噛み合えない!!
ある日。
一匹の犬が玄関で尻尾を振りながら待っている。
家族の人間たちが出ていって2日目
何やら最近、人間達が忙しそうなの。
昨晩もオスだけ帰ってきては、いそいそと私にご飯だけ出してすぐ出て行ってしまったの。
何やら心配そうな表情だったけれど、私には関係ないわ。
それと、別にどうでもいい事だったけど今朝早くに
帰ってきたオスは昨日とは裏腹に表情が明るかったから特に心配も…最初からしてないから!
それに、あの娘。私のご主人も帰ってくるって
嬉しそうに話してきたんだから。
まあ、そこは少し嬉しいかも…
…だって!人間たちがいなきゃ私は外に出られないもの!!
だから私はすぐ外に出られるようにここで待ってあげているの。
車のエンジン音が聞こえる。
家族が帰ってきた!
「ただいま〜。おー!お出迎えしてくれたの?ありがとう」
別に構わないわ。それより撫でなさい。
「ごめんねー、後でいっぱいしてあげるからちょっと待っててね」
ふん!何よ、まだ待たせる気なの?
「お、じゃあ俺が代わりに…って、痛い!」
アンタはお呼びじゃないの!ガルルゥゥゥ。
…それよりなにかしら?その手に持っているのは。
ドッグフードの袋と同じくらいの大きさ。
でもビニールじゃなくて布…?白いフワフワしたなにか…
何かしら?なんだか中からシャボン玉の香りがするような…
「気になるねー。ほら」
ご機嫌なご主人が下ろした白いフワフワの中には
毛も生えてない小さな小さな人間がいた。
なにこれ???
「新しい家族だよ〜」
あれ?そういえばご主人のお腹が凹んでる…?
なんか、あうあう喋ってるんだけど。何かしら?
近づく。
「ああ!だめだめ!!」
取り上げられた小さな人間…
何よ!少し声が聞きたかっただけなのに!!
まあいいわ。
あんな無害そうな人間。放っておいてもなんて事ないもの…
数日後…
……超!害!!なに?私のご飯は?散歩は?
もう一週間も外に出てないんですけど!!!
なんなのよこいつ!この小さな人間のせいで私に
ベッタリだった二人が見向きもしないじゃないの!!!
頭きた!文句言ってやるわ!!!
ご主人が皿を洗ってる間にこっそり赤ん坊に近づく。
一言物申してやる!私の方が先輩よ!!!
あのオスより私の方が長くこの家にいるん
だからね!!!
むむむむむ。
ベビーベッドに足をかけて一生懸命登っていく。
着いた!このっ!!!ちょっと聞きなさい!!
「スー、スー」
そこにはスヤスヤ眠る赤ん坊がいた。
きゅん♡
何よ〜可愛い顔して寝ちゃって〜♡
はっ、だからって私が散歩に行けないの許せないん
だから!
顔を覗き込む。
起きない……
ん〜…舐める?噛むか!それとも起きるのを待つか…
舐めるor噛む…それとも起きるのを待つか…
舐める、噛む…それとも待つか…
………待つか
気持ちよさそうに眠る赤ん坊を犬はじっと見つめた。
フン!起きたら文句言ってやるんだから…
フハァ〜ア〜〜…ん〜私も少しだけ…
赤ん坊を包み込むかのように一緒に眠る犬だった。
いつの間にか空は紅く染まり…
夕飯の支度をしている家族…
フハァ〜ア〜〜フシュ〜…ペクチッ!
……あら…いつの間にか寝ちゃってたのね。
まだ隣でスヤスヤ眠る赤ん坊を起こさないように静かにベッドから降りた。
空は青黒く染まり鼻をくすぐる夕飯の匂いが
お腹を刺激する。
ご飯の時間。
何だか釈然としない。何かが気になる…量がいつもより少ない?…なんだろ?何か忘れてる気がする…
悩みながらドックフードにかぶりつく…
食べるスピードは段々早くなっていく。
ご飯、美味しい♡
食卓に二人と赤ん坊一人、犬一匹の空間。
綺麗にスピード完食を遂げた犬はテーブルの下で寝ていた。
物足りないわ…
その時、ご飯が入った器が犬の目の前に落ちてきた。
ご飯♡!
どうやら赤ん坊が落としたようだ。
ふんっ!こんな上納品でご機嫌を取ろうとしても無駄なんだから。散歩に行けてないイライラがなおるなんて思わないことね………!思い出した。
それでも落ちてきた器の中身を夢中でパクパク食べる。
「あーあー、やられた」
器を拾いにきたオスが大きな体を机の下に潜らせる。
フン!欲しくてもあげないわよ。これはもう私のなんだから。
器をを咥えて自分の食事スペースに帰る犬。
「あ、コラ!返せ!」
慌てたオスがドン!っと机の上に頭をぶつけた。
「!!っ痛〜…」
「ちょっと、大丈夫?」
オスの大きな体がぶつかって揺れる机。
その時、揺られた机からはみ出して頭から真っ逆さまに赤ん坊が落ちてきた。
「危ない!!!」
ご主人が叫ぶ。
床に当たる寸前、犬が飛びだして自分をマットがわりにしてみせた。
ハァー、危機一髪。
まったく。危なっかしいんだから……
心配そうな家族。
犬が下敷きになってくれたおかげでどこも怪我はなく。ケロッとしていた赤ん坊だったが次第に目が潤んできて
「……アーッアーーーー!!!」
泣き出す赤ん坊。
溢れる涙で濡らすほっぺを舌で舐めてあげる犬。
怖かったわね。
ザラザラした舌が赤ん坊の産毛を優しく舐めふかふかの毛並みで床に当たりそうだったおでこを優しく撫でてあげる…
いい子だから。大丈夫だから。
次第に鳴き声は穏やかになり
その光景を見ていた家族は緊張がとけて笑顔になっていた。
黄色いライトが照らす暖かな食卓に包まれて家族団欒の時間がゆっくり流れていく。
泣き止んだ頃にふと、小さな人間を見るとあちらも
こっちをじっと見つめてきた。
また何かあうあう言っている。
近づくと、小さな手が耳を引っ張ってきた…
イタタッ!!なにするの!!!
せっかく助けてあげたのに!!!
フン!そう!そのお礼がこれっていい度胸してる
じゃない!!!
グルルルルル!
低い唸り声と威嚇した顔を向けても、そこにはきゃっきゃと、はしゃぐ無邪気な笑顔が咲いていた。
まだ無知の小さな人間が目を弓形にしてこちらを見てくる。その姿はあまりに無防備すぎて流石に拍子抜けしてしまった。
やれやれというため息と共にじんわり胸の内から込み上げてくるもの。なんだろうこの気持ち。悪い気はしない。
今、この瞬間通じ合っている感覚。確かにお互いを共有し合っているこの空間は犬にとって心地が良かった。
言葉も違えば姿も違う。毛は生えてないし、耳は大きくない。鋭い爪も大きな口も。なにもかも私より小さい。だけど。たった一つの笑顔それだけでこの小さな人間は今、安心してるんだなってわかる。
ああ、なんだろ…好きだ。
この小さな笑顔が好き。キラキラ輝く笑顔が大好き。
怒るのもバカらしい。ていうか、いつの間にか忘れてたわ。
まったくもう無事で何よりよ。
そう犬は素直に思って。最後にお返しとほっぺをひと舐めしてやった。
するとオスが小さな人間をすくい上げる。
ケガをしてないか全身を確かめられている。
ご主人はしゃがんで、私に笑顔を向けながら頭に手をのせて撫でてくれた。
「ありがとう。これからも守ってあげてね。」
久しぶりに貰えたなでなでは、今までで一番心地よかった。温かな手から伝わってくるご主人の心が幸せな事で私の心も一緒に満ちていくのを感じた。
こういうのいいなー
そう思ったから。
色々あったけどご主人に免じて許してあげるこれからはあなたと仲良くしてあげる。喜びなさい。
そう、上を見上げた瞬間だった。
上から水が、正確にいえば小さな人間の尿が顔めがけて降ってきた。
「あら大変!!」
ご主人の慌てる声。
10秒くらいかな、穏やかに思考がどこかに飛んでいってたから体がぴくりとも動かなかった。
全部かけ終わったのだろう。小さな人間は満足そうに家族に嬉しそうな鳴き声をもらした……
「あう」
「タオルタオル」
ご主人が洗面所へ走る。
小さな人間を抱えたまま「あーあー」と情けない声を漏らすオス。
私は体を震わせた。
全身ぶるぶると飛び散る水飛沫。
……ッ……やっぱり…やっぱり…やっぱ嫌いよ!!!
あんたなんかっ!!!大嫌いよ!!!
来なさいよ!勝負しなさい!!私とケンカよ!!
この歯で噛んでやるんだからっ!!!ガルルルルゥ!
犬歯を剥き出しにして今まで以上に低く大きく唸る。
犬の目先に写るのは上機嫌にきゃっきゃと笑う赤ん坊。
敵意むき出しの犬はその時、ハッとある事に気づいた…
はっ!歯がない!!
犬は赤ん坊の笑う口元をみて気づいてしまった衝撃的な事実。
…てことはこいつとは
『噛み合えない!!』
喧嘩しようにもこっちは武器を持ってるのに相手は
武器を持ってないじゃない!
そんなの不公平だわ!!!
ズルいわよ!勝ち逃げ!闘いなさいよ〜!
犬はぐったりしてご主人が持ってきたタオルに包まれる。
これは、一匹の犬と一人の赤ん坊の噛み合えない
物語。