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林家話譚集  作者: 司馬田アンデルセン
屋根裏の魔女
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第一話

 明治三十八年、十月某日。松代の郊外にある、周りとは一風変わった西洋の屋敷とも言える林家別宅にて俺、林清郎は荷造りをしていた。これだけ言ってもなぜ俺が荷造りをしているかは伝わらないだろう、そのため詳しく述べよう。俺は画家になるため和蘭陀へと留学しに行くため荷造りをしているのだ。本来であれば去年の十五歳の誕生日に行く予定であったのだが、日本は露西亜との戦争でとても留学どころでは無かった。正確には世間一般が許さないからだ。軍人さんたちが戦っているなか絵を描くために留学など日本男児として恥ずかしくないのかと言うのが世間一般の目であり、俺は一年遅らせて今日にと至った訳だ。

 そうして俺は一通りの荷造りを終え、ここを離れる前にもう一度窓から外の風景を目に焼き付けていた時だった。扉を叩く音がし、扉を開け一人の女中が部屋にと入ってきた

「失礼します、清郎様。お父上様からとらんく?と言う物を預かってまいりました」

「あぁ、トランクか。父さんもまた面白い物を渡してきたな」

 この質素な青を主とした色の着物を着ている彼女の名は鈴里ウメ。林家で働いている女中、あるいは俺の母さんの従者と言ってもいい。年齢こそは俺とたいして変わらぬ、だが流石は女中の娘であり裁縫やら料理やらなんでもこなす。彼女との出会いは俺が七歳の頃であり、母さんの紹介で、古くから林家に仕えている鈴里タエさんの娘である彼女に出会ったのであった。もちろん俺とウメの関係は主人の息子と女中の関係である。それでも俺は古くからの付き合いでもあるためできるだけ彼女には主従関係は気にせずに接して欲しいと願っている。とは言っても久しぶりに岐阜から父と母のいる別宅に戻ってきたためか今のウメは少し緊張が抜けていないように見える。

 緊張しているウメの緊張を和らげるため俺は何か気さくな話題を出すこととした。

「ウメ、父さんはどうだった?何か俺に心配事でもしてたか」

「いえ、特に心配事はしていませんでした。それよりも、その箱のような物は一体どのような物なのですか?」

 ウメは年季の入ったトランクを目で指して俺にと聞いてきた。トランク、今の日本ではその名を知っている者はそこまでいない。むしろその名を知っておりそれを持っている者の方が異常と言っていいほどに珍しいだろう。そのため俺は仕方なく簡単な説明をした。

「長期間の旅に持っていく鞄みたいなものかな。海外ではこれに荷物を入れたりするんだよ。丁度俺が父さんに連れられて初めて和蘭陀に行った時に現地で買ってもらったんだっけな。あの頃の俺ときたらマセガキだったもんだから変に大人びてこういうのを欲しがってたからな」

 そう言い俺は過去の自分に文句を言うように、皮肉めいた風に言った。だからと言ってこのトランクには何の罪もない。俺は過去の自分を悔いながら、その頃の事を思い出すようにしてトランクを持ち上げた。当然ながら父に買ってもらって以来、日本に帰って来てから何分と使っておらず、中には何も入れておらず軽いはずであった。しかし持ち上げた時に不思議とトランクの中から物音がした。その物音に気付いたのかウメは不思議そうに「何か入っていますよ」と言ってくれた。その事に当然ながら分かっている俺は「あぁ」と相槌を打ちトランクを机の上にと置いた。なにせしばらくの間実家にと置いてあり、それでいて父にと預からせていたのだ。きっとろくでも無い物が入っているのだろうと思えて仕方なかったためトランクを開けるのに気が引けた。しかしトランクを開けないことには荷物すらも入れられないため開けるに仕方なかった。それにウメがトランクの中が気になるような眼差しを向けているためこのまま開けずに下がるのも男としての往生に関わる気がして開けずに下がれなかった。

 俺はトランクを止めている金具を開け、ゆっくりとトランクの扉を開けるとそこには小さな絵があった。その絵は鉛筆で描かれたものであり、色などは付いていなかったがどのような色が付くのかを想像できる仕上がりであった。描かれているものは、質素で庶民が着るであろうと思われる西洋の服を着た少女が部屋裏と思われる場所で一角の椅子にと座っている画であった。

「凄い絵ですね。これもお父上様に買ってもらった物ですか?」

 ウメはその画を覗き込むようにして言った。一方の俺はその画に飲み込まれるように黙り込み、椅子にと腰を掛けて八歳のあの頃を思い出していた。

 父に「面白いところに行こう」と言われて共にしたのが和蘭陀であった。母などに黙って俺を連れて行ったのが分かったのは家にと帰って来てからの事であった。父が和蘭陀にと行くことは既に分かっていたため父に関しては何の問題は無かったが問題があったのは俺の方であった。女中たちの間では人攫いに攫われのではないかと言われ街では家出ではないかとも散々の言いようであった。そして同い年であるウメの場合は大泣きをしたとタエさんから聞いた。

 それでも和蘭陀に行けたことに後悔は無かった。もしも俺があそこに行かなければ彼女との出会いは一生なかっただろう。そして俺が画家を目指すこともまた無かっただろう。そう考えると実に良い体験ができたものだと思える。

「清郎様?どうしましたか、心ここにあらずと言った感じでしたが」

 すると急にウメが俺の顔を覗き込むようにして顔を近づけた。そのおかげで自分が深く考え込んでいるのだと理解し「すまない」と言い画を机にと立て掛けて過去を思い出すかのようにして言った。

「これは俺が描いた画だよ。マセガキだったあの頃も今と大して変わらず画が好きでな、その画は父が八歳だった俺を和蘭陀にと連れて行ったときに描いたんだ。確か題名は【屋根裏の魔女】だ」

「そうなんですか、やはり清郎様は画がお上手ですね。それにしてもなぜ題名が【屋根裏の魔女】なんですか?」

「そう彼女が願ったんだ。だから【屋根裏の魔女】だ」

「彼女って、モデルの人ですか?見たところ子供ですが」

「当たり前だ、俺が八歳の頃に父さんに和蘭陀に連れて行かれた時に描いたやつだからな。覚えているだろ、お前が大泣きした時の頃の」

 そう言うとウメはその時のことを思い出したのか、顔を俯かせ「そうでしたね」と言った。ウメの気持ちは分からぬくもなかった、自分が大泣きしたころの話などとても他人に知られたくないものだ。だから俺は少し意地悪をすることとした。

「タエさんから聞いたぞ、なんでも俺が居なくて寂しくて泣いたんだってな。そんなに寂しさかったのか?」

「その話はやめてください、恥ずかしいんですよ。それより、もしよろしかったら清郎様が和蘭陀へと初めて行った時のこと教えて下さい。清郎様が訪れ、留学しに行く場所気になります」

 ウメはすっかりといつもの、正確には昔のような元気があり、俺にとっては同じ年の妹みたいな親しみのある口調と和らかさにと戻っていた。今でこそはこうであるが俺に初めて会った時は口どころか顔を合わせようともしなかった。

 過去の話、今ではただの思い出話であり他人に話すのははばかれるがウメになら話しても問題は無いだろうと思い「長くなるが」とあらかじめに長くなることを前提にしてそれでも聞きたいのかを聞いた。

「そうね、私も聞きたいわ清郎。ウメ、私も同席してもよろしいかしら」

 するといつの間にか、突然と母さんが長椅子にと座りこちらを眺めて言った。ウメは慌てて母さんの座っている長椅子にと近付き言った。

「奥様、体は大丈夫なのですか!?それと、いつからここに?」

 すると母さんはウメにと微笑み「うふふ」と小さく笑い言った。

「大丈夫よウメ、今日は体の調子が良いみたいなの。それと清郎、長くなるならウメと私の分のお茶と菓子を持ってこさせるからそれまで待ってもらえる?」

 母さんは生まれつきかどうか分からないが体が弱い。そのため俺が子供の頃からも母さんが家を出た姿を見たことが無かった。それどころか俺自身でさえ母さんがどれだけ体が弱く、その弱さが命の危機かどうかも分かっていない。それどころか俺の知っている範囲では母さんは俺やウメの前ではいつも明るく振舞っている。そのためウメが慌てる理由も分かる、そして母さんの行動がいつも通りだと言う事も俺には分かった。

「分かった。どうせ俺の話だけだと途中でつまらなくなると思うからそれでいいよ」

「あら、そうかしら。私は清郎の話が好きよ、あなたがまだ小さかったころは楽しそうに母さんに色んな話を聞かせてくれたでしょ?」

「だからだよ、母さん。この話はできるだけ他の人には話したくないからさ」

 それは母さんとて例外ではなかった。この話を聞けば母さんはきっと俺のことを心配、あるいは和蘭陀に行かせることを急かすかもしれないからだ。そして最悪このことを父に話してしまえば俺はきっと父にからかわれてしまうだろう。何故ならば父はそう言う人なのだからだ。そのため俺は一つの条件を付けることとした。

「その代わりこの話はウメと母さんだけに話す。他の人に話すのは絶対に禁止だ、いいな?」

 そう言うと母さん頷くでも「分かった」と言うでもなく小さく笑い微笑んだ。一方のウメは威勢よく「はい」と言い今からでも聞きたげな顔を俺にと向けた。

 俺はあの頃の、八歳の時に父に連れられ訪れた和蘭陀の話をするためにここに運ばれてくるお茶と菓子を待つことにした。

 明治三十年。それは暖かい風の吹く日の事であった、俺は父の「面白いところに行こう」と言う言葉に釣られ、好奇心で父と共に旅に出ることとなった。その時はまさか旅先が和蘭陀にとなることは思いもしなかった、それどころか海外に行くこと自体が思いもしなかったため日本を出る船に乗った時はとても心が躍る思いであった。

 この歳から俺は既に和蘭陀語に関してはたどたどしいところはあったものの喋ることができた。それどころか読み書きもできたためあっちにと行った時はそこまで問題は起こらなかった。そもそも和蘭陀ではあまり現地の者とは喋らなかった、その理由はこの後のことで分かるためここではまず述べないでおこう。

 蒸気機関の走る音を聞きながら俺は列車の外の風景を窓越しに見ていた。外の風景は実に明るく、草原の緑が太陽の光をこれとばかりと照らしており、草は風にと吹かれて踊っていた。その風景は日本ではまずお目に掛かれず俺はその様子を必死に目にと焼き付けていた。

「どうだ、清郎。お前もこの風景に気に入ったか?」

「うん、やっぱり日本と違ってとても壮大だね、父さん」

「それが分かるとはいいぞ。和蘭陀にと着いたらまず初めにチューリップを買おう」

 対峙するように座り、俺の頭を撫でているのがまさしく俺の父だ。職業は医師なのだが副業として小説を書いている。そのためなのか和蘭陀にとやって来たのはなんでも和蘭陀についての小説を書くために来たらしい。そしてそれに巻き込まれた、あるいは付いて来たのが俺だ。

「ちゅうりっぷ?父さん、それって何なの?」

「あー、そうか日本ではそうは言わないからな。ぼたんゆりだよ、赤色から黄色や色とりどりで綺麗なんだよ。気になるだろ?」

 綺麗と言われて俺はすっかりそのぼたんゆりと言う花が気になり今にも着かないかと思いながら「見たい」と目を輝かせた。そうして再び俺は車窓の風景にと目を移した。するとさっきまでは見られなかった建物が見えた。その建物は細長く、てっぺんには羽のような細長い物が十字を書くように四つあり、その十字の羽は弧を描くように回っていた。それが一体何なのか知りたい俺は窓の外の風景に立ついくつもの建物を指さして父にと聞いた。

「父さん、あの細長くててっぺんに何かが回ってるのは何?」

「あれは風車だ。水車は水で動くがあれは風で動いてるんだ、あれが見えてくるってことはそろそろ目的地が近いってことだ。準備しておけよ」

 そう言うと父は足元にと置いてあった荷物を持ち上げて隣の椅子にと置き、帽子をかぶった。俺もそれに合わせるように足元に置いてあった荷物と共にここに来るまでに父に買ってもらった西洋式の画帳、スケッチブックと言う物を手にした。

 あまりにも大切そうに持ち上げたのか、父はにやついてスケッチブック見て言った。

「そんなに嬉しいか?列車に乗る前に独逸で買ってやったそのスケッチブック」

「うん、日本の画帳と比べたらこのスケッチブックの方が全然使いやすいよ」

「ふぅ、まったくマセた野郎だ。この歳でスケッチブックやら西洋の物に興味が沸くんだ」

 そう言い父は腕を組んでさっきまで俺が見ていた外の風景にと目を向けた。

 そうして俺も父と同様に外の風景を見ていると走っていた列車が駅にと着いた。するとここが目的の場所なのか父は椅子から立ち上がり「行くぞ」と俺を見下ろして言った。それに相槌を打つように「うん」と言い父と同様に椅子から立ち上がり父の後ろを歩いて後を追った。

 駅を出ると父は誰かを探すかのように辺りを見回しているとこちらにと近づいて来る男が見えた。男は見るからに和蘭陀人であり、明らかに現地の者だと分かった。すると父もその者の事が見えたのか手を振った。父はその者と握手をし、まるで久方ぶりの友人に会うかのように接して悠長な和蘭陀語で言った。

「久しぶりだな、パスカル。あれからどうだ?」

「あぁ、絶好調だ。診療所も上手くいってるよ、それでこの子供は?」

 俺は和蘭陀語で喋る二人の会話を聞き、二人が友人、又はそれ以上の関係だと言う事が分かった。

「俺の息子だ。ほら挨拶しろ清郎」

 そう父に促され俺はパスカルと言う男にお辞儀をしておどおどしながらも和蘭陀語で言った。

「林清郎です。こんにちは」

「おぉ、たどたどしいところはあるがしっかりこっちの言葉が喋れるじゃないか。俺はパスカル、シンタロウとは古い友人でな、こいつがここに留学しているときに良くしてもらってな。せっかくこっちに来たわけだから馬車で乗せてってやろうと思ってな」

「そうなんですか、ありがとうございますパスカルさん」

 俺は深くお辞儀をして言った。すると父はその行動が気に食わなかったのか軽く俺の頭を殴り、俺を見下ろして言った。

「このマセガキが。そう言うとこなんだよお前は、子供なんだからそうかしこまった素振りするんじゃねぇ」

「いいじゃないかシンタロウ。俺は気に入ったぜ、それどころか俺の息子にも見習って欲しいくらいだぜ。さあ、行こうぜ、あっちに付くのが遅れちまう」

 そう言うとパスカルは俺と父を馬車の所に案内してくれた。

 馬車と言ってもその馬車は簡素な物であり、馬一頭の後ろに木で組まれた軽い荷台のような物が繋がれており、屋根は無かった。それどころか座る所はまるで藁で敷かれ座布団のようなそんな感じのようであった。

 パスカルは先に荷台の先頭にと座り、馬をなだめて「乗っていいぞ」と言った。俺は先に乗った父の手を借りてその荷台に乗り藁の上に座った。

「すまないな、田舎だとそんな豪勢な馬車は用意できないからよ」

「気にすんな、俺が住んでいる方も田舎でそんな感じだ。それに豪勢な馬車に乗る日本人の大半は西洋の物を猿真似するしか能の無い奴だ。それより出してくれ」

 そう父が言うとパスカルはそれに応じるように「おう」と言い手綱を引いて馬を動かした。

「父さん、今からどこに向かうの?」

「ん、言ってなかったか?ヒートホールンだ。河川が多いところで気温も暖かくて住みやすいところだ。とは言ってもあくまでそこで宿泊するだけであって俺は街の方に行ったり色んな所に行く。お前はその間できるだけヒートホールンの所にいろよ。でないと俺の仕事が進まないからな」

「じゃあ、ヒートホールンでならどこに行ったっていいんだね?絵も描いていいんだね?」

「まあな、日が入るまでに帰ってこられるなら基本的どこに居たって構わねぇ。それに、ヒートホールンなら船を使わない限りは迷子にならないだろ。だろ?パスカル」

「そうだな、その年でこっちの言葉が使えるんだ、例え迷子になったとしても現地のもんに道を聞けば大丈夫だろう」

 そう言うと父は「だそうだ」と俺の方を向いて言った。その態度が俺を小馬鹿にしているように聞こえたためか俺は適当に「あっそう」と相槌を打った。

 そうして馬車に乗り揺られることどのくらい経っただろう。少なくとも三十分以上は経っただろう。体感では大体そのくらいであった、景色は一風して周りには河川が多く見え、その河川沿いには煉瓦でできた家が並んでいた。俺はその風景に目を奪われ、歓喜の声を漏らしていた。その様子にパスカルは自慢するかのようにして話はじめた。

「ヒートホールンの大半の移動手段は船だ。陸で対岸側に移動する場合は橋を使えばいいから船が使えなくとも安心だ」

 パスカルは船を使えない俺を気遣ってなのか、橋を使えば対岸にと移動できると教えてくれた。そのためかよくよく見るとさっきから至る所に橋が見えた。そしてこの瞬間俺の心には二つの欲望が生まれた。一つは船に乗りこの河川を移動したい、二つは早くこの風景を画にしたい、であった。初めての異国の地、日本ではお目に掛かれない文化、それらを前にして俺の欲望が高まりつい言葉にとしてしまった。

「父さん、船に乗ってみたい。そして色んな所に行ってみたい」

「はあ、何言ってんだ?俺は仕事で来てるわけであって遊びに来たわけじゃねえんだぞ、そりゃあできたら俺ももう一度船に乗りたいが我慢してるんだぞ。お前も我慢しろ」

 父も気持ちは同じ、そうは言うものの俺の欲望は抑えられるものでなく顔を膨らませて父の顔を見た。一方の父はお構いなしにすました顔をしていた。その様子に見かねてかパスカルは俺の方を見て苦笑を浮かべて言った。

「俺で良ければ暇な時があれば船に乗せてあげるがどうする?なにせ船の操縦をシンタロウに教えたのは俺だからな」

「本当ですか、だったらぜひお願いします。あと、その時は絵も描きたいので鉛筆とスケッチブックも持って行ってもいいですか?」

「ん?別に構わないがお前さん絵を描くのが趣味なのか?」

「ああ、そうだパスカル。ガキのくせにこいつ絵を描くのが趣味でな、家に居るときなんかはいろんな物を模写してたりするからよ、旅先でも常に鉛筆やらスケッチブックとかを持ち歩いてるんだ。笑えるだろう?」

 またしても父は一言余計に俺のことを小馬鹿にした。これには流石のパスカルも何か言うだろうと思ったが、笑うどころか驚いた口振りで俺の事を褒めてくれた。

「その年ごろで模写とかをするなら将来は凄い絵描きになるだろうな。画家とか目指してるのか?」

「まだ決めてないけど、画家って絵を描く仕事なの?」

「まあ、そうだな。せっかくオランダに来たんだから帰るまでにフェルメールの画を見たらどうだ?フェルメールはオランダが世界に誇る画家だ、それはそれは凄いんものだ」

 当時の俺は他者が描く画など気にも留めていなかったためそれがどのような画家なのか知らず、この間の滞在にフェルメールの作品は最後の最後まで目にしなかった。そして今ではそのフェルメールがどれだけ偉大で素晴らしいのかを理解できる、そのためどれほど後悔したかは言葉に表せないほどである。

「さて、着いたぞ。手頃でいいって言われたからそこら辺にありそうでそれでいて安い空き家を借りた。とは言っても、シンタロウならこの家がどのような家かは分かるはずだが?」

 パスカルは荷台から降り、苦笑いを浮かべて父の方を見て言った。すると父もパスカルの後を追うように降り、懐かし気にその家を見た。俺も父につられるかのようにして荷台から降り、父が懐かしそうに眺めている家を見上げるようにして見た。

 家は二階建ての西洋を際立たせる三角の煉瓦屋根、そして屋根には小さな四角い煙突がある。まさしくそれは正しき西洋の形をした家であった。

「まさかまだ空き家だったとはな。いいか清郎、この家は俺が和蘭陀に留学していた頃に住んでいた家だ、うちの別宅とは違って正真正銘の西洋の家だ」

 過去に父がこの家に居た事なぞお構いなしに俺はその家に魅入っていた。これこそが本当の西洋の家、日本が猿真似をした家。確かにこうして見ると明らかに日本にある西洋式の家とは何かが違う。そして魅入っていたため俺はただただ「すごい」との感想しか浮かばなかった。

「なあシンタロウ、お前の家ってこっちの方面の家に似せて作ったのか?」

「別宅がな。元々は武家屋敷だったんだが使用人が火元の確認を怠ったせいで火事になって全焼したんだよ。それをきっかけに、いっそのこと建て直すなら西洋のお屋敷にしようって案を出したんだよ」

「そうなのか、それでお前の家は西洋のお屋敷にしたわけか。お前の結婚相手何者だ?西洋のお屋敷に建て替えれるだけのお金を持ってることはさぞやいい育ちの者なんだろ」

「そうでも無いさ、ただの名門の者なんだよ。それに建て替えする時に掛かる費用の三分の二が俺の金だからな。建て替えるのは勝手だが西洋にするなら費用は全てお前が払えとカミさんから言われてな、その後に妻が少し援助してくれたんだ」

 今考えてもとんでもない話だ。全焼した武家屋敷を異国の屋敷に似せた西洋の屋敷にするなど無茶苦茶である。お金や大事な書類は全て金庫に入れていたためそこまでの損害はなく、すぐにでも建て替えができるにしても西洋にする意味は無かっただろうと今でも思うくらいである。

「じゃあ俺はこれで。鍵は事前にポストの中に入れてあるからそれを使ってくれ」

 そう言うとパスカルは乗ってきた馬にと乗り、俺たちを置いて行ってしまった。父はパスカルを見送るかのように手を振った。もちろん俺もそれに合わせるようにお辞儀をして見送った。そうして暫くすると父は「行くぞ」と言いポストにと入っている鍵を取り家の中にと入って行った。俺も父の後を追うように家の中にと入って行った。

 家の内装はとてもシンプルかつ日本とは当然違う。その違いは蛸か烏賊の違いと同等のように違っていた。まず一つ、土足であった。このことは以前から本で読んだことがあるため知っていたが実際に目にすると実感がある。そして一つ、窓と言う物がある。これは家のお屋敷にもあるがこれはやはり違っていた。なにが違うかと言うと硝子の質であった。硝子職人ではないため偉いことは言えないが俺はどちらかと言うと日本よりもこちら側の方がとても好きだ。後は言うまでもないが椅子とテーブルがあった。

「基本的に俺は屋根裏の部屋を書斎として使うから入ってくるなよ」

 父は荷物をテーブルにと置き、テーブルに置いたトランクから仕事道具である紙とペンを手にして言った。この時俺は屋根裏と言う存在を知らず、屋根裏と言うのは一般的にただの資材置き、倉のような所と言う印象しかなくとても作業や仕事ができるとはイメージしにくかった。そのため俺は特に気にする素振りもなく、素っ気なく「あっそう」とだけ言い、自分のしたいことを成すために余計な荷物を全てテーブルにと置き鉛筆とスケッチブックを手にして家を抜けて行った。

 この時の俺の心にあったのは早く異国の地の画を描きたいとの高揚とした気分であった。そのため俺は父が何かを言おうとしていたことなど気にも留めず駆けていた。ただただ何処かいい風景は無いかとの思いで周りの事なぞ気にもせず辺りをきょろきょろと見回し、探りながら。

「ここら辺が良いかな」

 俺は良さげな場所を見つけ、腰を下ろし独り言をぼやいた。俺が決めた場所は河岸な場所であり、対峙する対岸の奥には今日父に教えてもらったばかりの風車があった。それ以外にも風景としてもバランスがとれておりとても的確な場所であった。

 その風景にすっかりと心奪われた俺は早い手つきでスケッチブックを捲り、まだ何も書かれてない空白の頁に鉛筆を入れていった。いつもとは違った風景に少しばかり手こずりながらもその手は止まることなく、迷いなくすらすらといつものように手が動く。例え風車の羽が動いていたとしてもそれは風に吹かれてうごめく木々のように停止した形を想像して描くことによって段々と形は出来上がっていく。

 そうしてどのくらいが経ったことだろう、画の進みが三分の二になったくらいに隣に誰かが来る気配がした。横目で誰が来たのかを見てみると、そこには長く金色の髪をなびかせて長い髪で片方の目を隠した俺と同じくらいの少女が俺の書いている画を眺めながら隣に座ったのだ。見たところ服装はそこらの者たちが着ているものとさほど違わず、この辺りに住んでいる者だと思える。俺は何故見ず知らず、それどころか異国の者である俺の隣にと平然のように座ることが気になり「なにか?」と聞いた。すると彼女は驚いた風にして言った。

「こっちの言葉が喋れるのね、驚いたわ。どこから来たの?」

「日本。和蘭陀語は子供の頃から習っていたから読み書きなら余裕、会話はたどたどしいけど」

「そうかしら、あまり違和感は無いわよ。私はメリッサ、あなたは?」

 ぐいぐいとこちらのことを探って来る彼女に対して警戒心ができたが彼女が名乗ったのであれば名乗るのが礼儀であろう。俺は最低限の自己紹介を彼女にとすることとした。

「林清郎、こっちの方ではショウロウ・ハヤシって言うのかな?」

「ショーロウ?ハヤシ・ショーロウでいいの?」

 やはり和蘭陀では日本の名前がそのまま伝わりにくく、彼女にはショウロウではなくショーロウと聞こえたらしい。自分で言うのもなんであるが清郎と言う名ははっきり言ってしまうと自分でも言いにくい、そのため彼女が俺の名をショーロウと聞こえたのもさほど気にせず画を描き続けた。本来であれば、今まで通りであればほとんどの子供は他人の書いている姿など面白くもなく去ってしまうのだが彼女は不思議と去らず、その場に居座り俺にと再び語り掛けてきた。

「ショーロウはどうして絵を描くの?」

「それは、好きだからだよ。他の子どもはほぼほぼ絵描きなんかよりも体を動かす方が好きらしいけど俺は絵の方が好きなんだ、だから俺は絵を描く。君はどうして俺に話しかけてきたんだ」

 本来であれば他人には興味を持たず、聞かれたことにだけを話すだけなのだがこの時は自然と彼女について聞いていた。なぜ彼女は自分を見つけ、話しかけてきたのかをこの時の俺は知りたかったのだ。

 彼女は河岸の上側を向き、河川の丘にと建つ一件の家を顔で指した。俺は彼女につられるかのように鉛筆を置いてその方向を見た。

「あそこが私の家なの。丁度屋根裏が私の部屋だから、窓から顔を覗かせていたらあなたが絵を描いてる姿が見えてつい声を掛けてみたくなって」

「俺の父さんも仕事場として屋根裏使うからとか言ってたけどこっちでは快適な部屋なのか?」

「私は好きよ。こじんまりとしてはいるけど何か物思いにふけったり、一人になるときには丁度いいかも。それに、屋根裏の窓から顔を覗かせると風が当たって気持ちいいんだよ」

 彼女の言う屋根裏のことを聞いていると段々と今まで思っていた屋根裏の考えが変わってきた。もしも彼女の言うことが正しければ父が仕事場として屋根裏を選んだのも納得であった。小説を書く仕事についてはそこまで知らないがいつだろうか前に父は書く環境が大切だと言っていた。そう言う所にうるさい父のことだから屋根裏と言う部屋は人によりけりだが快適なのだろう。

 俺は再び鉛筆を手にして画を書き始める。何かを描くことが好きな自分は人が横に座っているのにも関わらず一人自分の世界にと入り込んでしまい、黙り込んで鉛筆を動かしていた。その事に気付いたのが画を完成させた時であった。俺は慌てて彼女がいるである場所を振り返って見た。案外と彼女はそこにおり、俺の方を不思議そうに見て「どうしたの?」と言った。

「いや、丁度書き終わったんだ。後はこれを見本に絵の具で描くんだけどそれは日本に帰ってからかな。それと、見ていてつまらなくなかったか?」

 すると彼女は頭を傾け、不思議そうに俺の方を見つめて「べつに」と呟いた。予想外の返答に俺はつい「え?」との情けない声を漏らしてしまった。

 メリッサは風でなびく髪の毛を手で押さえながら立ち上がり、向こう岸の風景を眺めるようにして言った。

「だって見ていて楽しいんだもん。私はショーロウみたいに絵なんて上手く書けない、だからショーロウがすらすらと風景を描くところが面白くて見ていて飽きないもの」

「そうか、そうなのか。なんだか照れるな」

 俺は立ち上がっている彼女同様に立ち上がり、照れ隠しのつもりなのか、むしろ照れていることを示しているかのように頭をかき彼女から顔を隠すようにした。すると彼女は俺の方にとぐいぐいと寄るようにして言った。

「ねえ、もしもでよかったらさ、またショーロウが絵を描く様子を見てもいい?」

「べつに、いいけど。俺がどこで書くかなんて分かるのか?」

「分からない、だからショーロウが私を呼んで。基本的に私は家の屋根裏に居るから大声で呼べば出てくるから」

 本来であれば静かに誰にも邪魔されずに一人で書きたいが、彼女であればそこまでうるさくもせず問題はないだろう。さらに、現地の者がいれば異国から来た自分が知らない画にするのにいい場所を知っているだろう。それに、たまには誰かに見られながら描くのも悪くないだろうと思い俺は快く「分かった」と言い承諾した。

 その後彼女は「そろそろ帰るね」と言い、丘の上にとある家にと帰って行ってしまった。その様子を見て俺もそろそろ頃合いかと思い元来た道を辿って家へと戻った。

 和蘭陀で寝泊まりするための家にと着いた俺は「ただいまー」と元気よく玄関の扉を開けて入って行った。その様子がいつもに増して元気そうに見えたのか父は不思議そうにして俺を見つめて言った。

「やけに元気だな。何か嬉しいことでもあったか?」

 そう言われると自分でも改めて自分が嬉しがっていることに気付く。自分でも分からない気持ちとなぜ嬉しがっているのかが分からない俺は笑顔で「分からない」と答えた。その返答に父は更に不思議そうに呆けた顔で「はぁ?」と俺の顔を見て溜息を吐くようで、それでいて気に掛けるようにして言った。

「分からないってことは無いだろう。どうせまたいい絵が描けたとかそんなところだろ?」

「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。何か少し違うかもしれない」

 確かにいい画は書けた、だけどその気持ちとは少し違う気がした。もしもそうだとしてもいつも通りの満足感でここまで表に出ることは無いだろう。ならば考えられることは消去法的にあれだけであった。誰かに見られる、自分が描く様子が面白いと言ってくれたことへの満足感に似た何かだろう。しかしこの時の俺は愚かながらもそこまで考えが至らず、それどころかそんな事にも気づかず「分からい」で済ましたのだ。

「まあいいや。それと父さん、明日は朝頃から絵を描きに行こうと思ってるんだけどいいかな?」

「べつに構わん。朝言ったようにヒートホールンから出なきゃ何処に行ったってどうだっていい」

「分かった。それと、和蘭陀にはどのくらいのあいだ滞在する予定なの?」

「滞在期間か、特に考えてないな。仕事の進み具合を見て分かったら言う、それでいいな?」

 あまりにも無計画。とは言っても小説の仕事なのだから物が完成するのは始めからは分からないだろう。画もそうだ、すぐに完成する物もあれば時間もかかる作品もある。とにかくは気長に待つに越したことは無い。そう思い俺は「うん」と頷き自分の寝室にと向かった。

 寝室は実に簡素なできであり、ベッドと西洋式の机と椅子だけがある部屋であった。自分的には何の不自由もなく、むしろこれくらい簡素な方が落ち着く方であった。

 ふと自分の荷物を居間にと置いたままのことを思い出した、しかしそれも束の間であった。なぜならその荷物がよくよくと見ると机にと置いてあったのだ。きっと父がやってくれたのだろう。そうであれば実の父に荷物運びをやらせたことになる、そのことがどれほど不味いのかは理解できる。その事がすぐに理解できた俺はこの日俺は父と顔を合わすことができなかった。

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