何かおかしい魔王さま
外見の変化に驚かされたアインであったが、最初に受けた衝撃さえ過ぎ去ってしまえば、こういうこともあるものかと言った程度で受け入れられるものでしかない。
原因は分からないが、現実として鏡に何らかの細工が施されていたりしない限り、目で確認した変化というものは起きてしまっているのだ。
体に不調などがあれば、何らかの対処をしなければならない事案ではあるのだが、感覚に頼る限りでは体調に変化などはない。
医学的にどうなのかについてはアインにも判断がつかなかったが、そこさえ気にしなければイメージチェンジでもしたのだろうかと思う程度のことだ。
そう結論付けてアインは鏡を見ることを止めると同時に、食事の準備ができたということをメイドの一人が告げに来た。
食事と言えばとアインはメイドに案内されて館の廊下を進みながら考える。
今がいつなのかも気になることではあったのだが、何時頃なのかと言う情報についても気になり始めた。
不思議なことに、これまで通って来た廊下や部屋には窓がなく、シオンの館の外の様子というものをアインはこれまで目にしてきていない。
加えて食事と言う言葉で自分の腹の具合を考えてみると、何か食べ物を口に入れなくては命に係わるのではないかと思ってしまうくらいに空腹であった。
「食堂までは遠いのか?」
眠りにつく前にアインが住んでいた魔王城では、場所によってはかなりの距離を歩かなくてはいけないような施設もあった。
できればそんなに歩きたくはないと思うアインへ、メイドは少し上擦ったような声でそれ程離れてはいないということを伝えてくる。
恐怖を警戒心とを抱いた結果だということはアインにも分かるのだが、そんなに怖がるような要素が今の自分にあるのだろうかと首を捻ってしまう。
そうこうしている間にもメイドの先導でアインは廊下を進み続け、いくつかの角を曲がった後に一つの扉の前で立ち止まる。
「こちらです」
短くそう告げて、扉の脇に退けたメイドに礼を言い、扉を開けて中へ足を踏み入れるとアインの目に飛びこんできたのはテーブルの上へ乗せられた様々な料理。
そしてそのテーブルの向こうから立った状態でアインを迎えたシオンの姿だった。
「ようこそ。お話したいことは多々ありますがまずはお食事を」
勧められるままに席につき、目の前の皿に手をつけてしまえばそこから先はただひたすらに料理を味わい、それを胃へと詰め込むという行為にアインは没頭してしまう。
それくらいにアインは腹が減っていた。
名前も分からないような肉やら魚やらの料理を手当たり次第に口へと詰め込み、無心にかみ砕いてからおそらく弱いアルコールだと思われる赤い飲み物で飲み下す。
マナーも何もない行動に対面に座っているシオンがどう思うだろうかとか、ほんの少しだけ毒殺の可能性というものを頭の片隅で考えて見たりはしたアインなのだが、それらを考えてもなお料理を求める手が止まらない。
これほどまでに自分が飢えていたということがあっただろうか。
そんなことを考えながらアインはひたすらに食べ続けた。
「健啖家なんですね」
シオンのそんな呟きが耳に届いてきて、アインはふと我に返って食べ続けていた手を止める。
いつの間にやらアインの前には空になった皿が積み上がり、飲み干されて空になった何かの飲み物が入っていたと思しきビンが乱立していた。
これは盛大に食いまくったものだなと自分のことながらに呆れていると、シオンが傍らに控えていたメイドに指示を出して空になった食器などを下げさせる。
「まだご用意できますが?」
おかわりは必要かと尋ねられて、アインは自分の腹の具合を確かめる。
その結果、まだいくらかは入りそうだなとは思ったものの、アインは追加の食事を断った。
余裕なくぱんぱんになるまで腹に料理を詰め込む気がなかったからで、代わりに食後の飲み物を希望する。
「紅茶とコーヒーのどちらにしますか? お口に合うかは分かりませんが」
「コーヒーにしてくれ」
少し砂糖を入れた奴と注文をつけるとすぐにメイド達がやってきて用意を始める。
部屋の中にコーヒーを淹れる時の香りが漂い始めるが、ここでようやくアインは少しばかりの違和感を覚えた。
何が違うのかと問われると言葉にするのが難しいのだが、感覚的に何かが違うと訴えかけてくるものがあるのだ。
それを怪訝に思う気持ちが顔に出てしまっていたのか、シオンがアインの顔を見て苦笑する。
「やはりお分かりになりますか」
「何か変、だよな?」
何が変なのか、具体的に言葉にすることができないもどかしさを感じながら、確認するようにアインがシオンへ問いかけると、シオンは首を傾げた。
「私にはこれが普通のことですので、特に変だとは感じません」
「俺がおかしいのか?」
「いいえ」
自分の感じている何かがおかしなことではないのだとすれば、おかしいのは自分の方なのかと考えるアインにシオンはそれを否定した。
「私にとっては普通の物なのですが、陛下にとってはおそらく異常と感じる物ですので、私か陛下のどちらかの感覚がおかしいということではありません」
「ややこしいな」
「その辺りを説明させて頂ければと」
そう言うとシオンはメイドに命じ、コーヒーカップの中に何の変哲もない白湯が入った物を用意させる。
何を見せる気なのかと黙って見守るアインの前で、シオンはメイドから小さな黒い錠剤を受け取った。
「申し訳ありません陛下。当家は財政的にあまり余裕がなく、天然物の豆を使ったコーヒーというものの用意がありません」
「何?」
訊き返すアインに答えず、シオンは錠剤を白湯の中へと落とす。
途端に白湯の中で錠剤は溶け、透明な湯は黒く染まり、立ち上る湯気にコーヒーの香りが混じった。
「これは……」
「合成コーヒーです。着色料で色をつけ、香料で香りを整え、苦みと渋みで味を再現した物ですが、天然の豆は一切使われておりません」
そこまで真面目な顔で言ったシオンはへらりと笑って付け加える。
「天然物は高過ぎて手が出ないんです。何せ同体積の金よりずっと高価なんです」
参りましたねと笑うシオンに何と答えていいやら分からず、アインは合成品だというコーヒーを一口、飲み込んだのであった。
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