桜
桜の季節になっても、花野はイギリスに発つことが出来なかった。線維筋痛症を癒した副作用のような苦痛が花野の身体を蝕み、起き上がることさえ困難にさせていた。ホテルのベッドに身を埋めて縮こまる花野の姿は胎児か、或いは長い冬を耐え忍ぶ為に冬眠する獣のようだった。
響が頻繁にやって来ては、そんな彼女の為に食糧を置いて行く。時々、苦痛を和らげる呪言を唱える。まるで巣に待つ雛鳥に餌を運ぶ親鳥のようだ。身内のような甲斐甲斐しさに、花野は救われていた。眠りの中でも、響の気配を感じるとほっと安堵する。起きた時にはもう、響はいないことが多いのだが、それでも花野はもそもそと置いてあったお握りやサンドウィッチを食べ、パックジュースなどから飲み物を飲む。
生きていると実感する。
花野の母は花療法士として極めて有能だったが、優し過ぎる性分ゆえに他の苦痛を抱え込み過ぎ、そして命を落とした。当時は彼女の死を悼む声と共に、花療法士としてあるまじきこと、という非難の声もあった。
雨の降る葬儀の日。
幼い花野の隣に、肩に手を置いて無言で響が立っていた。
響は一本の大樹のようだと花野は思う。
小さな命たちを憩わせる力を持つ。聡明で強健。
彼ならば引き摺られて命を危うくすることなど有り得まい。
それもあって本土の長も、響と花野を組ませたのかもしれない。
やっと痛みが和らいできて、起き上がることが苦ではなくなった頃、花野はホテル備え付けの浴衣から普段着に着替えて、外に出た。まだ、足取りはややふらつく。
春の陽射しを浴びて桜が咲いていた。
街路樹の桜が、丁度、満開だったのだ。
花野は首に巻いたストールを我知らず握り締めた。絹とカシミアの、柔らかな生地の手触りは、母の膝のようにいつでも花野を和ませる。桜は折からの強風にもう花びらを散らし始めていた。
(待って。まだ。まだ散らないで)
両手を伸ばす花野を慰撫するように、花びらが注ぐ。それは自然からの贈り物。
花野を癒す、花療法だった。
ひらひらと蝶が舞う。案じるなと言うように。
気づけば響が横にいて、降る桜を眺めている。
身体はもう良いのかと訊くこともない。彼もまた、花野が桜に癒されていることを感じているのだ。
桜は自らの命を分け与えるように花野に降り注ぎ続けた。
花びらは、青い空に散る温かな雪のようだった。