夢のキャンパスライフに訪れる悪夢
我が名はロミオ
そう、あのロミオだ
世紀の天才と謳われたシェイクスピアの
その作中に現れる
勇気ある王子さまである
美しきジュリエットを愛し、愛され
その物語は世界中の人類を魅了し、
今なお語り継がれる
その美しき物語の主人公
それが私、ロミオなのだ
と、
いつも自分で自分を励ます日々も飽きてきた
私の名前は「ミオ」
「野呂美桜」
だ
美桜という名は、女っぽいとよく言われるが
私は男だ
乙女を愛し、乙女に心惹かれる
ただの大学生だ
大学生といっても
大学に行った記憶なんてほとんどない
私が大学に行ったのは
片手で数えられる回数だ
初めて大学に通ったのは
入学式のとき
母親にきっちりとネクタイを締めてもらい
ビシッとスーツを決めて
美しき、青年の瞳を輝かせ
夢のキャンパスライフに一歩踏み出したのである
当時の私は
自分に自信を持っていた
なぜか、大学に受かってから
大学に入るまでの猶予期間で
自己啓発本の類を漁りまくっていたとき、
当時出会った一冊の本
この悪魔の本に
自分に自信を持つべきと書いてあったのが
ことの始まりであった
本の名は覚えていないが
その本が今後の人生を大きく変えるはずだと
心に響いてくる
そんな力に満ち溢れたものだった
その力に満ち溢れた本に出会い
目次を舐めるように何度も読み
その本に書いてあった
真実がそうでないかわからないような
胡散臭い言葉を
隠れて暗唱していたのである
私はその言葉を信じることで
ある意味生きる指針を見つけようとしていたのかしれない
高校時代、中学時代から
闇の中に生きていた私は
大学合格を偶然の産物として手にし
私を心から罵倒していたであろう
あの愚かな破廉恥どもに優越感を感じ
そして、一気に沸点まで上り詰めた
私の自尊心は
私を書店の自己啓発書コーナーに連れて行き
あの悪魔の本の元へ連れていったのである
何度もいうが
私はあの本の名を知らない
ネットで検索しても出てこない
そんなことがあるはずもないが
その自己啓発本に書いてあった
ワンフレーズワンフレーズを、検索窓に打ち込んでも
答えは出てこないのである
今では、あれは神からの思し召しではないのか?
と勝手に都合の良い解釈をしているが
だとしたら、私の今の現状は一体どういうことだろうか?
なんと私は
23歳にもなりながら
大学に一切通うことなく
童貞のままで
世間一般からいえば
ニートという存在になってしまっているではないか!
しかし、ここで1つ主張したいのは
私はニートではない!
ということだ
私は学生である
部屋から出られない私は
母親のお力や
インターネットというテクノロジー
そして、教務課の優しきおばさんの力によって
学生という地位を守り抜いてきた
毎年訪れる
学生権剥奪のメールが
私にとって最大級の解決すべき課題であり
今なおその恐怖には怯えて生きている
私にとって学生という身分が
大した意味を持たないと思うのであれば
あなたの身分を保証するものが奪われると考えてみてほしい
主婦か?
学生か?
サラリーマンか?
この四畳半の世界に君臨する王である私は
自らの証明に使える言葉が
学生しかないのである
私はニートになりたくないのである!
そして私がニートになった原因とはまさしく
私の心を撃ち抜いた
美しき乙女の
霞咲さんだ
彼女は私が初めて大学というものに顔を出した時
私に初めて声をかけてきた
彼女は基本的に人に興味がない
興味を持とうと努力をしたこともない
そんな孤高の人格者である
そんな彼女が私に話しかけてきたのも
決して人恋しさ故ではなかった
私という人間を見て
私の持っていたその邪悪な魂を毛嫌いすることはなく
浄化することもなく
ただひたすらに、自分の目的を達成するためだけに
「トイレはどこですか?」
と聞いてきた
私に全く興味のないその雰囲気は別として
私を魅了したのはその美しき顔立ちとスタイルである
彼女は間違いなく
圧倒的に、私が出会ってきた数少ない女性の中で
最も私の心を射止めた人物なのである
「知りません」
と私が答えると
霞咲さんは、目的が達成できなかったからか
私に全く目もくれず、
隣の男に話しかけに行った
隣の男に目をやると
その男も女子トイレの場所を把握しているわけではなかったので
霞咲さんの目的を果たすことはなかった
霞咲さんが私と目を合わせてから
目を離すまでの時間
9.34秒
霞咲さんとその男が目を合わせてから
目を話すまでの時間は
10.27秒
曖昧な思考から繰り広げられる
正確な計算結果に
劣等感を覚えながら
私は自分が霞咲さんに心を奪われていることを知った
事実私の目は彼女を追いかけ続けていたのである
それから
私の人生に関わる大事件が起きる
悪魔の自己啓発本に書かれていた通り
私は私の心に鞭打つようにして
自信のある行動を心がけた
大学で初めて顔を合わせたクラスの同志どもに
気さくに話しかけに行くことにしたのだ
もともと私は人に話しかけに行くことなど
したことがないのだが
悪魔の自己啓発本の力は恐ろしい
初めて声をかけたのは
これまた、私の人生を大きく変えることとなる
夏川という男だった
「やあ、野呂です。野呂美桜です。ロミオなんて呼ばれていました。よろしく。」
自ら声をかけた上に
一度も呼ばれたことはないロミオというあだ名を濫用してやった
夏川は小さく頷くと
「よろしく」
と言った
「君は少し訛りが入っているね。出身は関西のどこかかな?」
「奈良です。」
「奈良か、奈良の大仏か。」
私は私なりに話を盛り上げるべく
わけのわからん言葉で時空間を埋めようとしたが
言葉の1つや2つで埋まるほど、時空間は狭くない。
「君の名は?」
「夏川です。」
「夏川くんか。関西から東京にやってきて、さぞ心もとないでしょ。
もしよかったら、このあと、観光しない?」
私なりの全力のお誘いに
この夏川という男はなんと出るか?
人を誘ったことのない私には
結果は全く見えなかった
受験を終え、合格発表の日まで悶え苦しんだ
あの10日間のように
彼の回答は遅く感じた
「ごめん、知り合いとこのあと出かける予定があるんだ。
誘ってくれてありがとう。」
隠して、私の初デートのお誘いは断られたのである
しかし、この男
こんなに卑屈で偏屈な態度を示しておきながら
私以外の人間と関わりを持っているとは
世の中広いものである。
夏川という男と別れたあと
くだらぬ手続きを終え
クラスの懇親会なるものに顔を出していた
懇親会の頃には
疲れ果てていたので
もうすでに声をかける力も残っておらず
ただひたすらに漫然と時が過ぎるのを待っていた
コカコーラを飲みながら、談笑に合わせて笑うふりをしていた
コカコーラを3杯ほどのみ
もう懇親会もお開きになろうとした時
「どうも」
そこに声をかけてきたのは
間違いなく、私の心を射止めたあの乙女
霞咲さんだった
霞咲さんはどうやら私と同じクラスだったようだ
なぜ気づかなかったのかと不思議に思った
まさか、今の今までトイレを探していた
なんてことはないだろう
とにかく、この霞咲さんとの時間を大いに楽しもうではないか
悪魔の自己啓発本も
効力を発揮してくれるかもしれない
私は自信に満ち溢れた態度で彼女に接することにした
「やあ、トイレは見つかったかい?」
「見つかりました。あの時はどうも。
私は霞咲です。霞咲樹里と言います。よろしく。」
「あ、野呂です。野呂美桜と言います。」
「ロミオ?」
「野呂です。下の名前が美桜。」
「珍しい名前ね。高校の時はロミオと呼ばれていたのでしょう」
はあ、この乙女は
私の妄想の中の世界を言い当ててくる
確かに私は、ロミオと呼ばれる高校生活を
思う存分楽しんでいた
無論、頭の中でだ
小学生の時に読んだ
シェイクスピアのロミオとジュリエットに没頭し
自らの名がロミオという名前に近いだけで
たくさんの友人からロミオと呼ばれ
そして、ロミオにふさわしい
立ち居振る舞いと、学業成績を納め、
たくさんの友達からロミオという愛称で呼ばれながら
ジュリエットと結ばれる
そんな妄想に耽っていた
現実は
野呂としか呼ばれたことはないし
友達もいないし
成績も振るわず
立ち居振る舞いは小汚いねずみ男を彷彿とさせるものであった
だが、この乙女は
私の妄想の中の高校生活をいとも簡単に当ててきた
私は歓喜した
「ロミオなんて呼んでくる人もいたなー。霞咲さんは?」
「私がなんて?」
「あ、いやー霞咲さんはなんと呼ばれていたのかなーと思いまして。」
「私は私ですよ。霞咲です。それ以外にありません。
私をあだ名で呼ぶことは許してきませんでしたから。」
「はあ。」
一体彼女は何を言っているのだろう
「それに私はロミオさんのように喜劇の中で生きることは好きではありません。
人が生きる道は虚構と現実とどちらも選べる中で
あなたは虚構を選んでらっしゃる。
それで良いとでも?」
ひどく饒舌に核心をついてくる彼女の発言に恐れおののいたが
私かてこの妄想の世界に住み続けて18年とそこら
妄想の世界が私自身に与えてくれた
人生の充実さに感謝していないわけではなかったので
反論させていただいた
「私かて、虚構のみに生きているわけではないが
あなたの信じる現実という世界が、虚構でないという証明はできない。
ハダカデバネズミも私もあなたも、現実を解釈して妄想に耽っているだけだ。
認識している時点でそれは虚構の一種ではないか?」
「面白いことを言いますね」
と彼女は初めて私に興味を持ったような目をした
その目に撃ち抜かれた私は
知的かつ繊細かつ、優美なる彼女のその心に
もっとお近づきになりたいと思った
彼女は本当に美しいのだ
「あなた面白いわ。
私と話ができるなんて。
私と話をする人はいつも首を傾げて何処かへ消えていってしまうのに。
あなたは強く意見を持っているのね。
男であることには変わりないのだけれど。」
「そんな風に言われるなんて嬉しいですね。
初対面の相手と話すことじゃなかったかな?」
微笑を浮かべ
彼女と意気投合した私は
その後、虚構と現実の違いについて
語りに語りつくしていた
懇親会も終わり、
二次会三次会と各々が自らの道を歩む中
私は霞咲さんと
一体となり、重ね合わさっていた
もちろん、知的な意見のぶつかり合いという意味で
時は20時
私たちはカフェで議論を重ねていた
議論は、あれやこれやと様相を変え
気づいたら、なぜ私が霞咲さんには見えて
霞咲さんは私のことが見えるのか?
という議論に至っていた
「しかし、ロミオくんはよく見ると芸術的な耳をしているわね」
「はて、そのように見えるということですか?」
「難しいことはいいのよ。飽きてしまったわ。
時には論理の壁を超えて、美しさにただ傾倒する時間も大切だわ。」
「確かに。
そしたら、霞咲さんは私の耳に美しさを感じたということですか?」
「なんとなくね。ロミオくんも私の美しさに傾倒していたでしょう?」
よくもまあそんなことを言えるものだ
「まあ、みんなそう言うだろう。
客観的に見て、霞咲さんは綺麗の部類に入るはずだから。」
素直に
綺麗だよ
なんて臭いセリフを言った瞬間に私は恥ずかしさのあまり
顔をマグマのように赤らめてしまい
今後の議論の主導権を握られてしまう恐れがあったので
一般大衆が感じる意見の代弁者としての役割を全うした
議論の論理なんて
感情の揺れ動きには勝てない
人は人だ
「まあ、素直じゃないのね」
私はまた、霞咲さんに見透かされた
議論の主導権を握るべく
左脳に頼りすぎたようだ
感情のコントロールもままならない
「私のような人ってね。私のような人にしか分からない悩みもあるのよ。
それが馬鹿馬鹿しいと思えても、それでも私には悩みなのよ。」
「はて、悩みとはなんぞや?」
「それを解決することがあなたの役目なのよ。
そんなことも分からないのかしら?」
「悩みの中身が分からないと、解決しようにも
分からないですな。力にはなりたいのですが。」
「実はね。あなたのような人ならって思えたの」
と彼女が悲しげに窓の外を見つめると
そこにある一人の男がやってきた
「君は、野呂くんだったかな?」
私は驚いた
まさかここであの陰湿な奈良出身の男に出会うことになるとは
夏川がそこには立っていた
夏川は言った
「霞咲さん?行きますよ」
「そうね」
霞咲さんは夏川が来てからもずっと窓の外を見つめていたのだが
声をかけられると、静かに視線を落とした
「ロミオくん、楽しかったわありがとう
少々議論の余地があるのだけれど
あなたには感謝しているわ」
「はあ、どうも」
彼女は一体、奈良男とどこへ行くというのか?
「霞咲さんはどちらへ行かれるのですか?」
「ホテルよ」
は?
どういうことか
20時17分32秒
この時間から奈良男とホテルに行くのか?
なんのために?
何しに?
私との有意義な議論を差し置いて
奈良男とそんなに大事な用事があるというのか?
この才女の考えることは本当に理解に苦しむものがあった
「あなた、何を勘違いしているの?」
私の慌てぶりに対して
彼女は依然として毅然とした態度を貫き
平然とした口調で話し始めた
「ロミオくん、女が男とともにホテルに行くことが
そんなにおかしいことかしら
私にはそうは思わないわね
なぜか、人は人らしさを消して動物に戻ろうとすることを恥じらうのね
それが人の傲慢とも言えるのかしらね」
「じゃあ、行こうか」
そう行って彼らは私の元から立ち去って行った
人間に興味がないのか?
それともあるのか?
私には理解不能だった
左脳で生きているのかと思えば
彼女の放つ言葉が全て右脳から導き出される
ひどく網羅的で複雑な何かに感じた
彼女は人間であるようで
人間でないようなそんな感じもした
知的な才女の裏には
過激な一面が隠れているのか?
私の興味は
ふつふつと沸き上がった
ふつふつと