞くことなく、シオンは通信を魔王城のブリッジへと繋ぐ。
「緊急です! 退避できる者は即刻艦外へ退避! できない者は艦外活動用装備を着装! 最優先です!」
その行動が遅かったのか間に合ったのかについては誰も分からない。
何故ならシオンがそれを言い終えるか終えないかのタイミングで、魔王が構築した魔術を解き放ったからであった。




