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プロローグ

 その日は、朝からとことんツイていなかった。

 目覚時計は電池が切れて止まっていたし干していた洗濯物は雨で全滅していたし、取り込んでいる間に焼いたパンは焦げていた。

 それでも生来の早起きが功を奏して電車には間に合ったのだが、線路に人が立ち入ったとかで十分も遅延してしまった。

 そして極め付けが部長の一言だった。

「…クビ…ですか?」

 聞いた事が信じられず、無意味とは知りつつも宗一郎は聞き返していた。

「違うのよ〜アサミちゃん」

 カツラではないかと噂されている髪の下から脂っぽい汗を流しながら、部長は普段と変わらない軽薄な口振りで言った。

「つまりね、今期の決算でうちの会社、赤字になっちゃったのね。だから人員削減?各部署で二人ずつちょうど辞めても良いな〜、なんて言ってくれる人を募集しているの。だからアサミちゃんどうかなって」

 何が『どうかなって』だ。それをクビと言うのだ。

 宗一郎は唖然として部長の頭を見つめた。

「だってね〜アサミちゃん。あなた営業の成績も良くないしさ、パソコンだってろくに扱えないじゃない?だからね、この仕事向いて無いって私思うのよね。傷が深くなる前に辞めちゃうのが良いと思うの」

 これは上司としてじゃなくて古い友達としての気遣い、と部長は悪びれずに言った。

 確かに部長とは同期入社だが、若い頃からこいつは高学歴を鼻に掛けた常々嫌な奴で、友達だった事など宗一郎の記憶では一秒足りとも無い。

 大体傷が深くなる云々なら、勤続二十年の段階ですでに取り返しがつかない程深い。

 あまりの衝撃に言葉がうまく出て来ず、ようやく絞り出したのが冒頭の言葉だった。

 そんな宗一郎の状態を良い事に部長はまくし立てる様に言葉を繋いでいく。

 良く動くその口を見るでも無く、宗一郎は不自然な光沢を放つ歳の割に豊かな頭髪を眺めた。

 そう言えば数年前の忘年会で宗一郎が髪の話をした時にすごい目で睨まれた事があった。もしかしたらこれはあの時の恨みを返されているのだろうか。確かあれは髪型を褒めたのだが。

 そして部長は決定的な一言を口にした。

「だからね。今なら退職金も出るんだから、悪く思わないでよアサミちゃん」

 どこか遠くでその声を聞きながら、『やっぱりカツラだな』と宗一郎は数年来の葛藤に終止符を打った。




     ●




 『浅い海』と書いて『あさみ』と読む。

 名は体を表すと言うが自分の場合は名字が体を表している様だった。

 海と言えば大きくて包容力がありそうなのに、浅い。自分でも情けなくなるくらい浅くて弱い人間だと思う。

 そう言えば辞書には浅海は深さ二百メートルまでの海となっているから、自分にもそれくらいの深さがあっても良いと思うのだが、どちらかと言えば自分は浅瀬だった。いや、水に入るまでも無く波打ち際程の深さも無い様に思えた。

「はあぁぁ〜…」

 宗一郎は何度目かの溜め息を吐いて空を見上げた。昼下がりの公園には子供の姿一つ無い。最近の子供は外で遊ばなくなったのかと寂しくなったが、良く考えたら今日は平日だと気付いてまた溜め息を吐いた。

 良く晴れた青空を白い雲が呑気に流れていく。

 過ぎ去りし勤続二十年が頭をよぎったのは最初だけで、次に訪れたのは先の見えない不安。

 そして最後に残ったのは達観にも似た諦めだった。

 せっかくだからあの忌々しいハゲに一言言ってやれば良かった。

 今さらそんな事を考える自分がまた薄っぺらい気がして気が重くなる。

「…明日からどうしよう」

 仕事を探さなければならない。だが今の会社…いや、辞めたから前の会社に入社して以来営業一筋で働いてきた宗一郎には取り立てて役に立つ資格や技能も無い。

 パソコンも使えない四十がらみのロートルを雇ってくれる会社など見当も付かなかった。

 頭の中を一人娘の姿がよぎる。

 早くに妻が他界してから男手一つで育ててきた。幼い頃から金銭面では苦労をさせた。学校で恥ずかしい思いをさせた事もあっただろう。

 そんな娘とは彼女が高校に上がってから少し会話が減ってしまったと思う。

 親に似ずしっかりした子だ。変な友達がいる訳では無いだろうが、どこかギクシャクした、よそよそしい気まずさを感じている。

 何か話さなければと思うのだが、喋ろうとすると上手く言葉が出て来ない。言いたい事も言えないようでは…。

 大体会社でもそうだった。この奥まった性格が為に何度かあったはずの出世の機会を逃し、万年平社員の椅子を暖め続けるはめになったのだ。

 それがなければ今回の件だって自分では無く、それこそあのハゲをリストラさせられたかも知れない。大体あいつは学歴云々言っていた割に勤続二十年で部長止まりなのはどうなのだ。

「…あぁ、いかんなぁ」

 思考が堂々巡りしてまとまらない。最終的には毎回部長の厚顔無恥な顔を思い出すのだから気分が悪くて仕方ない。

 宗一郎は席を立つと近くの公衆トイレに入り洗面台の蛇口を捻った。

 勢い良く流れる水に手を入れ少し乱暴に顔を洗う。

 そう言えばもう初夏だった。今日は特に日が高く真夏の様だ。今が一番気温が高い時間だろう。顔を濡らす水が心地良い。

 濡れた顔をハンカチで拭い、顔を上げた。そこには四十を過ぎた辺りから急速に増えた白髪混じりの髪を乱し、垢抜けない四角の眼鏡をかけた冴えない中年男の姿があった。

 鏡には真ん中辺りを縦に走るひび割れがあり、微妙にズレたその顔はより間が抜けている様に見えた。

 いや、鏡は真実を写し出すもの。この姿こそが今の自分なのかも知れない。

「はぁ…」

 薄暗い公衆トイレで宗一郎はまた溜め息を吐いた。

 

 

 

 この日関東地方は三十度を越す夏日となった。

 気の早いセミが途切れ途切れに鳴き声を上げている。

 タバコ屋の老婆がまいた打ち水もすぐに蒸発し、陽炎が水面に似た揺らぎを沸き立たせている。

 その老婆の前を今一台のタンクローリーが走り抜けて行った。

 大手の石油会社のロゴの入ったそのタンクローリーは、周りの車が窓を締め切り冷房を効かせているのに対し、窓と言う窓を全開にして走っていた。

 運転手はもっと早くに修理の申請をしなかった事を後悔しながら、熱風しか吐き出さないエアコンのスイッチを殴り付ける様に切った。まさかこんなに急に暑くなるとは思っていなかった。

 窓から入る風も熱風に違いなく、それはいたずらに空気をかき回すだけで運転席の気温はどんどん上昇していった。

 運転手は毒づきながらほとんどお湯と化したペットボトルの水を一気にあおった。

 水分は飲んだ端から汗に変わり喉の渇きはピークに達していた。

 もうろうとした意識の中で運転手は真剣にビールが飲みたいと思っていた。

 だが彼がビールを飲む事は二度と無かった。

 冷えた喉ごしを思い浮かべながら運転手はハンドルに突っ伏す様にして意識を失った。

 

 

 

「…よし」

 胸のわだかまりは完全に晴れた訳では無いが、冷たい水のおかげで大分スッキリした。

 こんな所でぐったりしていても始まらない。

 とにかく動かねば。

 今自分に必要なのは…冷たい飲み物だ。

 いや、家に帰りたくない訳では無いのだ。ただ娘が帰宅するのも部活が終わった十九時過ぎだし、正午を回ったばかりの今ではどうせ家には誰もいないし、娘に何て話したら言いのかも分からないし。

 段々胸に重い塊が溜まっていくのを感じながら宗一郎は公衆トイレを出た。確か自販機は公園を出たすぐ先にあったはずだ。

 陽向に一歩出た途端ものすごい熱気が身体を襲った。

 夏特有の深い青に染まった空から痛い程の日差しが差し込んでくる。

 季節は初夏を通り過ぎて一気に真夏になってしまったようだ。

「…地球温暖化かねぇ」

 意味も無く呟いて宗一郎は公園の出口を目指した。強い日差しに当られて地面に濃い影が落ちている。ヨレヨレのスーツを着込んだ少し猫背気味の影が。

 少し歩いただけですっかり息が上がってしまった。ひどい体力だ。

 ハンカチで汗を拭いつつ歩いていると、少し先を歩いている若い親子が目に入った。母親はまだ二十代も後半といった幼さの残る顔立ちで、その細い脚の周りを三才くらいの男の子が跳ね回っている。

 うちの娘にもあんな頃があった。まだ妻が元気で三人で近くの公園に遊びに来ていたものだった。

 訳も無く感慨にふけり、元気な事は良い事だなどと考えているとついに公園のフェンスの先に赤い自販機の姿を見つけて少し頬を緩める。年甲斐も無く炭酸が好きなのだ。

 喉越しを思い出しながらいそいそと歩いていると、公園を出た所の横断歩道の中程で前を歩いていた子供が転んでしまった。

 勢いが付き過ぎていたのか派手に膝を擦り剥いた様だ。

 母親が気付いて振り向くよりも早くすぐ後ろまで来ていた宗一郎は子供に手を伸ばした。

 ほら泣くな、男の子だろ。そう言おうと思った瞬間、革靴の底が何か硬い物を踏み付け内側に捻った足首から鈍い音が響いた。

「あいたたた…」

 無様に尻餅をついた宗一郎の姿を見て、泣く寸前だった子供の顔が見る見る笑みに変わっていく。

 鈴を鳴らす様な声で笑う子供を見ながら宗一郎も笑ってしまった。

 まったく情けない。

 擦り剥いた膝に宗一郎のハンカチを巻いた子供は、すいませんと頭を下げる母親に手を引かれて行った。

「おじちゃんバイバイ!」

 道の真ん中であぐらをかいたまま宗一郎は手を振りかえした。

 そうそう。子供の手はしっかり繋いでないとね。

「さて」

 大分ひどく捻ってしまった様で右足に力が入らない。何とか片足で立ち上がろうと四苦八苦するが、日頃の運動不足が祟って中々上手くいかない。

 仕方が無いので四つん這いで道の端まで進み、目的の自販機に手をついて何とか立ち上がった。

 右足首はちょっと地面につくだけで激痛が走る。すぐに冷やさなければならないとお尻のポケットに入っている財布に手を伸ばしかけたその時、少し遠くから大型の車のエンジンとギアの駆動音に混じり何かを擦りつける様なガリガリと言う音が聞こえた。

 音は急速に近付き一瞬で耳を塞ぎたくなる程の大きさになった。

 何だ?

 振り向いた時は全て遅かった。

 巨大なタンクローリーの前面に装着された「危」の文字が目の前に迫っていて。

「…あれ?」

 次の瞬間、自販機と一緒にタンクローリーと衝突した宗一郎の身体はバンパーに張り付く形で後方に吹き飛ばされた。

 何だかゆっくり流れる視界の中に砕けた自販機の中から無数に飛び出した愛しの缶ジュースが中身を噴き出しながら舞っているのと、タンクローリーの後ろで悲鳴を上げる若い母親の姿が見えた。

 巻き込まれなかった様で何より。

 十メートル以上も運ばれた宗一郎の身体は突き当たりの壁に衝突する事でタンクローリーのバンパーと挟まれる事になり、一瞬で人の形を失った。

 全身の骨が砕かれる感触を味わいながら、有り得ないくらい薄っぺらくなった自分の胴体を見下ろす。

 何か言おうと思ったが口から出たのはおびただしい量の血液で、それはもう喀血などと言う生易しいものでは無く、もっと致命的な何かだった。

 薄ぼんやりした視界の中に、慣性でお尻を振ったタンクローリーが引いていたガソリン満タンのタンクが宗一郎を包む様に滑り込んで来るのが見えた。

 タンクは壁に衝突するとあっけなくひしゃげ分厚いはずの表面がさながら空き缶を潰した様に破れた。中から漏れ出た透明だが水とは違う質感の液体を眺め、宗一郎は走馬灯が流れるでも無く、最愛の娘の顔が浮かぶでも無い頭の中で―まったく今日はツイて無い―そう思った。

 次の瞬間膨れ上がった火の玉が視界を覆い尽くした。

 爆発音は聞こえなかった。

 

 

 

 

―Crystalline-Cell―外伝【Ryman Sorcerer】

 

 

 

         ● 

 

 


 父が死にました。

 暴走したタンクローリーから子供を庇ってひかれたそうです。

 何だそりゃ。

 今時少年マンガにだってそんなベタな展開はありません。

 普段の父はどこか気弱で背筋が丸くて何にも無い所でも平気で転ぶ様な、有り体に言えばどん臭くて頼りがいのない、つまりどこにでもいる冴えない普通のサラリーマンでした。

 だからそんな身をていして他人の子供を助けられる様な勇気と行動力があるとはとても信じられませんでした。と言うより想像すら出来ません。

 よっぽど缶ジュースでも買いに行って道の真ん中で足を挫いたとか、そんな情けない理由の方が納得出来ると言うものです。

 平日の真昼に父がそんな所で何をしていたのかは知りませんが、葬儀の参列者の中に父の会社の上司がいないのですから、まあそう言う事なのかも知れません。

 解雇。リストラ。毎日新聞やテレビを賑わせているものが今度は我が家にやって来た。それだけの事です。

 小さな男の子の手を引いた母親が焼香してこちらに一礼しました。

 あれが父が助けた子供か。そう思うと感慨深い様な、こいつのせいで父は死んだのか…とか。

 別に誰が悪い訳では無いのです。タンクローリーを運転していた人だって焼け死んでしまったのですから。

 運が悪かった。星回りが悪かった。吉か凶かのサイコロがあれば必ず凶が出てしまう様な、誰に対しても最悪な目が出てしまう様な、そんな時もあるでしょう。

 それが分かっていてもそんな事を考えてしまうのは、自分がまだまだ尻の青い高校生だからなのか、それとも誰かが悪いと思わなければ父の死を受け入れられないからなのか。

 『最後くらいは盛大に』と喪主の伯父が選んだ上から数えて三番目に豪華だと言う祭壇の真ん中には、黒い額縁の中の父が能天気な笑顔を参列者に振りまいています。

 もっと他に写真は無かったのでしょうか…。

 でも、その正面に横たわる棺の中に父はいません。

 事故の瞬間を目撃した母親の証言では間違いなく父はタンクローリーと壁に挟まれて、積載したガソリンの爆発に巻き込まれたのだと言います。実際にそれを裏付ける遺留品も沢山見つかりました。

 なのに、事故現場に父の遺体はありませんでした。

 かなり長時間燃えたと聞きましたがそうそう骨まで完全に燃え尽きるはずも無く、父の遺体は忽然とその姿を消してしまったのでした。

 

 

 

 父の葬儀から一週間。

 ドタバタしていた日常もようやく落ち着きを取り戻してきた。

 近所の公立高校の制服に身を包んだ漣は長く伸ばした髪をゴムで一まとめにし、教科書が詰まった鞄を乱暴に掴むと階段を駆け下りた。

 『漣』は『れん』と読む。意味はさざ波。

 『浅い海のさざ波』で『浅海 漣』

 今は亡き母親が付けてくれた名前で爽やかな語感を漣も気に入っている。

 穏やかな子になるようにとの願いを込めて名付けられた様だが、中々どうして好奇心旺盛な娘に育ってしまった。

 父が言うには漣と母は良く似ているそうで、娘は父親に似て欲しいと願って名付けられたそうだが、どうやら浅海の血は母方に負けてしまったらしい。

 母は強し。

 漣は冷蔵庫の牛乳を一気にあおるとそのまま玄関に直行し、

「おっとっと!」

 鞄を放り出して居間に戻って来た。大事な事を忘れていた。

 部屋の正面には割と大きめの仏壇が一つ。

 大きな部屋に住まわせてやりたいと父が買ったものらしい。今は夫婦揃って仲良くシェアしている。

 色の抜けた母親の写真の横に葬儀の時と同じ遺影が並んでいる。

 生存と同じ能天気な笑顔で。

 ロウソクに灯した火を線香に移す。

 お鈴を鳴らして手を合わせ、何となくその写真を眺めた。

 遺体の無い葬儀。遺骨の無い墓。

 『どう考えても生きているはずが無い』と言う状況から伯父が喪主となり上げた葬儀だったが、死に顔を見て無い以上まるで実感の湧かないものだった。

 それが一週間経ち、色々と忙しかった問題も一段落して、こうして父の遺影と顔を合わせているとようやくその実感が湧いてきた。

「…このバカ。人の家の子を助けて死んじゃって。どうすんのよ。私一人になっちゃったじゃない。こんなに沢山部屋があっても一人じゃ使い切れないのよ、父さん…」

 伯父は漣を引き取り面倒をみてくれると言ってくれたが、東北に住む伯父の世話になるには転校しなければならず、何とかそれだけは避けたかった漣は結局一人暮らしをする事になった。

 何より祖父が遺したこの家を、かつては父が母と暮らし最近まで漣と二人で暮らしていたこの家を離れたくは無かった。

 一応父の会社から退職金らしきものは振り込まれたし漣を受取人にした生命保険も遺してくれていたらしい。

 学費は遺族奨学金等の適用もできる。伯父は無理せず頼ってくれれば良いと言ってくれているが、今後色んな意味で親戚の力は借りる場面があるのだ。自分でできる事は自分でやっておきたかった。

「ぃよし!」

 漣はロウソクの火を手で扇いで消すと膝を叩いて立ち上がった。

 今日は金曜日。日曜に葬儀をして月火と連休を挟んだから、漣が忌引をした二日間を入れると実に一週間振りの登校になる。

 担任はまだ休んでいても良いと言ってはいたが、する事が無い以上家にいてもいたずらに気分が滅入るだけだ。

 これから先の事は何も分からないが、とにかく前へ進むしか無いのだ。

「いってきます!」

 両親に声を掛け玄関に投げてあった鞄を握った。時計を見る。

「やばいやばい」

 八時十分を少し過ぎたところ。学校までは自転車で二十分程なので中々ギリギリな感じだ。

 お気に入りのローファーをつっかけ、玄関の鍵を回そうと手を伸ばしたその時、

 カチャンと軽い音を立ててサムターンが回転した。

 外側から鍵が開けられたのだ。

 思わず硬直した漣の目の前で外開きの扉が引き開けられ、朝の日差しが差し込んでくる。

 片足の爪先を地面に付け中途半端に手を伸ばした姿勢のまま、目も口も真ん丸に開いて漣は扉を開けた人物を見た。

 ボロボロに破けたスーツと割れた眼鏡、しかし顔には相変わらずの能天気な笑みを浮かべたその男。

 さすがに扉を開けた目の前に漣がいた事に驚いたのか、笑みはすぐに驚愕の顔になり目も口も真ん丸に開いたまま、

「や…あ…」

 と中途半端に手を上げて言った。

 言葉も出せない漣の様子に困った様に白髪混じりの頭を掻いた男は、取りあえず玄関に入り扉を閉めた。

「えっと…ただいま」

「…おかえりなさい」

 漣はぽかんと男の顔を見上げた。

 それは感動もへったくれも無い再会だった。

 こうして浅海宗一郎は一人娘の元に帰って来たのだった。


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