チューリップ
花野の泊まる宿の花壇。雨に濡れたチューリップが可憐に咲いている。
花野はそれを見るとチューリップの、恐らく雨に打たれた為であろう、ひとひら、落ちた花びらを拾い上げ、そっと両手に包んだ。
「貴方の力を分けてね」
「花野」
呼ぶ声に振り向くと響が立っていた。
「響さん。おはようございます」
「イギリスへの帰還命令が出ている。……本土の長から」
「え」
「俺たち二人共に、だ。日本での隠密裏な行動はあちらの耳にも入っている。どうせなら本土で力を奮えと。そういうことだ」
「…………」
花野は桜色のストールを握り締めると、薄曇りの空を仰いだ。
今日も嘆きの声が聴こえる――――――。
目を閉じ、耳を澄ます花野を、響が複雑な顔で見守っていた。
「貴方、だったの……」
花野が声を辿り行き着いた路地裏にいたのは、痩せたキジトラの猫だった。小さな仔猫たちが、その猫に寄り添い鳴いている。
母猫は前脚に酷い傷を負っていた。今も真っ赤な血が夥しく溢れ出ている。
(まだ……)
(まだ死ぬ訳には行かない……)
母猫の必死の思念を、花野は聴き取った。
少し痛ましい表情で。
子を想う、親の心は人でも獣でも変わらぬものか。
「うん。そうだね」
花野はチューリップのひとひらを、そっと母猫の前脚に置いた。
その上からふんわりと手をかざす。
二言三言、花野が呪言を唱える。
湿った微風にその言葉が乗り、舞う。
母猫を中心に。
数秒後、母猫の前脚は完治していた。
礼を言うように、花野の手に頭をこすりつける。
「うん。良いの。お子さんたちと、元気でね」
日本にいられる期間も、もう長くはない。
どうせなら桜を見てからイギリスに向かいたいと花野は思った。
先程の母猫は花野に母親を思い出させ、思慕の念を喚起させた。
(お母さん……)
ストールの先端が、優しく風に揺れる。