ハルジョオン
魔女、魔女、と石を投げられたのは、花野がまだ小さい頃のことだった。
花野の先祖はイギリスは湖水地方、ストーンサークルの近くに住んで花療法というささやかな魔法を使っていた。それは今や失われつつある自然と人との絆を重んじるゆえに可能な魔法。
けれどいつの世も、異形を恐れるは人の常。
花野の先祖たちは迫害を受け、今では世界各国に散らばり、ひっそりと暮らしている。
花野は血の繋がらない家族に日本で育てられ、現在は流浪の身となり花療法を必要と思える人に施して旅している。
泣き声が聴こえる。
とても悲しいと泣く声が。
まだ幼い、稚い命。
花野は宿の部屋で目を覚ますと、身を起こした。
朝食を摂り、いつもと同じ桜色のストールを首に巻くと宿を出る。
道には会社勤めのサラリーマン、登校中の学生などが目立つ。
己の存在を異質と認識しながら、花野は道端に咲くハルジョオンを一本、摘む。
「ごめんね。貴方の力を、貸してね」
そっと呟くと、気にするなという慈愛にも似た空気が花野を包む。
「ありがとう」
やはり花野はそっと呟き、淡く微笑すると歩き出した。
保育園の門前で、その子は蹲っていた。
五歳くらいの男の子だ。
その右手には包帯が巻かれている。
「どうしたの?」
花野が声をかけると、はっとしたように顔を上げ、泣き腫らした目を花野に向けた。
「お姉さん、誰?」
「私は花野。貴方は?」
「僕、雄太」
「そう。それで、雄太君は保育園に入らないでどうしてこんなところにいるの?」
花野が尋ねると、雄太は俯いた。
「…今日、保育園で音楽発表会なんだ」
「素敵ね」
「素敵なもんか!僕は、右手を火傷して、カスタネットを叩けないんだ。…美咲ちゃんに見て欲しかったのに」
こんな年頃でも家族より好きな子を意識するのか、と微笑ましく思いながら、花野は先程摘んだハルジョオンを雄太の右手の上にかざした。
天を仰ぎ、目を閉じる。
風のざわめきを感じる。
樹々が、自然の清冽なるものたちが、若き花療法士に力を貸してくれる。
雄太は、痛まなくなった右手に驚いた。
「すごいや!!お姉さん、魔法使い?」
花野は苦笑する。
魔女よりも、魔法使いという言葉のほうが、何と優しいことか。
「私は花や自然の力を借りただけよ。雄太君。これで美咲ちゃんに演奏を聴いてもらえるわね」
「うん!ありがとう。僕、行くね」
子供の満面の笑顔ほど心を温めるものはない。
こんな風に、先祖たちも受け容れられていたなら、どんなに良かったか。
雄太の小さくなる背中を見ながら、花野は思う。
「今の子供に花療法を施したのか」
背後から聴こえた声に、花野は振り向く。
「響さん…」
そこには長髪を束ね、灰緑色のジャケットを着た若い男が立っていた。
彼もまた、花療法を行う一人だ。時折、花野の前に現れる。
「加減に気をつけろ。…お前は、情を掛け過ぎる」
花野はふわりと笑う。
名前のごとく、野の花のように。
「大丈夫ですよ。ありがとうございます、響さん」
響は信用ならないといった表情で花野を見ていたが、やがて身を翻した。
花野とて、解ってはいるのだ。
響と違い、自分の力はそれほど強くない。
花を始めとした自然の力を借りても、治せない傷や病は数多ある。
限界を超えれば倒れる。
「それでも、出来る限りのことはしたいんです」
灰緑色のジャケットに、届かないと知りながら花野は告げた。
優しい風が吹き、そんな花野を慰めるかのようだった。