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林家話譚集  作者: 司馬田アンデルセン
屋根裏の魔女
2/4

第二話

 その次の日、俺の足は自然と彼女の家にと向かっていた。

 言われて次の日に行くのは迷惑かもしれない、そんな考えもあったがこの時の俺はそこまで深く考えず、まるで目先のことしか考えていないかのようにとても単純であった。

「はーい、ってショーロウ。どうしたの?もしかして絵を描きに行こうとしていたところ?」

 家の扉を叩くと彼女はすぐに出てきた。服装的にもどうやら彼女も何処かにと行こうとしていたように見えたため俺は少し申し訳なさそうにして言った。

「まあね。君もその様子だとどこかに行くんだろ?」

「うん、だけどショーロウが絵を描きに行くなら私も行く。だってそっちの方が楽しそうだもん。そうだ、ショーロウはサンドイッチ食べれる?」

 サンドイッチ、確かここに来る前に列車の中で父と一緒に食べた。野菜やハムと言う豚肉を薄く切り取ったものや茹でた卵などを小麦粉でできたパンと言うもので挟むものだ。とても斬新なものであり、西洋的な親子丼と言ったものであろう。俺はそのサンドイッチと言うものが大好物である沢庵のお茶漬けの次に気に入っており「あぁ」と笑顔で彼女に答えていた。

 すると彼女も喜んだように笑顔を向けて言った。

「そっか、じゃあよかった。ちょっと多く作りすぎちゃったからさ、一緒にサンドイッチ食べない?今から取ってくるからさ」

 そう言い彼女は一度家の奥にと入って行き、竹でできたかごを持って出てきた。それは一体なんなのだと聞いたところ彼女はバスケットだよと俺にと教えてくれた。

「そっか。じゃあ行こうか、と言ってもここに来たのは昨日ばかりだからここら辺のことは知らないんだ。何処かいい場所はないかな?」

「そうなの?だったら私のとっておきの場所を教えてあげる。付いて来て」

 そう言いメリッサは俺の手を引いて小走りで何処かにと向かい始めた。目的地が何処なのか分からない俺はただただメリッサに手を引かれて後ろを歩くほかなかった。

 誰かに引っ張られ、誰かの速度に合わせて歩くことはそこまで好きではない。しかし何故だろう、彼女に手を引かれ歩くのにそこまで抵抗は無かった。一体なぜ、どうして普段であれば嫌になる気分になるのにこんな気持ちになるのだろう。それが分からない俺は自分の気持ちを明確にするため歩く足は止めずに足を動かし続け、それでいて考えることに集中した。

 そうしてどのくらい経っただろう。「着いたよ」との彼女の声が聞こえた。その声によって思考を巡らせていた俺の頭の中での思考は中断させられ、目を丸くし目の前に広がる広大な湖にと目を奪われてしまい、しばらくの間声が出なかった。

 自然に囲まれた中に広がる広大な湖は確かにいい場所だ。彼女の言う、とっておきの場所の意味が分かった気がする。しかしこれだけではないのか「こっち」と岸の方にと来るように手を振った。俺はメリッサのいるところにと近づくと、メリッサは杭に繋がれている小舟を止めている紐を解き小舟に乗るようにと俺に促した。

「勝手に乗っちゃっていいの?見るからに他人の舟に見えるけど」

「大丈夫、これが当たり前みたいなものだから。さあ、乗って」

 俺は言われるがままに慎重に足を船の方にと乗せてゆっくりと座った。

「舟に乗るのは初めて?だったら船酔いとかは大丈夫?」

「それなら心配ないよ。でかい船とかになら何度かは乗ったことがあるし。だから船酔いは大丈夫だと思う」

「でっかい船に乗ったことがあるの!?いいなー、ショーロウは」

 彼女は俺をうらめしそうに見て顔を近づけて言った。

「だったらその時の話をしようか?」

 そう言うと彼女は嬉しそうにして「聞かせて」と言い目を光らせて僕の話を今か今かと聞きたそうにしていた。嬉しそうにしている彼女の様子につられて俺はにっこりと笑顔を浮かべて「分かった」と言い何度か乗ったことのある船の話を始めた。彼女は(かい)で舟を漕ぎながら俺の話す話を面白そうに聞いては俺にと質問した。

 家族やウメ以外では中々話をしたがらず、それどころか他人との会話自体に関心がない俺であったが、この時の俺は彼女と話すことがとても楽しく思えた。それは彼女が聞き手としてとても上手で話しやすかったからだろう。

 しばらくするとメリッサは漕いでいた手を止め、指を指して「見て」と言った。俺は彼女の指す方を向いた。その方向にはヒートホールンの村々の様子が一望でき、さっき見た湖全体の風景よりも素晴らしく幻想的なものであった。

「ここが、本当のとっておき。湖を見るだけでもいいけどここからだと湖とヒートホールンの両方が見えるの。どう?」

「すごい、すごいよ。ありがとうメリッサ」

 そう言い俺は自然と彼女の手を取って言った。すると彼女は急な俺の行動に驚いたのか目をぱちくりとさせて俺の方を見た。それと同時に彼女の顔が少し赤くなったようにも見えた。しかし俺はそんなことなど気にも留めず。スケッチブックと鉛筆を取り出して画を書き始めた。

「ねえ、メリッサ。メリッサはどうして俺にここまでしてくれるんだ。会ったのは昨日ばかりでそこまで面識はないだろう?」

 俺は高揚する気分を抑え、画を描く手は止めずに平常心を装って言った。すると彼女は雲一つない晴天の空を見上げて言った。

「うーん、どうしてだろう。たぶんだと思うんだけどね、話し相手が欲しかったの。だから、たまたまそこにあなたがいたから」

「そっか、だったらこうなったことを感謝しなきゃだな」

 俺は喜々とした声を上げて言った。すると彼女も喜々とした声で「そうだね」と言い笑ってくれた。

 それは突然であった。俺が画を書き始めてしばらくして突如と気分が悪くなった。なんとなくではあったがこれが船酔いと言う事だと分かった。すると俺の異変にと気付いたのかメリッサは「どうしたの?」と心配そうにして言った。俺は鉛筆とスケッチブックを置いた。

「たぶんだけど、船酔いしたんだと思う。きっと舟に乗りながら絵を描いてたからだと思う」

 盲目であった。確かに船には乗ったことはあったものの、その時は画を描いていなかった。しかし今回はゆらゆらと動く中で画を書いていた。もしかしたらそれが原因にあるのではないかと思い途端に恥ずかしくなった。人と言うのは原因を知った途端に恥ずかしくなることがある、自分もその一人なのだろう。

「いったん岸に戻ろうか。それまで少し我慢して」

 船酔いの具合は辛い物では無かったが湖の上に居ると言う事を思い浮かぶと余裕と言うものは自然と無くなる。そのため俺は彼女の言葉を言葉で反す余裕が無く、顔を縦に振って頷いた。

 岸に着くまでのことははっきりとは覚えていなかったが、これだけは今でも頭の脳裏に焼き付いていた。メリッサは船酔いしている俺のことを気遣いながらも必死に舟の櫂を漕ぐ様子を。

 船酔いが落ち着き始めた時だった。メリッサが「着いたよ」と言い、いつの間にか彼女は岸の方に上がり俺の方にと手を差し伸べていた。俺はメリッサの手を借りてゆっくりと立ち上がり、岸の方にと足を運んだ。幸いのことに船酔いは収まり始めていたためそこまで苦労することなく船から降りることができた。

 舟から降りて直ぐの所の岸に彼女は座り込み、俺は彼女の隣にと座って天を仰いで言った。

「ごめん、あんなこと言っておいて船酔いしちゃった。まだ絵も描けていないのに」

「ショーロウが謝ることじゃないよ。それに、絵ならまた次の期会に描けばいいんだし。その時はまた私を呼んで」

「いいのかい?もしかしたらまた船酔いをしてしまうかもしれない」

 そう言うと彼女は何事も心配していないかのように、それどころか笑顔の表所を俺にと向けて喜々とした声で言った。

「その時は任せて。私がちゃんと送り届けるから。それより、おなかすいてない?」

 すると彼女は何やらバスケットの中を漁りだし言った。

 そう言われればそうかもしれないと思い、俺はお腹の所に手を当てた。懐にと仕舞っていた和蘭陀時間に合わせた懐中時計を取り出し、時間を見ていると既に短い針は十二をさしており、とっくに十二時を過ぎていたことが分かった。「そうかもしれない」と俺は懐中時計を仕舞い込もうとした時だった、彼女は俺の懐中時計を興味深そうにして見て言った。

「それって小型の時計だよね?たしか懐中時計って言う」

「まあね。父さんからはまだ手にするのは早すぎるって言われたけど俺があまりにも欲しいってねだったら母さんが女中さんにお願いさせて俺の為に買って来てもらってさ」

「女中さんって、ショーロウの家には召使さんがいるの!?」

「うん。だけど和蘭陀に来たのは父さんと俺だけだから女中さんは連れて来てないんだ」

「ねえ、ショーロウ。やっぱり懐中時計って高いの?ほら、ここって結構田舎だからそう言う物の単価が分からないからさ」

 俺は腕を組んで考えた。考えたと言っても勿論懐中時計の値段など知るわけでもなく、日本と和蘭陀との価値観が分からないためどう説明すればいいか分からなかった。そのため俺は考えることをやめて素直に「分からない」と言った。その答えにメリッサは「そっか」と少し残念そうでどこか心配そうにして言い、バスケットに入っていたサンドイッチを俺にと差し出して言った。彼女のその様子が気になった俺はなんの躊躇もなく「どうかしたの?」と聞いた。

「実はね、来週の土曜日に街から商人の人がここにやって来るんだ。それで、懐中時計が欲しくてさ。どう、一緒に行かない?」

「いいのかい?俺と行ったって全然面白くないかもしれないよ?」

 俺はメリッサから貰ったサンドイッチを一口食べ、謙虚そうに言った。すると彼女は顔を振って「そんなことないわ」と俺のことを庇ってくれるかのように言ってくれた。

「それで、どうかな。私の作ったサンドイッチ、やっぱり味合わなかったかな?」

 メリッサの作ったサンドイッチは美味しかった。行きの列車で食べたサンドイッチと比べると断然にこちらの方が美味い。そして何よりもパンの質、はたまたは種類と言っていいのだろうか。列車で食べたサンドイッチのパンは柔らかかったが、メリッサの作ってくれたサンドイッチのパンは列車で食べたサンドイッチとは形が少し違っており、少しばかり細長く、少しだけ堅かった。しかし、そのところが中に挟まれている具材と丁度良く組合わさり、美味しさを引き出していた。

「ん?あぁ、それのことか。全然大丈夫だよ、それどころかものすごく美味しい。行きに買ったサンドイッチよりも美味しい」

「なら良かった。まだまだいっぱいあるからたくさん食べてね」

 サンドイッチを軽く平らげた俺の様子を見て彼女は喜ばし気な表情を浮かべて言った。俺は彼女が差し出すサンドイッチを「ありがとう」と言い彼女が差し出すサンドイッチを受け取りメリッサと共に昼食を共にした。


 そしてその次の日以来、俺は彼女と共に湖とヒートホールンの画を描くようになった。最初の三日間は船酔いを起こしてしまいすぐに帰ることになったが、その次の日は船酔いをすることなく無事に画を完成させることができた。

 完成した画を見たメリッサは興奮を隠しきれない顔でとても喜々としていた。その様子がとても嬉しかった俺も彼女同様に興奮を隠しきれずに飛び跳ねてしまったのは内緒の話である。

 こう言うのもなんではあるが、その作品は自分の中ではかなりのいい出来であり、一番良くできた作品であろう。何故ならば、その作品は初めての共同作業で作った画だからだ。自分が画を描き、舟を漕ぐことができない俺に代わってメリッサが漕ぐ。これを共同作業と言わずしてなんであろう。

「ありがとう、メリッサ。メリッサのおかげで良い具合に絵が完成したよ」

 そう言い俺は完成したばかりの画を見せるようにメリッサにとスケッチブックを差し出した。メリッサはそのスケッチブックを受け取り、まるで自分の事のように嬉しがり、目を輝かせて言った。

「やっぱりショーロウは凄いな。こんな凄い絵を書き上げちゃうんだから。それに、前にも言ったように見ていて楽しいわ」

「そうかな、俺なんてまだまだだよ。それに、見ていて楽しいなんて言うのなんて君くらいだよ?」

「そうかな?だってショーロウの絵は今にも浮かび上がりそうなくらいに上手で完成するまでがとても面白いのに」

 彼女が言うその褒め台詞は例えお世辞であっても嬉しいものであった。自分以外の誰かに自分の作品を認められることがこれほどまでに嬉しいと思ったのは彼女が初めてであった。そしてこの時俺は何故画を描くのかが分かった気がした。

「ねえ、メリッサ。前に君はなんで絵を描くのかって聞いてきたよね?」

 彼女は俺の方を向いて「うん」頷いた。俺は彼女の顔は見ず、代わりに湖の方を眺めて彼女にと言った。

「君と一緒に絵を描いていて分かったんだ。多分俺は誰かに自分の作品を認めてもらいたくて描いてるんだと思う。絵を描くようになったきっかけは実は母なんだ。母さんは病弱で中々外に出られなくて俺に絵を描いて持ってきて、って言ったんだ」

 メリッサは相槌を打ち俺の話を聞いていた。やはり彼女は話を聞くのが上手い。こんな俺でも包み隠さず、恥ずかしがる事無く自然と話すことができるのだから。

「そしたら母さんは俺の絵を見て褒めてくれたんだ、それ以降俺は誰に言われるでもなく絵を描くようになった。そして今日はっきりと分かったんだ、君のおかげで」

 そう言うと彼女は不思議そうにして自身の顔を指さして「私が?」と言った。

「あぁ。君に絵を褒められると俺は何故だか分からないけど不思議と嬉しくなる。それで分かったんだ、俺は自分の作品を誰かに認めてもらいたかったんだって」

「そっか、じゃあショーロウの将来の夢は決まりだね。ショーロウは画家になりたいんじゃない?」

「画家?それって確か絵を描くことをお仕事にする仕事だよね?」

 パスカルもヒートホールンに来るまでの馬車の中でそのような事を言っておったため彼女の言いたいことがすぐに分かった。日本では画家と言う仕事がそこまで浸透しておらず、パスカルに言われた時もそこまで将来的に就く仕事としては深く考えてはいなかった。しかし、彼女にそう言われると妙な説得力と画家としての道を歩いてみたいとの好奇心が沸き、揺らいでいた心に決意の炎を灯らせた。

「初めは画家って言う仕事がどんなものでどんな風なのかが分からなくてどうでもいいかなって思ってた。だけど、君がそう言うなら目指してみるよ」

 この時俺はきっと今まで以上に、今までに無いほどの笑顔をメリッサにと向けて言った。

 そして今だからこそ分かるものがあった。きっとこの時から自分は自分でも分からないほどに彼女に恋をしていたのだ。他人との関りを極力避けていた俺にとっての初恋がこの時であり、彼女であったのだ。


 その後俺は彼女にと別れを告げて思いっ切りの速さでヒートホールンを駆け、寝泊まりをしている家にと向かった。

「ただいまー。あ、パスカルさんこんにちは」

 勢いよく扉を開けるとそこには父とパスカルがテーブルを囲むように椅子に座って何やら会話をしていた。その時の俺は、今まで以上の仕上がりの画ができたことに興奮し、二人の会話に割って入るようにして椅子に座りスケッチブックに描いた画を見せるようにして差し出した。

「おいこら、清郎、パスカルさんと話しているだろ。すまないな、パスカル。いつもはこうじゃないんだがな」

 するとパスカルは俺の画を興味あり気に手に取り、感心した様子で見て言った。

「よく出来ているな、しかもこの画はボーフェンウェイデの画じゃないか」

「ん?何だって、確かにボーフェンウェイデの風景だな。それにこの構図は船に乗って描いたな?一人で乗った訳じゃないだろうな?」

 さっきまで俺の画に興味を持っていなかった様子の父であるが、パスカルの言うボーフェンウェイデと言う言葉を聞くとすぐに俺の画を取り、眉をひそめて言った。どうやらあの湖はボーフェンウェイデと言う名前であるらしい。

「一人じゃない、メリッサと一緒に行って描いた。舟を漕いだのはメリッサで画を描いたのは自分だよ」

 すると次の瞬間パスカルは何やら表情を曇らせ「そうか」と言い難しい顔を浮かべた。

 やはり二人とは言え子供だけで乗ったことがいけなかったのか、それとも何らかの理由があるのかが知りたく自分は自然と「どうしたんですか」と口にしていた。

「いや、彼女なら別に大丈夫だろう。彼女のことは俺も知っているさ、しっかりとできた娘だからな」

 言葉自体では褒めてはいるものの、曇り顔は一向に変わらずさっきと同様に難しい顔を浮かべていた。その事が変に気掛かりであり、どれだけ気掛かりかと言われると喉に引っかかる魚の骨が抜けないのと同じくらいに俺にとっては気掛かりであった。

 普段であれば他人は他人であり、絵空事くらいどうでも良いことなのだが俺はどうしてもその気掛かりが放っておくことができずパスカルに彼女のことについて教えて欲しいといつの間にか、自然と頼んでいたのだ。

「彼女は、メリッサは若い頃に母親と父親を亡くしているんだよ。彼女、一人で物事を抱え込んじゃう癖があるようでね、そのためかどうかは知らないが誰の頼りも借りずに今まで生きていた。下手をすれば俺ら大人よりも大人びてるほど一人でも上手に生きていけてるよ。たまに俺や近所の者が面倒を見てやってはいるがほとんど拒んでいるんだよ。なんでも迷惑を掛けたくないってね」

 まさか彼女にそんなことがあったとは思ってもいなかった。今まで見てきた元気で太陽のように輝いていた彼女の姿はほんの一面であり、両親を失ったと言う辛い想いを背負っている彼女のことを想うと途端に胸が締め付けられる感覚が俺に襲った。そして途端に今までの彼女との行動、言動が何気なく彼女を傷つけていないかと思い込んでしまい考えることができないくらいの放心状態に陥った。

 するとパスカルは俺の肩を力強く掴み、同じ目線に立ち言った。

「どうやらこのことは彼女から教えられていないようだね。だったら、君はどうする?これからも彼女と真剣に向き合っていけるかい?何不自由なく裕福に囲まれた君は、早くに両親を亡くして君とは圧倒的に対照的な彼女と真剣に付き合うことが、向き合うことがこれからもできるかい?」

 しばらくの沈黙。それほどまでに自分の心には衝撃的に響くものであった。

「なあパスカル、雨が降り始めたがどうする?結構強いし泊っていくか?」

 緊迫した空気の中でほんわりとした声で俺の父は能天気なことを言った。しかし今の場ほど父の言葉がこの場を和らげさせるのには適切な言葉であった。

「それとよ、パスカル。そんな難しく考えることはないんじゃないか?現に清郎はそのメリッサとか言う娘と仲良くやっているんだろ?」

「うん、仲良くやれていると思う」

 すると父は大きな手のひらで俺の頭を撫でて言った。

「だったら大丈夫だろ。それによ、ガキのお前がそんな難しいことを考えなくていいんだよ。もしも気になるようだったら自分の想いをぶつければいい。まあ、その場合は最悪喧嘩するだとかそうなるかもしれないからそん時はそん時だな」

 父にしては真面目なことを喋っていた。いつもであれば無関心で他人事のような反応をするのだが今回はいつもに増して真剣に向き合って言ったのであった。

「俺、今から彼女に会って来る。もしかしたら気付かないうちに傷つけていたかもしれないから」

 そう言い俺は父やパスカルが止める声も聞かず家を飛び出た。曽田はやはり父の言っていた通り雨が激しく降っていた。しかしそんなことなどお構いなしに俺は走った。走って一刻でも早く彼女にと自分の想いをぶつけたいことで頭がいっぱいであった。そのためこの時の俺は周囲の声など聞きもしなかったのだ。

「メリッサ、メリッサ。俺だ、清郎だ、君に伝えたいことがあるんだ。突然で迷惑だってことは分かってる、それでも今じゃなきゃダメなんだ」

 俺はメリッサの家の扉を叩き、暫くすると扉がゆっくりと開きメリッサが姿を現した。彼女は雨に濡れた俺の姿を見て驚いた表情で「どうしたの」と言ってきた。

「と、とにかく中に入ってショーロウ」

 俺はメリッサに言われるままに家の中にと入って行った。

「ショーロウが絵以外で家に来るのは初めてだよね。それで、言いたいことってなに?」

 メリッサは椅子にと座る俺にお茶を出してくれた。俺はそれを受け取り、彼女が椅子に座るのを見計らい、話を切り出した。

「メリッサ、俺は君に謝らなければいけない。俺は君のことを理解していたようでいて全然理解していなかったんだ。君が今まで一人だってことを。そうだとは知らずに俺はお構いなしに君と仲良くしていた、もしも今までのことで何か君を傷つけていたりしたのなら、俺は素直に君に謝るよ。本当にごめん」

 彼女の第一声は「そっかぁ」との何とも拍子の抜けた声であった。そのあまりにも拍子抜けた声に俺は思わず「え?」との声が漏れてしまった。メリッサは椅子から立ち上がり腕を伸ばして緊張感を脱力させて言った。

「ショーロウが慌ててきたもんだから緊張しちゃったけどそんな事だったの?別にそんな事でショーロウは私のことをどうとも思わなかったんでしょ?」

 メリッサは俺の心を読むかのように心情を言い表した。あまりのことに俺は頷きどうして分かったのかを聞いた。すると彼女は別段と驚いた素振りもせず、むしろそのことが分かっていたかのように笑みを向けて言った。

「そうじゃなきゃ私のところに来ないもの。それに、私も言わなきゃいけないことがあるの」

「言わなきゃいけないこと?それってなに?」

「前にさ、ショーロウがどうして俺なんだって言ったでしょ。あれの答えってたまたまって言う以外にももう一つ理由があったの」

 するとメリッサは今まで長い髪で隠していた片方の目を見えるように髪を退けた。するとそこにはもう一つの目とは違う色の目が顕わになり、彼女は少しばかり恥ずかしそうで、何処か気まずそうにして言った。

「私の目って、片方片方が違うの。そのせいかみんな私のこの目を奇妙がるの、前にも言ったよね。話し相手が欲しかったって」

 彼女の言わんとすることがなんとなくと理解できた俺は静かに頷いた。彼女はゆっくりと、落ち着いた声でありながらも震えた声で喋った。

「だから、私の目について知らない人が欲しかったの。人を騙すって事は分かっている、だから、ごめん。それでもショーロウは、まだ一緒に、友達でいれる?」

「そんな事関係ないよ。だって、俺たちは友達じゃないか。むしろ俺を騙してくれて良かったよ、俺も友達がいないから構ってもらえなくてさ」

 彼女の何のこともない、どうだっていい質問に笑みを向けて言った。そうだ、俺にとって彼女がどんな姿であったとしても俺にはどうだっていいことなのだから。

「私も、あなたで良かった。あなたに出会えて、本当に良かった」

 すると彼女は涙交じりの笑みを浮かべ、大層嬉しそうにして言った。その表情があまりにも尊く美しいもののように思えてしまうほどに俺の心を打つものであった。そのためか俺はぼうとした表情で彼女を見ていたのか「どうかしたの?」とメリッサに問われてしまい、あまりのことに自分は何も隠す事無く、着飾る言葉などではなくありのままの正直な感想を告げていた。

「君の、笑顔がとても綺麗でさ。つい見惚れちゃってさ」

「ふーん。だったら、だったらさあ、私をモデルにして絵を描いてくれない?」

 彼女の申し立ては突然なものであった。この場合は意見とも言えるそれは衝撃的なものであり、是が非でもやりたいものではあるが同時に不安もあった。そんな姿を見てメリッサは「ダメかな」と申し訳なさげに、どこか寂し気に言った。そんな気にさせるつもりでは無かったため俺は直ぐに慌てて言った。

「そんなんじゃないさ、むしろ嬉しいよ。だけど、誰か人をモデルにしたことが無いからさ。だから、不安なんだ。上手くいくかどうか」

「別に上手くいくかどうかなんてどうだっていいよ。私はただショーロウに描いてもらえるだけで嬉しいからさ」

 彼女のその優しい言葉により俺の揺らいでいた心は一つに固まり、決意と言う塊にとなった。その決意は、日本に帰るまでに彼女の画を完成させると言う情熱に満ちた決意であった。

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