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1.友情と裏切りと

「紹介するわ、ケイトリン。こちら、私の婚約者のジョーディ様よ」


 長年の友人だったセシリア。彼女が得意げな顔で私に紹介したのは、私がずっとずっと憧れていた人だった。




 あれは、半年ほど前のことだった。あの頃の私とセシリアは、毎日のように互いの家を行き来してお喋りに花を咲かせていた。


 まるで姉妹の、いや双子のようだと互いの両親がそう口にするほどに、私たちは親しくしていたのだ。


 その日も、私たちはいつものように二人きりのお茶会を開いていた。話の合間に、ふとセシリアが尋ねてくる。


「ねえケイトリン、あなたももうじき十七歳になるでしょう。そろそろ婚約の話も出ているのではなくて? 気になる殿方とか、いたりしないの?」


「そうね……内緒よ」


「あらあ、思わせぶりな言い方ね。いるんでしょ? 白状してしまいなさいな」


 セシリアは興味深そうに目を輝かせている。彼女は他人の恋話が大好きなのだが、私はそういった話にはずっと縁がなかった。


 ようやっと私から浮いた話を聞けそうだと思ったのか、彼女はいつになく食い下がってくる。


「その……いる、わ。でも、恥ずかしいから……」


 そっと目をそらすと、セシリアは立ち上がって身を乗り出してきた。


「まああ、素敵! やっとあなたも、恋を知ったのね! ねえねえ、どなたなの?」


 そのまま彼女は、私の手を両手で握ってくる。とても優しく、けれどしっかりと。


「私とあなたの仲でしょう? 隠し事なんて水くさいわ。大丈夫よ、誰にも話さないって約束するから」


 セシリアはひときわ優しい声でそう言って、にっこりと笑った。ちょっとした秘密を共有する、それは互いの友情を確かめ合うためのちょっとした儀式のようなものだ。


 年頃の令嬢なら、そんな風に秘密を語り合う友人の一人や二人、誰でも持っている。私にとってセシリアは、たった一人のそんな存在だ。


 恥ずかしさをこらえて、そろそろと口を開いた。生まれて初めて知った恋の甘さに酔っていたからでもあり、もしかしたらセシリアが私の恋を応援してくれるかもしれないという打算もあった。


「あのね、こないだの舞踏会で出会った方なの。ほんの少しお喋りして、一度一緒に踊っただけだけど……素敵な方だなって、憧れてて……」


 小さく息を吸って、声をひそめる。すぐ近くに迫っているセシリアの耳元に、そっとささやきかけた。


「その方の名前は、ね……」




 そうして今、その憧れの男性ジョーディは私の向かいに立っていた。セシリアと、仲睦まじく寄り添って。


 あまりのことに何も言えずにいると、セシリアは恥じらいつつ言葉を続けた。


「二か月前、両親にジョーディ様の話をしたのよ。そうしたら、二人ともジョーディ様に惚れ込んでしまって。あれよあれよという間に婚約を決めてしまったの」


 そういえばこのところ、セシリアはどことなくよそよそしくなっていた。お茶会の回数も減っていたし、たまに顔を合わせても、意味ありげに微笑むばかりで話が盛り上がらなかった。


 何か彼女に嫌われるようなことをしてしまったのだろうかと、ずっと心配していた。それがまさか、こんなことになっていたなんて。


 呆然としていると、ジョーディ様の朗らかな声が聞こえてきた。


「セシリアの両親の熱意に、私も最初は驚いた。けれど家の格もぴったりだったし、何よりセシリアはとても素敵な女性だ」


 ジョーディ様の声が、頭の中を素通りしていく。理解できない、いいや、私は理解したくないのだ。


「ケイトリン、だったね。君はセシリアの親友だと聞いている。どうかこれからも、彼女と仲良くしてやってくれ。そして、私のことも友人だと思ってもらえると嬉しい」


 ジョーディ様は私の顔すら覚えていないようだった。それなのに、ジョーディ様はセシリアとこの上なく親しげに話している。彼女の手を、優しく取って。


 どうして、セシリアなの。どうして、私じゃないの。


 そんな言葉を飲み込んで、そろそろとうなずいた。私の震える唇は、どうやっても笑みの形を作ってくれなかった。




 それから何を話したのか、覚えていない。気がつけばジョーディ様は帰っていて、セシリアと私だけが残されていた。


「ごめんなさいね、ケイトリン? でも私の両親がどうしてもって言うから、断り切れなくって」


 のろのろと顔を上げると、申し訳なさそうな顔のセシリアと目が合った。


「それにジョーディ様は次男でいらっしゃるから、婿入り先を探しておられたの。それもできれば同じくらいの格式の家がいいと、そう考えておられたのよ」


 それでは、最初から私に望みはなかったということか。セシリアもジョーディ様も伯爵家の者だ。けれど私は子爵家の娘で、二人の家よりも一段下だ。


 打ちひしがれる私に、セシリアは顔を寄せ、ささやきかけてくる。妙に柔らかな、優しげな、そのくせねっとりと糸を引くような薄気味悪い声で。


「その、こんなことになってしまったけれど……どうかこれからも仲良くしてほしいわ。私にとってあなたは、大切なお友達だから」


 セシリアの声には、まぎれもない勝利の響きがあった。私はもう、彼女の目を見ていられなかった。




 そうして自分の屋敷に戻り、自室に引きこもって泣き続けた。淡い初恋のときめきは踏みにじられて泥にまみれ、もう見る影もなかった。


 セシリアは私の気持ちを知っていて、その上でジョーディ様と婚約したのだ。彼女は私を、裏切った。かなうことのない恋だったとしても、こんな形で終わるなんて。


 私のことも友人だと思ってくれ。ジョーディ様はそう言った。大切なお友達。セシリアはそう言った。


 でも私には、何事もなかったかのような顔で二人と友人付き合いをしていくことなんて、到底できっこなかった。


 かと言ってこのまま二人と疎遠になってしまえば、きっとそれは噂になる。


 私の空しい初恋について、みなに知られてしまうかもしれない。みながこそこそと、私の傷をえぐるような噂話に興ずる。どう考えても、耐えられそうになかった。


 許せない。私はどうあっても不幸にしかなれないのに、あの二人だけが幸せになるなんて、許せない。どうにかして、あの二人の未来に傷をつけてやりたい。私の爪の跡を、引っかき傷を残したい。


 どす黒い思いが、ひたひたと心を染めていく。普段の私なら絶対に思いつきもしないような、そんな考えが浮かび上がってくる。


「……どうあっても、不幸にしかなれない。だったらいっそ、このまま命を絶ってしまおうかしら。セシリアに遺書を送って、あらん限りの恨み言を連ねてやれば……いえ、いっそ潔く、ただ別れだけを告げるのもいいわ」


 遺書をしたためようと、ふらふらと窓辺の机に近づく。その拍子に、窓の外の光景が目についた。泣き続けているうちに夜になり、そして朝が来ていたのだ。


 暗い空の片側が、淡く優しい色に染まっている。その向こうから、清々しい朝日が顔をのぞかせていた。ひとかけらの濁りもない澄んだ光が、世界を色鮮やかに照らし出している。


 ぼんやりとその様を見ていたら、どこからか鳥の声が聞こえ始めた。今日という一日をただ懸命に生きるのだと、そう叫んでいるような高らかな声だった。


 ああ、美しいな。そう思った拍子に、涙がぽろりとこぼれ落ちた。もう枯れ果てたとばかり思っていた涙が、また次々とあふれ出す。けれどそれは、先ほどまでの悲しくも冷たい涙ではなかった。


 そうして私は、頬を涙で濡らしながら、ただ窓の外を見つめていた。


 告げることさえできないまま、恋は終わった。死にたいと思ってしまうくらいに苦しいけれど、それでも私はまだ生きている。


 何かがしたいと、そう思った。この胸の痛みを忘れられるような、自分の全てをかけて打ち込めるような、そんな何かを。一度は死さえ考えたのだ。死ぬことを思えば、何だってできる。


 でも私に、何ができるだろうか。少し考えて、顔を上げた。


 そうしてそのまま、自室を飛び出す。軽やかな、飛んでいるような足取りで。




 セシリアの裏切りから一ヶ月後。私は、普段のものよりも落ち着いた、かっちりとしたドレスをまとって馬車に乗っていた。


 これから私は住み込みの家庭教師として、侯爵家で暮らすのだ。長くて一年、短ければ数日。生徒となる子供とうまくいくかで、期間が変わる。


 普通、こういった家庭教師はもっと年配の、子育てが終わった後の女性が担う。私のような若い家庭教師など、聞いたこともない。それでも私は、この仕事がしたかった。


 当然ながら両親は、大いに反対した。けれど結局、折れてくれた。失恋の痛みから逃れるにはこうするしかない、そんな私の決意は両親にも伝わったようだった。


 こんなことなら、身分違いなど気にせずにジョーディ様に婚約の打診をしておくべきだった。そう言って落胆する両親に無言で微笑んで、私は家を出た。


 これから私が共に暮らすのは、ワルターという十歳の少年だ。何でもすっかり他人に心を閉ざしてしまっているとかで、今までに何人もの家庭教師がさじを投げてきたのだとか。


 困り果てた侯爵夫妻は、たまたま私が家庭教師としての働き先を探していることを知って、声をかけてきたのだ。


 私はワルターと七歳しか違わない。年の近い私になら、彼も打ち解けてくれるかもしれないと、侯爵夫妻はそう考えたのだ。


「あれが、侯爵家……」


 鮮やかな青い屋根と、真っ白なしっくいの壁。権力も財力も、そして歴史もある家なのだと一目で分かる、そんな屋敷だった。


 それから、馬車の窓ガラスに映る自分の顔をじっと見つめる。いつもは巻いて垂らしている髪をつつましく結って、服も普段の可愛らしいものではなく、とにかく上品としか言いようのないものだ。


 住み込みの家庭教師としては正しい、ただ年頃の乙女としてはあまりに堅苦しくて味気ないその身なりは、なぜだか今の自分にはよく似合っているように思えた。


 そうしている間にも、屋敷はどんどん近づいてくる。これから始まる、自分で選んだ道に戸惑いと期待を覚えながら、じっと屋敷を見つめ続けていた。

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