第2話
さて困った。
ようやく落ち着いた漣は、開口一番「何があったか全部話して」と言った。
来た来た。
もちろんこの展開になるのは覚悟の上で帰ってきたのだから、話をするのはやぶさかではない。
ただなぁ…。
どこから話したものか。
―最初から話すしかないんじゃなかったの?―
そうなんだけどね。
そうは言っても自分でも事態がまだよく飲み込めていないと言うのが本当のところなのだよ。
思春期真っ直中の女の子が受け入れられる話とはとても思えない。
帰って来たなり頭がおかしい奴と思われるのは嫌だなぁ。
―だから止めたのに―
声は呆れたように言った。
宗一郎は思わず苦笑する。
そう、何があったのか説明するにはやはりこの嫌みったらしい声について話をする必要があるだろう。
ポケットの中にある不思議な喋る石。
全てはあの日この石の声…ソウイルとの出会いから始まったのだ。
―Crystalline-Cell―
外伝
【Ryman Sorcerer】
時間は三日前までさかのぼる。
―…ロー…。…なさいソー…―
眠い。
奈落の底に転げ落ちるような異様な眠気が身体を支配している。
―ソーイチ…。…さいってば―
さっきから誰かに呼ばれている気がする。
漣か?頼むよ。父さん何か疲れてるんだ。
どうせ会社はクビになっちゃったんだし、仕事探しは明日からするからさ。
あと五分だけあと五分だけあと五分…
―何寝ぼけてんの!いい加減に起きなさいソーイチロー!―
「うわぁ!!」
飛び起きた。
漣の声じゃない。
だが辺りを見回しても声の主らしき姿は無い。
あるのは生い茂った丈の長い草と、その先の道を走る自動車だけで。
そこまで考えて、動きが止まる。
…ここ外?
―そうよ。だから何度も呼んだのに。よくこんな所で寝れるわね―
また声がした。
頭から血の気が引く。あぁ…ついに…。
「だ、誰…どちら様、ですか?」
恐る恐る聞いてみる。
―はぁ?あんたまだ寝ぼけてんの?―
呆れたようなその声を聞いた瞬間、宗一郎はガバッと立ち上がった。
間違い無い。
そのまま先に見える道を目指して歩き始める。
―ちょ、ちょっと!あんたどこ行くのよ!?―
「止めないでくれ。僕は頭がおかしくなってしまったみたいだ。こう言うのは早期治療が大切なんだよ」
ヤバイヤバイと思っていたがついにこの日が来てしまった。居もしない人の声が聞こえるなんて。しかも外で寝てるし。大体ここどこ!?
―ちょっと待ちなさいってば!別にあんたは頭がおかしくなんかなって無いって!―
宗一郎の動きがピタリと止まる。
「…じゃあ精神?」
何となくガクリと頭を落としたような気配がした。
―どっちも同じようなもんでしょうが…。ここよここ。あんたの右手の中―
右手?
何となく右手を顔の前に持ってきて、
「うわぁ!!」
叫んだ。
―今度は何よ!!―
「ち…ちち…」
―父?―
「…手が血まみれになっているよ」
拳を握り締めた形のまま右手が手首の辺りまでがどす黒い色に染まってしまっていた。
完全に固まってしまってちょっと指が開かない。
―ああ…それは私の血よ―
「いっ!?」
って事は手の中に居るのは血まみれの小さな人?確かに何か拳の中にある気配はする。
すっかり血が乾いてしまった指を強引に動かしてみる。
パリッ、肌と血が剥れる嫌な感触がする。
「うぅ…」
何が出てもいいように覚悟を決め、ゆっくり手のひらを開く。
「…あら?」
予想に反して手の中にあったのは小さな石だった。
「…石だけど。これが君?」
―そうよ―
声は短く答える。
手の中はまだ血が乾いておらず、どうやら右手が血まみれになってからまだ間もないようだ。
つまり寝ている時か。
寝てる間にフラフラ外に出て手が血まみれになってる男のどこが頭がおかしくないと言うのだろう。しかも石の声が聞こえてるしさ。
―まぁ正確には“私”の血では無いかもね。私はあくまで制御装置でしか無い訳だし―
と何だかよく分からない事を言って一人で納得している。
石は人工的に加工されたものらしいが、アクセサリーの類と言うには形が奇妙だ。
真横から見れば鋭角的な二等辺三角形と言ったところだが、その頂点と底辺を結ぶラインも尖っていて、全体的に言えば『横から潰した四角錐』と言うのが正しいかも知れない。
細長い菱形を横から真っ二つにするとちょうどこんな形になりそうだ。
断面もやはり細長い菱形をしており、一番長いところは大体二センチくらいであろうか。横幅はその半分にも満たない。
対して四角錐の頂点は底辺の1.5倍程の長さで全体的に大分細長い印象を受ける。
先端は結構尖っていて触るとちょっと怪我をしそうだ。
表面を指で拭ってみるが脂っぽい血はへばり付き、伸びるだけで地の色は出てこなかった。
―そう、今の私は単なる石ころでしかないわ。もう何の力も無い・・・。正直驚いたわ。まさか“私”ごと引きずり出されるとは思わなかった。あんた達の勝ちよ―
声は感慨深いような、そして少し悲しそうに言う。
「えっと…」
―研究のデータもあんた達が処分したんでしょう?最後の完成品である“私”も消失したとなれば、研究の系譜は完全に途絶えた事になるわ。心配しなくてももう私と同じタイプが造られる事は無でしょうね―
宗一郎を無視して一人で話を進めていく。
「あの…」
―それにしてもあんたまで『扉』に落ちたのはどう言う事?事故?それとも作戦なのかしら?…ま、どっちでも良いか。もう関係ないし。ねぇソーイチロー、もういい加減私を…―
そこで声は宗一郎の様子がおかしい事にようやく気が付いたようだ。
―…どしたの?―
「いや、ねぇ…。その、さっきから何を言ってるのかよく分からないんだけどさ…」
声が沈黙した。
何となく気まずくて髪を掻く。
―…それ、本気で言ってる?―
「もちろん」
本気と書いてマジと読む。
―…あんた、ちょっと脇腹を見せなさい―
「え?何でそんな…」
―良いから早く!―
とっさに「はいっ!」と言ってしまった。
これも長い下っ端生活がなせる技。
少しも嬉しくない。
心で泣きつつも石の(恐らく)正面と思われる方を自分の脇腹の方に向け、スーツの裾に手を掛ける。
「えっと、こうかい?」
―違う違う!今の私はあんたと五感を共有してるから、あんたが直接見ないと何も分からないのよ―
分からないのはこっちだ。
と言うか何で自分は石に押し切られてるんだ…。
「じゃあ…ってあぁ!スーツボロボロになってるじゃないか!」
一張羅なのに!
―うるさい!男が情けない声を上げるんじゃないの!そんな事はどうでもいいのよ!…やっぱりあの時の―
声が見た、つまり宗一郎が見た脇腹には何か赤い腫れのようなものがあった。
ちょうどそう、注射器を打たれた後にこんな感じの発赤が出る。
「あれ、いつの間にこんなのが」
心当たりが無い傷は訳も無く不安を掻立てるものだ。
最近の記憶を逆上ってみる。が、どうもはっきりしない。
ん?
何か大事な事を忘れている気がする。何だったか…。
―…無駄よ。疲れるだけだから止めておきなさい―
と。まるで宗一郎の考えを読んだようなタイミングで発せられた言葉に思わず身体が震えた。
「何で…」
―あんたが思い出せないと思ってる記憶は完全に無くなってるって言ってるのよ―
「い、いや、そっちじゃなくて」
さっきの『何で』は何で考えてる事が分かったのかって言う『何で』であって何で記憶がどうかなっちゃったのって事の『何で』じゃいや確かにもちろんそっちも『何で』なんだけど…って。
もう混乱して自分でも何を考えてるのか分からなくなるが、その中に聞き捨てならない言葉がある事に気が付いた。
「…何、記憶?」
無くなってるって何だ?記憶喪失?
―って言うよりは記憶消失でしょうね。その部分の記憶をつかさどっていた器官そのものの機能が失われているから、記憶が戻る事は二度と無いわ―
自分の記憶が失われているらしいと言うショッキングな事実よりも、考えを読まれてる気味の悪さで宗一郎の背筋が凍る。
―ああ―
と、またしても考えを読んだように声が呟いた。
―検体から引き剥がされちゃったからね。一応あんたのフィールドの力で起動はしてるけど、やっぱり脳機能ごと乗っ取るのは無理みたいね。せいぜい記憶と意識を読み取るくらいの中途半端な能力しか作動できない訳よ―
「えっと…。さっきから日本語喋ってる?全然内容が頭に入って来ないんだけども」
―馬鹿ねぇ。私はあんたの頭の中の知識を読み出して使ってるだけなんだから、あんたが知らない言語を使える訳無いじゃない―
訳が分からないまま呆れられた。
面目ない。難しい事はあんまり分からない人なんだよ。
「えっと、それはつまり声を出さなくても君と話が出来るって事かな?」
―まぁそう言う事ね―
それなら助かる。正直な話、石に向かって独り言を言ってる姿はあんまり笑えない。
―…変な男―
よく言われるんだよそれ。
―まぁ良いわ。ねえソーイチロー、一つだけ教えて。ここは間違なく『あんたが住んでいた』世界?―
何だか持って回った聞き方をする。
『世界』と言うなら確かに間違ない。ここは日本だ。
ただ宗一郎の記憶には無い場所だ。寝ぼけて徘徊していたにしては家の周りとは景色が違いすぎる。
―そう。って事はあんたが『扉』に落ちたのは失敗じゃなくて必然だったって事ね。むしろそっちの方が本来の目的だったのかしら。どちらにしても私はあの男の手の平の上だったって事か…。食えない奴―
声は忌々しげに呟く。
「納得してるところ悪いんだけどさ、全然話が見えないんだけど」
―何でも無いわ。もう関係の無い話よ。あんたも私にとってもね―
声は何だか寂しそうに言った。
思わせぶりな事を言っておいてはぐらかされた気分だが、まぁ。本人が言いたくないなら仕方がないだろう。
宗一郎は軽く溜め息を吐いてもう一度周りを見回した。
本当に驚く程見覚えが無い。
「家に帰りたいんだけど、ここがどこか分かるかな?」
宗一郎の問いに、
―…ここは『扉』の向こう側。誰一人として帰って来なかった『もう一つの世界』ってやつよ―
「…は?」
またしても声はよく分からない答えを返してきた。
だがその声は何故か少しだけ悪戯っぽい響きをしていた。
「…」
―どうしたの?―
「いや…」
別に。ただ、この声とこうやって話をしている事が、宗一郎にとっては何だかとても奇妙な…と言うか何と言うか、まるで数年来の仇敵と仲良く話をしているような、そんな経験は無いのだが、まぁ何か…そんな感じがしたのだ。
―…ふん。ならまぁ、はじめましてね。私はS2。リファインメント・シルフィー・タイプ2、ソウイルよ。よろしくソーイチロー―
長ったらしい名前だなと思った。
それが何の取り柄もない元サラリーマンと不思議な喋る石、ソウイルとの出会いだった。
そして奇妙な共同生活が始まる。




