鈴蘭
鈴蘭は君影草、谷間の姫百合との別称がある。
見た目は可憐だが有毒の花で、取扱いには注意が必要だ。
花野は民家の庭から街路にはみ出していた鈴蘭を、ポケットの剪定鋏で一輪、拝借した。
「ごめんね」
そう言いながら。謝るのは花を摘む時の花野の癖だった。
(泣く声がするの。貴方の力を借りたいの)
すこんと突き抜けたような晴天に、人生を嘆く声がする。
未来が見えないと泣く涙が落ちる、音がする。
花野は声に、音に導かれるまま喫茶店に入った。
喫茶店には若い一人の女性客がカウンターにいた。
さりげなくその隣に座る。
綺麗な女性だった。長い髪を緩く編んで、前に垂らしている。
けれど若さ相応に健康的であるべき頬はやつれ、涙の跡があった。
「薬の多量摂取は、身体に毒ですよ」
花野が言うと、ぎょっとしたように彼女は花野を見た。
目の前に置かれていたコーヒーに、今、気付いたようにミルクと砂糖を入れ、スプーンでぐるぐると焦ったように混ぜる。たちまちコーヒーカップの中はマーブルから柔らかな焦げ茶へと変化した。
「何なの、貴方」
「花療法士です。貴方に、お届け物があって」
そう言って、ゆったりしたバラード調の曲が流れる店内で、一輪の鈴蘭を差し出す。
「ご主人は、後悔されています」
彼女ははっとしたように花野の顔を凝視した。
「鈴蘭の花言葉は幸福の再来です。この先、何を選ぶかは貴方次第。けれど私は貴方に、鈴蘭の毒ではなくこの楚々とした可憐さを愛でて欲しいのです。毒で、薬で、貴方自身を蝕んで欲しくないのです」
何の偶然か、喫茶店の電灯も鈴蘭の形を模していた。
「そんなの無理よ」
俯き、顔を覆い、濡れた声で言う女性。
「やっぱり無理なの。あたしは幸せにはなれないの」
花野の眉が痛ましげに曇る。
鈴蘭の花を捧げ持つようにして、短く呪言を唱える。
その瞬間、冷え切っていた女性の胸に、優しい灯火が点った。
絶望の氷を解かすような熱だった。
花野は微笑み、その場を去った。
あとには鈴蘭と、花野が口をつけなかった紅茶だけが残された。
女性は身体の内奥から、沸々と湧く生への渇望を感じていた。




