謎の少女
「拾った……?猫では飽きたらず、人を……?」
頭を抱えながらディークリフトを見る。次第にその目が、冷たい光を放ち始めるのが自分でも分かった。
普通の人なら耐えられず、恐怖さえ感じてしまうものなのだが、この青年は普通ではない。
「誤解だ。正確に言うと、庭に落ちてきた。屋敷の前に墜落されたらさすがに嫌だろう」
「落ちてきたって、どこから?」
「知るか」
人が落ちてくるような場所は聖域にはない。
そもそも、この世界には特定の者しか入れない。ディークリフトが創ったこの場所は、外の世界と分離されている。
少女は、ベッドに腰をおろして二人の話す様子を伺っていた。レイよりも年上だろう、十四、五歳くらいか。意思の強そうな大きな目。腕には、背丈ほどの大きな何かがしっかりと抱えられていた。
「言葉が通じないんだ。だから頼む」
「……そういうことなら仕方ないね」
ため息をつくと、レイは少女の方へと歩みよっていった。
☆★☆★
(初めまして。オレは、レイ)
レイが少女に対して行ったのは、いわゆる念話だ。言葉が通じない相手や離れた場所にいる相手に使う事ができる便利なものだ。
案の上、少女は驚愕の表情で少年の目を見た。
(よろしく)
すかさず、少女に手を差し出す。
彼女はすこし躊躇したあと、手をしっかりと握り返した。少女のそれとは思えない硬い掌の感触に、少し驚いてしまう。
(君が倒れていたところを、ここの主が助けたみたいなんだよ)
言葉を慎重に選びながら、彼女にそう説明する。いきなり、あなたは空から落ちてきたのです、とは言わない。話が進まなくなる。
(そこにいる人が屋敷の主、ディークリフト。オレはディークって呼んでる)
(あの人が……?)
少女は青年を意外そうな顔で眺めた。
ディークリフトは子猫の肉きゅうをふにふにと触っているところだった。長い白銀の髪はいつも通り無造作に束ねられ、屋敷の主の厳格なイメージを崩壊させている。
だが、彼がだらしなく見えないのは、それ以上に美青年だからだ。黙っていれば精巧な彫刻か人形のようで、女性なら誰でも虜になってしまう。
しかし、少女は尊敬の目で彼を見ただけだった。まだ若いのに屋敷の主人なのか、と感心している程度の反応だ。
見た目だけで判断しない所は好感が持てる。
(君はどうして、あと、どうやってここに来たのか知りたいんだ)
(それが、分からないんです)
困ったように答える少女に、レイはそれほど驚かなかった。稀に、外の世界から迷い混んでくる者はいる。落ちてきた者はいなかったが。
そうだとしたら、この少女がとても不憫に思えた。訳もわからず、知らない場所で落下する……きっと、怖かっただろう。
(大変だったね……、オレが家まで送ってあげるよ。アレスティア王国の出身かな?)
(……)
(君、名前は?)
☆★☆★
結論から言うと。
少女は、いわゆる記憶喪失というものになっているらしかった。
「どうするつもり?」
ディークリフトに判断を促すと、彼は腕をくみ、荷物をぎゅっと抱きしめている少女をぼんやりと眺めた。
「記憶が戻るまでここにいるといいだろう。何か重大な使命があってここへ来たかもしれないからな」
それらしい理由を並べた後で、最後にぽつりと付け加える。
「……それに、こいつ面白そうだからな」
「……」
結局のところ、それが本音だ。
とにかく、大まかに今後の事が決まった。
(ディークは、君にここにいていいと言ってる。ただ、屋敷の掃除とか、いろいろと手伝ってほしい)
本当は特に困っていないのだが、ただ居候するというのも気が引けるだろう。
それに、仕事が分担されることでレイの負担も減る。
(どうかな?)
(はい、お願いします!)
(う、うん)
ぱっと顔を輝かせた少女に、ぎこちなく頷くことしかできなかった。
(これからよろしく、えっと……)
「ディーク、この人のこと何て呼んでいるの?」
「……名前か」
子猫の名前は考えていたくせに、彼女の事は放置していたらしい。
しばらく考えたすえ、ディークリフトは少女の方へとつかつかと歩き、彼女を見下ろす形で止まった。
「お前に、名前を与えよう」
少女は、長身で無表情なディークリフトに見下ろされても、全く動じる様子はない。
「ラスカ、だ。今日からそう名乗れ」
(君の名前だよ。よろしく、ラスカ)
少女は目を丸くして目の前の二人を交互に眺めた後、ゆっくりと口を開いた。
「らす、カ……」
言葉をほとんど発しなかったせいか掠れてはいたが、どこか力強さのある声だった。噛み締めるように何度も名前を呟くうちに、その表情は明るくなっていく。
(ありがとうございます!)
頬を紅潮させた少女は、くしゃっと子供のような笑顔を見せた。紅茶色の髪の毛が、さらりと揺れる。
ディークリフトは一つ頷くと、こちらへと視線を寄越した。
「話は決まったな。細かい話をする前に、まずは朝食にしよう」
「……そうだね」
答えを聞く前にさっさと部屋を出てしまう青年に、小さく肩を竦める。
日はすでに昇りきり、部屋の中を明るく照らしていた。
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軽い朝食をとりながら、三人はこれからの事について話し合う。ラスカは、二階の空き部屋を使うことになった。レイの部屋を使っていたのは、ディークリフトが倒れていたラスカを二階まで運ぶのが面倒だったため、一番近い部屋に放り込んだというところだ。
何とも迷惑な話である。
(ラスカ。場所を教えるからついてきて)
レイはラスカを連れて部屋まで案内することにした。後をついて来る少女の背中には、あの大きな荷物があった。
彼女は、肌身離さずこれを持ち歩いているようだ。
「ここがラスカの部屋だよ」
広いわけではないが、一人で使うなら充分だろう。聖域に広がる大きな森と、屋敷の庭がよく見える場所だ。
感嘆の声をあげる彼女に、レイは意を決して聞いてみることにした。
(ねぇ、ラスカ。その荷物って、何が入っているの?)
大きすぎる荷物が気になって仕方がなかったのだ。ずっと持ち歩いているところを見ると、大事なものなのだろう。
(これですか?)
ラスカは馴れた手つきでするすると荷をとくと、中身を見せる。中に包まれていたものは、ただ一つ。少女が大切そうに取り出したそれを、ただ茫然と眺めてしまった。
白銀に輝く、一振の大きな剣。
それが、薄汚れた布地の中から出てきたのだ。