表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

5.七年越しの思い

 私が返事を出した数日後の朝。ワルターが馬車に乗って私の屋敷を訪れた。玄関ホールで待っていると、扉が開きすらりとした人影が姿を現した。


「お久しぶりです、ケイトリン先生。ずっと、お会いしたかった」


 そう言って優しく微笑む彼を見て、私はただあっけにとられることしかできなかった。


 七年ぶりに会ったワルターは、輝かんばかりの青年になっていた。かつてかなりの美少年だった彼は驚くほど背が伸びて、甘く柔らかな色気まで備えてしまっていた。


 まるで妖精の王子様だ、そんなことを真っ先に思った。彼の麗しい姿に、どこかの屋敷で見た妖精の絵画を思い出さずにはいられなかった。


 今のワルターはそれくらいに謎めいていて美しく、品性と風格を備えていた。とても十八歳とは思えない、立派な姿だった。


 しかもそれだけならまだしも、彼は華やかな正装をきっちりとまとって、大きな花束を抱えていた。


 赤いバラの花束はとてもみずみずしく、まるで今しがた摘んできたようにすら見えた。花束を抱えた彼の姿はあまりに麗しくて、きらきらとした光をまとっているように思えた。


 花束を優雅な動きで差し出して、ワルターはにっこりと笑う。


「この花束は、貴女のために用意しました。庭師と一緒にとげを摘んだバラを、水桶に活けてここまで運んだのです」


「……とげを摘むなんて……普通は、庭師に全て頼むものではないの? 慣れない作業で怪我でもしたら……」


「貴女に差し上げるための花束ですから、僕も何かしたかったんです。それに、貴族が庭仕事をしてはいけないなんて決まりはありません」


 堂々と言い切る彼がおかしくて、つい笑ってしまう。そのまま花束を受け取って、顔を埋めた。


「そうね、あなたらしいかもしれないわね。ありがとう。ふふ、いい香り」


 ワルターに笑いかけると、彼はとても嬉しそうに笑み崩れた。けれどなぜか、すぐに真顔になる。急に雰囲気が変わった彼に、思わず目を見張った。


「……今日は、貴女に告げたいことがあります」


 私の屋敷の玄関に、ワルターの澄んだ声が響く。聞くものを惹きつける凛とした声で、彼は私に問いかけた。


「ケイトリン先生。貴女は七年前の約束を、覚えておられますか?」


「ええ、もちろんよ。あなたが大人になったら、お友達になりましょう。その約束ね」


 彼は今までの手紙の中で、時折あの約束について触れていた。そしてそのために立派な大人になるのだと、毎回決意を新たにしているようだった。何とも微笑ましいその文面に、にこにこしながら手紙を読んだものだ。


 しかしワルターは、苦しそうに目を伏せてこう言った。


「僕はもう十八歳、そろそろ大人として認められる年齢になりました。ですが……あの約束について、なかったことにしてほしいのです」


 思いもかけない言葉にぽかんとしたけれど、すぐにうなずいた。正義感が強い彼にしては珍しいけれど、七年もあれば気が変わるのは当然だろう。


 でもそれだけを告げにきたにしては、彼の様子はどうにもおかしいものだった。


 そう思いながら、ワルターの様子をうかがう。彼は勢いよく首を横に振って、さらに言葉を続けていた。


「僕は決して、軽はずみな気持ちでこう言っているのではありません。……七年前、僕は……貴女との縁をどうしてもつないでおきたくて、あの約束をしたのです」


 彼の話を邪魔しないように無言でたたずみ、じっと耳を傾ける。むせかえるほどのバラの香りが、私たちを包んでいた。


「でもやはり、僕は子供でした。当時の僕にとっては、血のつながりの次に強い絆が『友達』だったのです。けれどじきに、僕はあの約束をしたことを後悔するようになりました。友達では足りないと気づいたから。僕はもっと、貴女の近くにいたいのです。誰よりも近くに」


 友達では足りない。そう告げる彼の目には、甘い甘い光がともっていた。この切なげな表情は、もしかして。


「あの、ワルター、それってまさか……」


 戸惑う私に、ワルターはきっぱりと言った。とても堂々とした、思わず見ほれるほど凛々しい姿だった。


「僕は貴女を思っています。子供の僕は、この思いの正体に気づけませんでした。でも今なら断言できます。この思いは、恋慕の情なのだと」


 そこで彼は言葉を切り、困ったように小さく微笑む。


「……百通目の手紙を書く時に既に貴女がどこかに嫁いでいたら、僕はそのまま貴女の友人となるつもりでした。でも今、貴女は独り身のままです。だから僕は、秘めていた思いを明かすことにしたのです」


 ワルターは強い目で、まっすぐに私を見つめている。バラの香りが、ひときわ強くなったような気がした。酔いそうなくらいに甘く、魅惑的だ。


 くらくらする頭を振って、一生懸命に考えをまとめる。どうにかこうにか、反論の言葉を紡ぎだした。


「で、でも私は子爵家の娘で、あなたは侯爵家の跡継ぎでしょう。親しく付き合うには家の格が違いすぎるわ」


「僕が身分というものにいきどおっていたのは、貴女もご存知でしょう? ちゃんと、両親の承諾はもらっています」


 この反論は予想していたのだろう、彼はまったく動じることなくそう返してくる。


「それに、私はもう二十五で、その……いき遅れなのだけれど。それが今さら恋だなんだなんて、貴族たちに何て言われるか」


「年齢なんて関係ありません。それに、貴女が素晴らしい家庭教師で、素晴らしい人物だということは、みなの知るところです。きっとみな、祝福してくれるでしょう。もし陰口を叩かれたところで、痛くもかゆくもありません。貴女さえそばにいてくれれば、他には何もいりません」


 彼は昔から意志が強かった。こうと思い込んだらちょっとやそっとでは動かない。友人と引き離されたことがどうにも納得できなくて、心を閉ざして黙りこくってしまうくらいには。


「……ケイトリン先生。いえ、ケイトリンさん。僕は、今ここで貴女に求婚します」


 静まり返ったホールに、ただ彼の声だけが反響する。美しい音楽のようだと、どことなく他人事のようにそんなことを思う。


 正直言って、まだ実感がわいていなかった。あの小さなワルターが立派な大人になって、しかも私に求婚している。一度だって、そんな状況を想像したことはなかった。


「子供の頃から、ずっと貴女に憧れていました。元教え子に求婚されるというのは、もしかすると不名誉なことなのかもしれません。ですが、僕はどうしても貴女をあきらめたくない」


 小さな頃から変わらない、ひたむきで一生懸命な声音。けれどその声はあの頃のように澄んだ高い声ではなく、しっとりと落ち着いた穏やかな声だ。


 まっすぐに私を見つめる、きらきらした目。けれどその目は、あの頃よりもずっと高いところにある。


 当然ながら、子供のワルターを男性として意識することはなかった。けれど、今のワルターは。


「……少し、時間をもらえるかしら。記憶の中のあなたと、目の前のあなたが、あまりにも違っていて……その……ちょっとだけ、混乱しているの」


 結局、口をついて出たのはそんな言葉だけだった。彼の気持ちにすぐこたえてやれないのは申し訳なかったけれど、正直戸惑いのほうが大きかったのだ。


「はい。七年も待ったのですから、あと少し待つくらいどうということはありません。……それに、そうやって貴女が考えている間は、貴女がよそに嫁いでしまう心配をしなくても済みますから」


 望む返事ではなかっただろうに、ワルターはとても嬉しそうに微笑む。その笑顔のまぶしさに、知らず知らずのうちに鼓動が速くなるのを感じていた。


 色んなしがらみのせいで言葉にできずにいるだけで、私の答えはもう、決まっているようだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ