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林家話譚集  作者: 司馬田アンデルセン
屋根裏の魔女
3/4

第三話

 あの日以来俺は彼女の家にと訪れるようになり、彼女の部屋である屋根裏部屋を背景として彼女を描いていた。

 そんなある日のことであった。俺が彼女の画を描いているとメリッサは何かを思い出したかのようにして言った。

「そう言えば明日だね、商人が来るの」

「ん?そうか、そう言われればもうそんなに日が経ったのか。見つかるといいね、懐中時計」

「覚えていてくれたんだ。懐中時計のこと」

「まあね。良いのがあるといいね」

 そんな他愛のない会話をしながら鉛筆を動かしていると、突如とメリッサは立ち上がり俺の方にと近づいて来てスケッチブックを覗き込むようにして見た。

「もう殆ど出来てるんだね。やっぱりショーロウは絵を描くのが上手だね」

「殆ど、確かに殆どは完成しているね――だけど、本当はこれを完成させたくないなって思ったんだ」

 静かに呟くように言葉にしたその声にメリッサは「え?」と驚いた声で俺の顔を見た。俺はあの日の時のように彼女の顔の方を見ず、ただ絵の方を見つめて言った。

「これを完成させたらもう君の家に来る理由が無いんだ。何でだろうね、初めは完成させたいとの思いでいっぱいだったのに今じゃこんなにも君と一緒にいたいって気持ちでいっぱいだよ」

 自分でも何を想って言っているのかは分からなかった。それでも自分の想いを伝えたくてしょうがなかった俺は気恥ずかしかったが、気付いた頃には淡々と文字を並べて呟いたのだ。

「別に、絵を完成した後も良いんじゃないかな?だって、友達でしょ私たち」

「うん、そうだね。だけど、いつかは日本に帰らなきゃだから。俺は君と、メリッサと別れたくない」

 男としての誇りだとかそんなものはどうでも良かった。それほどまでに自分は彼女と別れるのが怖いほどに寂しかった。

 父からの具体的な日本への帰国の話はまだ上がっていなくても自分の直感的なものが訴えていたのだ。画を完成させればもう彼女には会えなくなってしまうと。それが相まってしまい画を完成させるのが怖くなってしまう。

「だったら、だったら色は付けないでよ。そうすればいつまでも完成させないで済むよ。――私も、ショーロウと同じで、別れたくない。せっかくできた友達と別れ離れにはなりたくない。だから、大人になったらお迎えに来て」

「お迎え?」

 彼女が何を意味して「お迎え」と言ったのかが理解できなかった俺は反復してその言葉を呟き、彼女の顔を見た。

 今まで画の方に目線を向けていたため分からなかったが、彼女の顔は熱でもあるのか少し赤く火照っており、少しの間を置いて頬を赤らめて言葉を発した。

「私を、ショーロウのお嫁さんにしてよ。私は日本には行けない、だからショーロウが来て。私、分かったの。私は、ショーロウのことが好きなの、だから、だからショーロウの気持ちも教えて」

「俺は、俺の想いは、きっとメリッサと同じくらい、それ以上に君のことが好きだ」

 そしてその瞬間は突然であった。メリッサはこちらにと顔を近づけ、俺の唇にと唇を重ねた。これが俺の初めての口と口を合わせた接吻であった。初めての接吻と言うのは実に呆気なく、薄甘い桃の味がした。

「キス、しちゃったね。私初めてだったけど、どうだった?」

「俺も、初めてだったから。そう言うのは分からないから」

 しばらくの間、お互いはお互いの顔を黙って見つめ、次第に今までの一連の流れが可笑しく思えたのか、いつの間にか俺とメリッサは二人して笑っていた。

「笑うなんてひどいわ、ショーロウ」

 メリッサは笑いながらも彼女同様に笑う俺を指さして言った。

「君だって笑ってるじゃないか――でも、本当に君に出会えて良かったよ」

 俺は分かり切っている気持ちを言葉にとし、自分の気持ちと向き合うかのように自分の胸にと手を当てた。

 運命と言うものがあるとすればきっとこのような事なのだろう。その言葉一つで語り切れるほどに単純で簡潔なものではないことは分かっている。しかし異国での出会い、それがたまたまであったのであれば、運命と言う言葉で片付けるには充分なものであった。

 しかし、悲劇にも近い通告は突然であった。

 その日の晩であった。夕飯を父と食べながら突如として日本へと帰る話が上がったのだ。

「卯月が体調を崩したそうでな。いつもと違って病態も悪いらしい、明後日にはここを発つ。荷造りの用意をしておけ」

「ま、待ってよ、父さん。母さんの病態が悪いってのは分かったけど父さんの仕事とかはどうするの?それに・・・」

 いつかは日本に帰るとは分かっていてもあまりにも急な事に俺は戸惑いを隠せずにはいられなかった。その勢いか、俺はついついテーブルに手を打ち付けていた。普段からの態度に予測できなかったのか、父は驚いたように俺を見たと思いきや、食べる腕を動かして嫌味混じりの声で言った。

「そうかい。――それとなんだが、金を渡すから明日自分のお土産と一緒に何か買ってこい、どうせ、行くんだろう?」

 どうやら父は、俺が明日買い物に行くのを知っていたのか、予測していたようだ。父としては妙に気を利かせている。普段であれば祭りごとなど祝い事に対して無関心で「あっそう」などと言いお小遣いも一銭もくれないどころか気も利かせない。それなのに今回に限ってはお小遣いがあるのだ。

 俺は父が差し出した小さい布袋の財布を受け取った。

「それなりにお金は入ってあるから安心しろ。それと、仕事の方は心配するな。子供は目先のことだけ考えてればいいんだよ」

 父のその言葉は、遠回しではあったが「気にするな」と言いたかったのだろう。その言葉に応えるように俺は明るく、いつものような態度を執り言った。

「ありがとう。存分に明日は楽しんでくるよ」


 街からヒートホールンにと商人が来る当日、俺はメリッサの家にと迎い、彼女が家から出てくるのを待った。

「お待たせ、ショーロウ。ショーロウが来るところが見えたから急いで用意しちゃって、どう?」

 どうやらメリッサは用意するのに少し手間取っていたようだ。いつもに増してメリッサの服装は着飾れているように見え、いつもよりも綺麗に見えてしまった。そして何よりもの変化は、髪型であった。メリッサはいつも型目を長い髪で隠しているのであるが、今日は一風と変わり、いや、確実に変わっている。なぜなら、彼女は隠すように長くしていた髪を切り、もう片方の目をさらけ出し、両目が分かるようにと髪を整えたのだ。

「目を、隠していないんだね。その髪型も、いいね」

 突如と変わった髪型に俺は少しの戸惑いを現し、何の飾り気のない言葉を放った。するとメリッサは小さく笑い言った。

「いきなり変わっちゃってびっくりした?とにかく行きましょう、じゃないと欲しいものが無くなっちゃうかもしれないわ」

 メリッサは俺の手を握り、引っ張るように歩き出した。俺は彼女の手に引っ張られるがまま歩き、彼女の後ろを歩いた。昨日の父からの事、あのことが脳裏にと浮かんだ。明日にはここを発つのだ。その事を想うと浮かれていた気分が沈み、ついついおぼつかない足取りと暗い顔を表にとしてしまう。その事に気付いたのか「どうしたの?」とメリッサは俺の顔を覗き込むようにして言った。

「大丈夫さ。ちょっとした考え事さ。それより、行こう」

 俺はすぐさまに気を取り直し、メリッサの隣にと立ち言った。するとメリッサは「そっか」と言い別段と何も気にしていないかのような素振りを見せて再び歩き始めた。


 メリッサにと手を引かれ、やって来た広場には既に多くの人々が集まり、お祭りごとのような賑わいぶりであった。

「驚いた、ショーロウ?びっくりさせようと思って言わなかったけど今日は小さなお祭りなの。でも、嘘は付いていないよ。だって、本当に街から商人が来ていたりもするもの」

 無邪気な顔を俺にと見せ、メリッサは俺をからかうようにして言った。そんなからかいに俺は、ただ目の前の光景にと釘付けされるだけであった。普段から家にといる俺はこういった祭りごとなどには疎く、そしてここが異国な地であるため、このような祭りごとがとても甘美で初々しく煌びやかに見えてしまい、俺はあちらこちらのものにと目を奪われそうにとなる。

「どうしたの、ショーロウ?そんなに目をぱちくりとして」

「いや、ほんとにすごいね。こういう祭りごとにはあまり参加、と言うか訪れないからさ。話に聞くだけで訪れたいとは思ったことが無くて」

「そっか。じゃあ、私が教えてあげる、お祭りの楽しみ方を」

「それはいいけど、君の懐中時計はどうするんだい?」

 彼女がここにと来た理由は懐中時計だ。それにいくら祭りだからと言って時間は限られている。それなのにわざわざ俺のために時間を割いてもらっては申し訳ない。しかしメリッサは至って平気そうな顔をして言った。

「大丈夫だよ。それに、それも探しながら楽しめばいいもの」

 もっともらしいことかのようにメリッサは自信満々に言い、再び俺の手を掴み歩き出した。

 その後のことは実に楽しいものであった。食べ物を買って食べる、売られてある物を見たり、買ったり、普段何気なく行っていることが祭りではどうして中々楽しく、それでいて初々しく感じてしまう。その事が楽しく、とても活気的な気分にとしてくれた。祭りを満喫し、気分が高揚していた俺の心には、明日にはここを発つことなど忘れ、ただ今を楽しむことで頭がいっぱいであった。

「祭りって言うのがこうにも楽しいものだったとは。ちょっと驚きだな」

「今までそれに参加してこなかったショーロウの方が驚きだよ。何で今までお祭りに行こうって思わなかったの?」

 俺とメリッサはお祭りがやっている所から少し離れた、人がそこまでいない所にと来て休憩をしていた。祭りと言うのは何も騒がしいところに混ざって楽しむだけでなく、こう言った少し離れた静かなところで余韻を楽しむのも一興らしい。

「なんかさ、騒がしいのは苦手なんだよ。それにお祭りとかさ、何をすればいいか分かんなくてさ」

 何をすればいいか分からない、祭りと言うのは楽しむものであり、どう楽しめばいいか分からなかった。

「別に、楽しもうなんて考えなくてもいいんじゃない?だってお祭りって言うのは無理に楽しむものじゃないもの」

「そうだね、そうかもしれない。ただそこにいるだけで楽しい、それがお祭りなんだと思う」

 今日来て実感、分かった事を口にした。きっとこのことは彼女と共に祭りに来たから分かった事なのだろう、もしも俺がメリッサに出会わず、祭りに来なかったのであれば、大げさではあるが理解できなかっただろう。

「さて、一休みしたところだし探そうか。懐中時計」

 俺はメリッサが探している懐中時計を探しに行こうと促す。それに合わせてメリッサは「うん」と元気よく頷いてくれた。まだまだ時間はある、まだ見ていない所も色々とある、期待の籠った思いで俺とメリッサは再び祭りの方にと向かった。

 しかしながら物事とは上手く行くときもあれば行かないときもある。まさしく今回がそうであった。探し物は明確に懐中時計だと決まっていた。だがその懐中時計は見つからない、何度も様々な所を見て回ったがやはりと言っていいのか、残念と言っていいのか目的とする物は見つからなかった。欲しいものがありながら欲しいものにと手が届かない、そんなもどかしい気分と焦りの想いが合わさり、自分を責める想いにと変わる。自分がもう少し積極的に探していれば、メリッサが俺と一緒に行動していなければ。そんな事を想いながら、表面では明るくしゃんとした顔を装おうが裏では自分を責めるばかりの自暴的な考えがあちこちにと脳を刺激する。

 そしてついには、俺は言葉にとして表現してしまった。

「ごめん、メリッサ。やっぱり、俺と一緒に楽しんだから、見る時間が減っちゃったよね」

 それは帰り道の途中のことであった。とぼとぼと歩く俺は雲んだ声でそう呟いた。

 見つけることが叶わなかったそれに対する謝罪。その事が俺の頭の中では繰り返すようにと回っていた。

「どうして、どうしてショーロウが謝るの?見つからなかったの、しょうがないよ」

 しょうがない、その言葉が俺にとっては救いの一言だった。それでも俺の気が晴れないのは分かり切っていることだ。俺は分かり切っているその想いを噛みしめ、懐にと入れていた懐中時計を力強く取り出し、それをメリッサにと突き出して言った。

「それを持ってて、明日日本に帰る。だから、次に来るときは新しい懐中時計を持ってくるから、その時はそれと交換だ」

 メリッサは酷く驚いた表情を見せた。それもそうだろう。彼女にと、明日ここを発つと言ったのは今が初めてなのだから。その事を百も承知で言った時の俺の心情はとても言葉にできる感情では無かったことは確かだ。罪悪、背徳、悲しみ、愛おしさ、それらの感情が入り混じった心情など果たしてどう言い現わせばいいだろう。

「・・・急すぎるよ、ショーロウ。なんでそんな事を今になって言うの・・・」

 言い逃れのできない質問。俺はただ本当のことを言った。

「昨日決まったんだ。多分、父さんは黙ってたんだ」

「多分って・・・信じてもいいの?」

 メリッサのその疑問はもっともだ。日本と和蘭陀の距離が遠く、来るのも容易いものではない。しかし俺にはあの約束があった。だから俺は絶対ここに、メリッサに会いに来る、迎えに来る。

「言ったじゃないか、迎えに来てって。だから、俺はもう一度ここに来る、メリッサを迎えに来るから」

 メリッサの瞳からは涙が流れ始めていた。

 俺は彼女が泣きじゃくる、泣き崩れてしまう様子を見たくない、別れ際の記憶にしたくなかった。その想いで俺は彼女を抱きしめた。そして俺とメリッサは共に泣いた。

 そして次の日、俺は和蘭陀を発つこととなった。そしてそれと同時に俺は心に誓った。再び、ここに訪れるときは、メリッサのための懐中時計を持ってくると。

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