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歩く人魚

作者: キナ子

 足取りがおぼつかないのはただ周囲がきっと薄暗いせいなのだ。私はなんとか重たい足を持ち上げて、目の前に広がる青に手を伸ばした。周囲の話し声がひどく煩わしくて、前へと進むことが少し億劫に感じた。それでも私の足は、私の意思に反して故郷に焦がれるように吸い寄せられていく。

 

 気付けば見えない壁に鼻息が当たるぐらい近くで、私はその世界を覗き込んだ。空より蒼い空を飛び回る彼等たちを。自分のペースで悠々と上下に進むモノ、集団で行進するモノに私は羨ましさを感じていた。違う生きモノのはずなのに、私もそちら側で生きたくて仕方がなかった。ここは息をするにしても息苦しいから。呼吸は出来るはずなのに、水族館に来るたびに時々私は何か自分が人間ではない生きモノだとしみじみ感じていた。


「大丈夫ですか?」


「えっ……」


 側に顔があった。とてもお綺麗で整った顔立ちの男性がしゃがみ込んでいる。なぜそのような体勢をとっているのかといえば、私が座り込んでしまってたからに違いなかった。


「立てますか?」


「あ、はい。大丈夫ですので、気にしないでください」


 その人だけではなく、沢山の視線がこっちに集まっているのに私はふと気付いた。余計に恥ずかしさで頭がいっぱいになり、早く離れてしまおうっと足に力を入れる。だが、立つことがままならない。まるで歩き方を忘れたかのように体はいうことを聞いてはくれない。


 あれ、どうやって立つんだっただろうか。そもそも、私は二本足で立っていたのだろうか? ちゃんと人間をしていたのだろうか? 自問自答を繰り返す私に青年は困ったように笑う。それから、彼は何も言わずに私に手を差し伸べた。彼の手のひらをじっと眺めていると、彼は「手を取っていただけますか、人魚姫?」なんて歯に浮くようなセリフを吐くのだ。私の頬は真っ赤な茹で蛸のように赤く染まってしまっていただろう、顔の温度が一気に上昇した気がした。そう分析をしていた時には、まるで息を吹き返したように、出口へと駆け出していた。



 翌週、私は先週訪れた水族館に顔を出していた。あの時の青年が何故か頭から離れなかったからだ。もしかしたら会えるかもしれない、淡い期待を抱いて、あちこち見て回る。判然としない視界の中、ある人の輪郭を捉えては首を振り、また違う人へと目を向ける。だが、あのお綺麗な顔の人物には巡り合えない。それも当然だと心の中で分かっていたことなのに、何故だか落胆してしまう。


「貴方はもしかしてあの時の……」


 背後から聞き覚えの声に、私は勢いよく振り向いた。彼だった、あのお綺麗な顔をした彼がそこに立っていた。

 


 彼とはすぐに意気投合した。

というのも彼も水族館が好きで、考え方や価値観がよく似ていたからだ。その上、彼は気さくで話し上手な人だったから、一緒にいてすごく楽しかったのだ。彼に惹かれるのにそう時間はかからなかった。  


 この頃には私は人間で、違う生きモノだと疑うことはなかった。毎日が色鮮やかで、この生活に息苦しさを感じることはなかったのだから。

 好き、その一言気持ちを伝えたい。けれど、私にはそんな勇気がなかった。だってこのとてつもなく心地の良い時間が壊れてしまうのが怖かった。新しいものを作るには時には壊すというリスクを負わなければならないのかもしれない……だけど私にはそれは出来なかった。私は彼とずっと一緒に居られるならそれで良い。

 

 彼があることを口にするまでは、そう思ってた。


「僕、実は恋人が出来たんです。貴方と似てるところもあるのできっと気に入りますよ。今度紹介しますね」


「えっ……そ、そうなんだ。お、おめでとう。うん、また機会があるなら是非紹介して。絶対可愛いんだろな」


 そんなこと思ってないのに、大人ぶって泣き叫ぶことなんてしなかった。その一言に胸が痛かった。それでもこの関係を消し去りたくなくて、彼との交流を続けていた。会うたびに彼が幸せそうに見知らぬあの子のことを語るせいで、私は呼吸の仕方を忘れてしまった気がした。この身を何処か彼から遠い場所に投げ込んでしまいたいぐらい、辛かった。


 このまま泡になれたらいいのに、海は私を迎えに来てはくれなかった——それはきっと私が人間だったから。


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